『スキップとローファー』の現代性とは? “キャラ”を演じることの疲弊と克服

『スキップとローファー』の現代性とは?

 高松美咲原作、出合小都美監督のTVアニメ『スキップとローファー』の第2期の制作が決定、1月からは第1期がNHK Eテレで再放送される。2023年の放送時にも好評を博し、「中国アニメ・マンガ金龍賞」において海外特別賞「海外アニメ賞」を受賞するなど、海外でも注目を集めた。

 恋愛と友情をはらんだ高校生活を切り取ったその内容は、男女問わず広範な人気を獲得しており、等身大の人間模様の機微を掬い上げたタイプの作品として、近年でも特筆すべきタイトルのひとつだろう。

 再放送に向けて、そんな本作の魅力を改めて振り返ってみたい。

青年誌の中の少女マンガ

 『スキップとローファー』は、石川県の「はしっこ」から東京の進学校に入学した岩倉美津未とクラスメートたちの青春ドラマだ。勉強はできるが、人口の少ない地方育ちで同世代と接した経験が乏しい美津未は、東京の高校生たちとのギャップに直面しつつも、持ち前の明るさと前向きさで友達の輪を広げていく。天然ゆえに失敗もするけれど、裏表のない彼女の性格が周囲をなごませていき、異なるタイプの友人ができていくさまに、多くの視聴者が共感した。

 本作の原作マンガは、青年誌の『月刊アフタヌーン』(講談社)で連載されている。だが、物語の体裁は少女マンガに近い。田舎からやってきた、ちょっと冴えない女子校生が、優しいイケメンのクラスメートと仲良くなり、ライバルにはモデルをやっている絶世の美女がいるという構図は、少女マンガでもよく見かけるものだ。


 原作者の高松氏は、本作を「少女マンガの皮をかぶった」マンガだと語っている。「私にはこれといった趣味がなく、興味の対象は主に人間関係や人の心のふれあい、動き」であることから、少女マンガ的なものはどうかという話になり、そのスタイルで人の心の暗さも含めて描こうという狙いから、連載がスタートしているという(※)。

 少女マンガのような優しさや華やかさを持ちつつも、人間心理の裏側も描き、諍いも人の心の暗い部分も描く「青年誌の中の少女マンガ」という姿勢が、男女の垣根を超えて共感を呼ぶポイントとなったのだろう。

 明るい高校の教室の、裏側のギスギスする瞬間や、チクリと痛みが走る瞬間の描写に優れた作品でありつつ、同時に前向きで明るく、楽しいスクールライフが快活に描かれており、読後感が苦しくないのが本作の美点だ。

“キャラ”の皮をかぶった“キャラクター”たち

 本作が高く評価されるのは、登場人物たちの表の顔と裏の本音を描くことを忘れない点だ。主人公を助ける男子、志摩聡介は誰に対しても優しい。しかし、人生に情熱を持てず冷めた感覚で生きている。表の仮面として身に着けているキャラと隠された本来の自分というものにギャップがあり、そういうギャップがほとんどの登場人物で描かれていく。

 これは、ある種作品全体のコンセプトである「少女マンガの皮をかぶった」人間ドラマというこ点にも通底する部分がある。志摩も、江頭ミカも、その他のクラスメイトたちも、なんらかの皮をかぶっている。志摩は、文化祭で出演者になることを進められたときに、本音では断りたかったのだが「そういえばオレって、なんでも引き受けて嫌がんないキャラできてる?」と考えてしまい、断ることができなくなる。

 この作品のキャラクターたちは、上述の志摩のように皆「キャラの皮をかぶっている」のだ。キャラクターがキャラを被るとは、妙な言い回しかもしれないが、この2つは明確に概念として分けることができる。キャラクターは、性格や人格を表す言葉で、アニメやマンガの登場人物のことを指すこともある。キャラとは、元々はキャラクターの略称であるが、人間に関係における類型的な役割や演じる表向きの人格を指して使われるようになってきている。

 キャラとは他者から求められる役割であり、人はそういう役割を多かれ少なかれ演じている。それが最も色濃く顕在化しているのが、志摩だ。

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