2018年、日本映画はニューフェーズへ(前編) 立教、大阪芸大の90~00年代、そしてポスト3.11

日本映画のニューフェーズ(前編)

 具体的には熊切和嘉(1974年生まれ)の伝説の卒業制作にしてPFF(ぴあフィルムフェスティバル)準グランプリ作『鬼畜大宴会』(1997年)にスタッフとして参加していた面々だ。それが「真夜中の子供シアター」という名義の制作チームへと展開し、監督・山下敦弘(1976年生まれ)、脚本・向井康介(1977年生まれ)、撮影・近藤龍人(1976年生まれ)という布陣で『どんてん生活』が生まれることになる。このエポックな1本は1999年に卒業制作として発表されて評判を呼び、2001年に劇場公開の運びとなる。

 本作はタイトルが指し示すように、彼らの「生活」のリアリティに根差したもの。無職の青年がパチンコ店で出会った奇怪なヤンキーに連れられて、裏ビデオのダビング仕事に手を染めていく。ウダウダした無為な日常の風景。アキ・カウリスマキやジム・ジャームッシュからの影響を指摘されはしたが、先行の「立教ヌーヴェルヴァーグ」式の知的でメタな引用というより、オフビートなフィーリングの同期性が高かったわけだ。基本的には反エリーティズム的であり、地べたから映画表現を立ち上げたことが重要であった。

『レディ・バード』(c)2017 InterActiveCorp Films, LLC.(c)Merie Wallace, courtesy of A24

 興味深いことに、彼らの作風や制作スタイルはゼロ年代のアメリカン・インディーズにおける先端的なシーンと共振していた(しかも時期的には大阪芸大組が数年先駆けていた)。それがNYを拠点にしたマンブルコアと呼ばれる運動体である。サークル活動の延長のようなノリで、20代男女のモラトリアムな等身大の日常を、友達同士のスタッフ・キャストにより簡素なDIYスタイルで映し出す。主要メンバーには南イリノイ大学を経て長編映画を自主で撮り始めたジョー・スワンバーグや、彼の元カノであり、いまやオスカー候補の監督作『レディ・バード』(2017年)で時代の寵児になったバーナード大学出身のグレタ・ガーウィグなどがいた。

 半径5メートル的な日常の、一見非政治的に映る身内ノリな青春の風景には、実は新世代の感覚による政治性が静かに装填されていたのも重要なポイントだ。NYのマンブルコアがポスト9.11の不安や虚無だとしたら、大阪芸大組はポスト・バブルの「失われた20年」が土壌。山下たちが『ばかのハコ船』(2002年)『リアリズムの宿』(2003年)と続けていった下流の青春像、ダメ男子映画のアートフォームには、先の見えない倦怠と、カネのない仲間たちとのレイドバックした時間から生じる微温的な幸福感が共存している。それを大手の商業映画や先行のシネマエリート的な価値観に対抗するものとして捉えると、ある種ネオプロレタリア運動的なニュアンスを自動的に帯びていた。

 その意味でスクールは異なっても松江哲明(1977年生まれ)の『童貞。をプロデュース』(2007年)や、入江悠(1979年生まれ)の『SR サイタマノラッパー』(2009年)などは「大阪芸大マンブルコア」からの潮流を強化したゼロ年代の太い幹となる成果であり、彼らは山下たちより意識的かつ明晰に「日本論」を描き出した作家と言える。そして大阪芸大の後続からは、『剥き出しにっぽん』(2005年)や『川の底からこんにちは』(2010年)の石井裕也(1983年生まれ)という、労働といった価値観の付与により、ぬるま湯的状況の打破や仕切り直しを提案する作家が現われ、同系のコンテクストがより年少の視座で延長・更新される様を見ることができる。

 ちなみに筆者自身は批評の書き手として、この「大阪芸大マンブルコア」から派生した流れに加担していた自覚が強い。もちろん同時代の感受性が染み込んだクリエイションに心底共感したからだが、率直に言うと、蓮實イズムに庇護されている印象もあった先行世代や、シネフィルの特権意識を振りかざす既存の批評状況への青臭い反発の気持ちもあったのだと思う。

 ただしいまとなっては「立教ヌーヴェルヴァーグ」も「大阪芸大マンブルコア」も、個々の作家たちはそれぞれのステージへ歩みを進めている。とっくに初期段階のカテゴリーや党派性は霧散あるいは歴史化したと言うべきだ。年齢的にもほとんどが40代以上となり、巨匠や中堅といったポジションに移行していったいまの彼らを、こういった出自で区分けするのはまったく無意味であろう。

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