まさにホップ、ステップ、ジャンプ ジム・ジャームッシュのアートフォームが確立された初期3部作

新作公開を機にジャームッシュ初期3部作を予習

 続いて「ステップ」。通算長編第2作であり、35mmフィルムでの第1作『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年)だ。ジャームッシュの人気の発火点であり、カンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督賞)を受賞。日本公開もこれが初(1986年4月。『パーマネント・バケーション』は同年7月に日本公開)。影響力という点ではジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1959年)やクエンティン・タランティーノの『レザボア・ドッグス』(1992年)に匹敵する、映画史上きっての基礎教養的な重要作である。

『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(c)1984 Cinesthesia Productions Inc. New York

 一般的なデビュー作と言っても、別に商業映画として撮られたわけではない。『パーマネント・バケーション』がドイツのマンハイム国際映画祭で「ジョセフ・フォン・スタンバーグ賞」を獲得したのをはじめ、ヨーロッパでちょっとしたカルト的支持を獲得したことを励みに(アメリカでの興行はいまいちだった)、ジャームッシュはわずかな自己資金を頼りに新作を撮り始めた。つまりバリバリの自主映画だ。ところがあっけなくカネが足りなくなってしまう。そこでニコラス・レイ師匠を通して知り合ったヴィム・ヴェンダースから、『ことの次第』(1982年)で余った未現像フィルムを恵んでもらい、まずは約30分の短篇として完成させた(第1部の「新世界」)。その好評を受け、さらに継ぎ足して3部構成の89分の長編に仕立てたところ、世界中でバカウケしてしまったのだ。

 ここで当時皆が痺れたジャームッシュの芸風――彼のベーシック・スタイルをまとめてみよう。(1)に「何も起こらない」日常。これはハリウッド流儀の教則本的なストーリーテリングに背を向けたアンチ・ドラマの精神と言い換えられるかもしれない。(2)にオフビートなユーモア。小ボケに小ボケを重ねたような、関節を外した隙間だらけの会話やコミュニケーション。特にオフビート(はずし)という形容はジャームッシュと共に映画界に広まった感さえある。そしてユルいノリに見えて、(3)に実はかっちり設計された構築美。

『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(c)1984 Cinesthesia Productions Inc. New York

 この3点をまとめて「センス抜群の抜け感が効いたミニマリズム」とでも把握すれば、ジャームッシュの個性の基本は「入門」的に捉えられると思う。また『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の映像はモノクローム。ザラザラしたカラー映像でフリーハンドな筆致だった習作『パーマネント・バケーション』に比べると、シルエットをきゅっと締めて、「形式」に意識的になったことがよくわかるだろう。

 最初の舞台はニューヨーク。ギャンブルで日銭を稼いで暮らしているハンガリー出身のウィリー(ジョン・ルーリー)のもとに、ブダペストから従妹のエヴァ(エスター・バリント)がやってくる。さらにウィリーの相棒エディ(リチャード・エドソン。元ソニック・ユースのドラマー。のちに『プラトーン』(1986年/監督:オリヴァー・ストーン)や『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年/監督:スパイク・リー)に出演)も加えて、「TVディナー」(コンビニめし的なプレート)を食いながら、どうでもいい会話を交わす日々。第2部「一年後」では雪に覆われたクリーブランドへ。第3部「パラダイス」ではフロリダに向かう。だがどこに移動しても、彼らの退屈な脱力人生は別に何も変わらない――。

『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(c)1984 Cinesthesia Productions Inc. New York

 こういった恋愛も事件もアクションもない「何も起こらない」青春像(1)が、ぶつ切りのワンシーン・ワンカットで綴られ、合間に挟まれる黒画面がとぼけた「間」のリズム、オフビートなユーモア(2)を生み出していく。とりわけ(3)に関して参照できるのは小津安二郎だろう。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』では、競馬の馬の名前として『晩春』(1949年)、『出来ごころ』(1933年)、『東京物語』(1953年)へのオマージュが捧げられる。ジャームッシュには小津の画面構成に影響を受けた厳密な設計主義者の側面があり、むしろそれと相反するビートニク精神とのねじれた融合が、彼一流のオリジナリティの源泉のひとつだと言える。

 この「ビートニク×小津」的なジャームッシュの志向を裏支えする極めて重要な先達は、『ジ・アメリカンズ』(1958年)でよく知られる写真家ロバート・フランクのフォトドキュメンタリーだろう。市井の日常風景を永遠の美へと焼き付けるフランクにも似て、ジャームッシュの映画はとにかく画的にクールだ。例えばジョン・ルーリーの着ているアーガイル柄のカーディガンなど、何でもない普段着がファッション・アイコンになってしまう。ジャームッシュ自身はどちらかと言えば「アンチ・ファッション」の立場(流行や時流に従うことを良しとせず、見た目だけ威勢のいい奴をファッション・パンクめと軽蔑するような姿勢)だが、カルチャーエリートの卓越が安価な身の丈の素材をハイエンドなデザインに変えてしまったのだ。

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