『えいがのおそ松さん』には何が描かれていたのか? 自己分析を反映させたファンサービス

『えいがのおそ松さん』の“ファンサービス”

 2015年から、1期、2期にわたって放送されたTVアニメ『おそ松さん』。赤塚不二夫の生誕80周年を記念して作られた、『おそ松くん』のアニメ化作品として初の深夜放送用となったアニメーションだが、これが予想を超えて、多くの熱狂的なファンを生むことになった。放送開始当時はここまで当たるとは思われてなかったため、1期放送終了後に膨大な数のグッズが販売されたのも記憶に新しい。そんな当時から長編映画化の噂が立っていたが、企画は2期終了後の公開となった。

 正直な話、様々な革新性が見られていた1期に対し、2期の内容は幾分トーンダウン。第2のブームには至らなかったように思える。その後に公開を迎えてしまった本作の内容は、一体どうだったのだろうか。ここでは、本作『えいがのおそ松さん』に至るまでの状況や、映画全体を通して何が描かれていたのかを考えていきたい。

 TVアニメ『銀魂』シリーズの藤田陽一監督と、ラジオ番組のハガキ職人を経て、『エンタの神様』などの構成や、『銀魂゜』の脚本を手がけた松原秀による脚本による『おそ松さん』第1期は、革新的な試みがいくつも見られた作品だった。

 女性のアニメファンに人気があるイケボ(イケメンボイス)声優を六つ子に配役するなど、女子向け作品としてヒットさせようという意図を感じる『おそ松さん』。実際に、ボーイズラブを嗜好する、いわゆる「腐女子」と呼ばれるファンや、男同士の性格の違いや関係性に魅力を感じる女子などがブームを牽引したことからもその意図は明らかだろう。

 だが、そういう一面について、外側から批評的に眺める視点が作品のなかに備わっていることが、『おそ松さん』の特徴である。おそ松たち六つ子を、少女マンガ『花より男子』になぞらえ、学園のアイドル“F6(エフシックス)”としてイケメン風に描き、ヒロインのトト子が思わず、文字通り“沼に落ちる”シーンも表現された。ちなみに、沼に落ちるというのは、アニメキャラクターやアイドルなどにはまり抜け出せなくなるというスラングである。

 『おそ松さん』はこのように、自己分析的、メタフィジックな表現を多用しながら、ときにファンの姿を作中でカリカチュアライズすることで、なかば揶揄しているようにも感じられてしまう。だが、意外にそれに対する反発は起こらなかった。それは例えば「腐女子」という言葉自体に自虐的な要素が含まれるように、男同士の関係性を見つめる女子の心理というものが、すでにある程度ポップ化されていたからであろう。そして、作中にある扇情的部分を覆い隠すのでなく、むしろ直接的に表現してしまうところに一種の気持ちの良さがあり、現代的な感覚にマッチしていたといえよう。

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