J・ギレンホールを通して苦しみを疑似体験 『ボストン ストロング』が示す“ヒーロー”のあり方

『ボストン ストロング』ヒーローのあり方

 歴史あるボストンマラソンの競技中、ゴール付近に仕掛けられた爆弾が爆発し、3人が死亡、282人が負傷したという、世界中に衝撃を与えた2013年の「ボストンマラソン爆弾テロ事件」。その被害に遭った実在の人物の物語を映画化したのが、本作『ボストン ストロング 〜ダメな僕だから英雄になれた〜』である。

 タイトルの「ボストン・ストロング」とは、テロの暴力や脅しに屈せず団結し、強くあろうという、事件後のボストン市民の合い言葉だ。爆破によって両脚を失うという悲劇を経験した27歳のジェフ・ボーマンは、その言葉とともにボストンの象徴的存在となった。ならばそれを描いた映画は直球の感動作なのかと思ってしまうが、邦題に「ダメな僕だから」と記されている通り、本作のジェイク・ギレンホールが演じる男性・ジェフは、劇中ではかなりダメな奴であり、なかなか観客の心を勇気づけてくれないのが面白いところなのだ。

 そんなダメなジェフは、果たして象徴となりヒーローと呼ばれるにふさわしい存在なのだろうか。ここでは、劇中の描写などを追いながら、本作が示す「ヒーロー」とは何なのかを考えていきたい。

 事件当日、ジェフは未練を持っている元恋人・エリンの気を惹こうと、彼女がマラソンをするのをゴール付近で応援するべく、人混みのなかで待機していた。そのとき至近距離で運悪く爆発が起こり、彼は病院で両脚を切断しなければならないほどの怪我を負ってしまう。あまりにも悲惨な出来事だが、脚を失ってしまったジェフの救いは、エリンが病院でずっと付き添ってくれ、リハビリや介護など、献身的に彼を助けてくれたことだった。彼女はジェフの悲劇に対して責任を感じていたのだ。退院し車椅子生活になる頃には、二人の関係は以前のように近くなっていた。

 それにしても突然両脚を失うというのは、どれだけの精神的ショックと肉体的苦痛があるのだろうか。「カメレオン俳優」と呼ばれる、様々な役に対応できる芸達者な俳優ジェイク・ギレンホールは、ジェフ・ボーマン本人と、長時間にわたって直接話し合うことで、日常的な動作を観察するだけでなく、内面から演じる役の本質をつかもうとしたという。そしてそこには英雄的では決してない、時折垣間見せる心の闇の部分も含まれる。恋人に弱い部分を見せ続け、介護をしてもらわなくてはならないことに、もどかしさや情けなさを感じてしまう演技は説得力があり見事だ。繊細な表情の変化や、微妙な身体の動きによって、言葉を発さなくとも痛いくらいに感情の揺らぎが伝わってくる。ジェフ・ボーマンの苦しみの一端を、ジェイク・ギレンホールを通すことで、観客が疑似体験できるのだ。

 「ボストンマラソン爆弾テロ事件」は、パトリオット・デイ(愛国者の日)に起こったこともあり、テロ事件により脚を失った被害者を、郷土のみならず国のヒーローとして称えようとする動きがあったようだ。本作では、地元のスポーツ・イベントだけでなく有名テレビ番組など出演依頼が絶えない様子が描かれている。どこにでもいる一般人男性が、被害に遭ったことで多方面から引っ張りだこの人気者になったのだ。しかし、ジェフはそれらに参加することに消極的だ。それは事件後PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が断続的に出ていることと、自分がヒーローとして扱われることに違和感を感じていたからだ。

 なぜヒーローではないのか。彼は、戦場に出向いて脚を失ったわけでなく、ただ運が悪く事件現場に居合わせていただけだったからだ。自分に称賛を浴びるような理由など本当はないということを、彼自身が一番よく分かっていた。とはいえ、ここまでの悲劇があったのだから、そんな現実を受け入れるというだけでも、客観的に見て彼の頑張りは立派だと思えるし、精神の均衡が崩れてしまうのも仕方がない。だからエリンは、彼の苦しみを一部引き受けるつもりでジェフを助け続けたといえるだろう。だがそんなエリンの献身にも関わらず、ジェフは思い通りに進まないリハビリやPTSDの症状への不安、周囲からの期待へのストレスなどから、エリンに八つ当たりをしてしまうという、おそらく彼が最も避けたかったことをやってしまう。そうして、ジェフの精神はめちゃめちゃになっていく。

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