『スロウトレイン』は人生の“はじまり”のドラマ “1人だけど独りではない”メッセージ
「では時を描きましょう」という盆石教室の先生・永島(勝野玄瑛)の言葉とともに画面に広がるのは、盆石の白い砂が美しく形作る「月」。黒い盆の上の月が、やがて本物の月と重なり、それを見ている都子(多部未華子)が「月は同じ」と呟くことから、その場所が、彼女のいる韓国・釜山であることがわかる。
盆石が形作る「自然と人の営み」の縮景は、このドラマそのものを示している。作家・百目鬼(星野源)が「もったいなくて書けなかった」という保線員・潮(松坂桃李)のささやかな喜び。「釜山だけどかまくら」の店で立ち昇る出汁の湯気。大晦日の鎌倉・小町通りを1人歩く葉子(松たか子)が小さくクシャミをする。なんて贅沢なドラマなのだろう。宝物のような瞬間で溢れている。まるで多くの「小さな私たちの小さな営み」を電車の車窓から覗いているようだ。新春スペシャルドラマ『スロウトレイン』(TBS系)を観ながら、そんなことを思っていた。
『スロウトレイン』は、『アンナチュラル』(TBS系)、『海に眠るダイヤモンド』(TBS系)の野木亜紀子のオリジナル脚本である。『逃げるは恥だが役に立つ』(原作:海野つなみ、TBS系)、『罪の声』(原作:塩田武士)はじめ多くの作品で野木とタッグを組んできた土井裕泰が演出を務めた。交通事故で両親と祖母を一度に亡くして以来3人で生きてきた葉子、都子、潮の姉弟が、三者三様の幸せを求めて、それぞれの人生の岐路と向き合っていく。
「贅沢なドラマ」と言ったのは、いくつか理由がある。1つ目は言うまでもなく優れた俳優陣だ。松たか子に松坂桃李、多部未華子が姉弟を演じ、潮と都子、それぞれの恋人を星野源、『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』でお馴染みのチュ・ジョンヒョクが演じている。特に葉子を演じる松たか子の素晴らしさである。
盆石体験の際、あまりにも繊細な作業に動揺し、鼻息を手で止めようとする時のキュートさといった『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)のとわ子役に通じる、コメディエンヌとしての才覚。そして声の力。葉子が、両親・祖母の死後、江ノ電に揺られながら、妹弟(毎田暖乃、高木波瑠)にまだ見ぬ彼ら彼女らの人生の物語の冒頭を読み聞かせるように語り掛ける場面において、葉子の言葉の一つ一つが、松の声を通して命を得ていく瞬間を見た。まさに野木亜紀子×松たか子の組み合わせの妙だった。さらには葉子の元恋人である「渋谷駅の次の次」目黒を演じるのが井浦新という配役もなんとも素敵なサプライズだった。
2つ目は土地。保線員というあまり耳馴染みのない職業の潮の視点を通して、江の島電鉄、通称・江ノ電を見つめること。韓国・釜山で都子が飲食店作りをすることで、出汁が日本の文化と韓国の文化を繋ぐ光景を見ること。さらに盆石による縮景が「侘び寂び」を体現し、本作の世界観そのものになっている。