菅田将暉が成立させた久能整の“フラットさ” 映画『ミステリと言う勿れ』にみる演技の妙
菅田将暉が演じるあの久能整がお茶の間に帰ってくるーー。そう、映画『ミステリと言う勿れ』(2023年)が地上波に初登場するのだ。愛らしいカーリーヘアがトレードマークのよくしゃべる大学生は、2025年を迎えたばかりの私たちに、いったい何を与えてくれるのだろうか。
本作は、2022年の1月期にフジテレビ「月9」枠にて放送された同名ドラマの劇場版。つまり、“菅田将暉=久能整”が私たちの前に姿を現してから、ちょうど3年が経つことになる。早いものだ。おそろしいほどに。
けれどもこの「3年」という時の流れを“早い=短い”と私が感じたことを整に伝えようものならば、「時間」にまつわる彼の持論が展開していくことになるだろう。特定の個人や共同体ごとにある固定観念、社会で常識とされていることも整は疑ってかかる。そして、出会う人々に思考することを促し、新しい視座を提供する。それでいて彼が口にするのはあくまでも持論であり、自身の考えを他者に押しつけたりするようなことはない。久能整とは、そういう人物なのだ。
ドラマ版でもさまざまな事件に巻き込まれてきた整だが、この劇場版で彼が巻き込まれるのは、名家の遺産相続にまつわるもの。物語は整が広島を訪れるところからスタートし、狩集汐路(原菜乃華)という女子高生に声をかけられることによって本格化していく。なんとこの狩集家では代々、遺産を巡る争いで死者さえ出るというのだ。犬神家の一族たちもビックリな一族である。
狩集家の遺産相続者は4名。臨床検査技師の狩集理紀之助(町田啓太)、少しばかり荒っぽいところがあるが根はマジメなサラリーマンの波々壁新音(萩原利久)、ひとり娘がいる専業主婦の赤峰ゆら(柴咲コウ)、そして、整をこの事件に巻き込む汐路だ。狩集家の顧問弁護士の孫である車坂朝晴(松下洸平)も加わり、彼ら彼女らは遺言書に記された「それぞれの蔵においてあるべきものをあるべき所へ過不足なくせよ」という指示に従って行動していく。もちろん、遺産を手にするためだ。
しかし先述しているように、狩集家の遺産相続では死人が出る。汐路の父・弥(滝藤賢一)も8年前に亡くなっているのだ。汐路が整に声をかけたのは、危険な遺産相続ゲームをクリアするためではない。父の死の真相を知るためだ。だから正確には、“整に助けを求めた”というべきだろう。この物語はミステリー作品特有の「ゲーム性」と「汐路の感情」によって駆動していく。ミステリードラマであるいっぽう、ヒューマンドラマでもあるわけだ。
そんな作品の中心に立つ菅田のパフォーマンスがじつに愉快である。彼が演じる整は感情的になることがない。いつだってフラットに、分け隔てなく他者と交流する。声の調子も表情も基本的にいつも同じトーンだ。遺産や身の危機を前に狩集家の面々は感情的になったりもするのだが、これに座長である菅田は引っ張られてはならない。噛み合っているようで噛み合わない掛け合い、あるいは、噛み合っていないようでじつはちゃんと噛み合っている掛け合いーーを共演者たちと実現させなければならないのだ。