恋愛映画が突然、ヴァイオレンス映画に? 変てこ映画『ロキシー』に漂う、90年代Vシネの雰囲気

『ロキシー』に漂う90年代Vシネの雰囲気

 運命的な出会いを果たした一組の女と男、ロキシー(ゾーイ・クラヴィッツ。ロックスターのレニー・クラヴィッツの娘さん!)とヴィンセント(エミール・ハーシュ)。ヴィンセントはギャングに追われるロキシーを兄の農場に匿う。兄とその恋人を交えた4人は田舎町で平穏な日々を過ごす。やがてロキシーとヴィンセントは惹かれ合い、結ばれる。しかし、そこにギャングたちの魔手が迫っていた……。

 変てこな映画が現れた。プロットは前述の通り古典的なものだ。田舎町に逃げ込んだ男女。それを追いかけてくる暴力と悲劇、そして復讐。舞台となるどっかの田舎は、70年代くらいで時間が止まっているように見える。本当に単なる田舎町だ。物語の大半は、この何の変哲もない田舎町を舞台にワケあり男女の心の交流に割かれる。

 アクション映画と思って臨むと、確実に虚をつかれるだろう。だが、平和な日常映画を期待すると、今度は唐突な暴力に驚かされる。やがて、とあるキャラクターが戦闘モードになると……。

 この手の映画のお約束、『コマンドー(85年)』的な完全武装シーンが。では、そこで景気がいいアクションが炸裂するかと思えば、そういうわけでもない。むしろニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ドライヴ(11年)』っぽい、生々しい暴力描写になっていく(人の頭をガンガン踏みまくるところは確実に「ここで『ドライヴ』っぽいのを一発やっておこう!」というノリだ)。

 そして美しい曲をBGMに、何かイイ話だったような雰囲気で映画は終わる。恋愛映画と言うには恋愛要素が薄く、アクション映画と言うにはアクション要素が薄い。ヴァイオレンス映画と言ってもよいが、そこまで過激なシーンがあるわけでもない。

 しかし、シーンその物の過激さは薄くても、前述の通り日常シーンに突然の暴力が挟まれるため、殺人の非・日常性が妙に浮き上がってくるのは事実だ。それまでヴァイオレンスのヴァの字も無かったがゆえに、唐突に訪れ、あっさりと行われる悲劇も妙に印象的である。

 低予算という現実的な理由からだろうが、安く見える画面も、ほとんど悪い冗談のように振るわれる暴力と相まって、不思議と味わい深い。いや、味わい深いというより、懐かしい。この不思議な懐かしさの正体はなんだろうか? 考えてみると、あるジャンルが思い浮かんだ。

 程々のヴァイオレンスとガン・アクション、ベッドシーンとベタな人間ドラマ、唐突に起きる悲惨な展開……。これらのせいか、本作には90年代に日本で量産された女性主人公のアクションVシネマの雰囲気が宿っている(考えてみると有名人の娘が主演という点もそれっぽい)。意図的なもの、偶然……様々な要素が重なった結果、あの頃のVシネの空気を完全に再現することに成功しているのだ。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる