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巨匠・倉本聰は今こそ再評価すべきだ 『やすらぎの郷』に宿る作家性の源泉

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 『やすらぎの郷』(テレ朝日系)が好調だ。雑誌やネット、様々な場所で特集が組まれている。テレビ業界に貢献をした俳優や脚本家が入所できるという老人ホーム「やすらぎの郷」を舞台とする本作は、主要人物のほとんどがテレビ関係の高齢者という異色の物語だ。

 脚本は『北の国から』(フジテレビ系)で知られる巨匠・倉本聰。主人公・菊村栄(石坂浩二)は、妻に先立たれた老・脚本家で、倉本の分身のような存在だ。加賀まりこ、浅丘ルリ子、八千草薫といった女優陣も本人を思わせる役柄を演じており、フィクションでありながらドキュメンタリー的側面が強い。故・高倉健を思わせる人物が登場したり、フジテレビを思わせるテレビ局の不調を語る場面が登場するため、次はどんな芸能ネタをぶっこんでくるのかということがSNSでは盛り上がっている。こんな脚本が書けるのは、倉本だけだろう。

 テレビドラマはアニメや映画に較べるとクリエイターの作品という意識が低い。それでも近年は大分マシになってきたが、テレビドラマにおける作家性は今も蔑ろにされている、というのがドラマ評論を書いてきて強く感じていることだ。

 そんな風潮に対して正面から立ち向かっていったのが倉本だった。テレビドラマの地位が今以上に低かった70~80年代。倉本の脚本は、山田太一や向田邦子といった脚本家とともに一時期は「シナリオ文学」などと呼ばれ高く評価された。倉本たちのシナリオの多くは書籍化されてベストセラーとなり、次世代の脚本家に大きな影響を与え、それは今も続いている。映画は監督の作品。ドラマは脚本家の作品という風潮が日本では強いが、その基盤を作ったのは倉本たちだと言って間違えないだろう。

 倉本聰は東京大学を卒業後、1959年にニッポン放送に入社。社員として番組を制作する傍ら、ドラマの脚本を執筆。ニッポン放送は内職厳禁だったため、ペンネームで執筆。その時に付けた名前が倉本聰だ。

 1963年にニッポン放送退社後、着々とキャリアを積み上げていき、1974年に大河ドラマ『勝海舟』(NHK)を執筆。しかし、主演の渡哲也が降板して松方弘樹に引き継がれたことに端を発した制作体制のゴタゴタ(ディレクターとの確執やNHKの組合問題のしわ寄せが役者や脚本家に来ていること)について、倉本が女性誌のインタビューで話したところ、ライターに発言が拡大解釈されて内部告発の暴露記事にされてしまう。そのことに対し20人近いNHKの職員からつるし上げられ、謝罪をさせられる。その日のうちに倉本は逃げるような形で北海道へと旅立つ。その後、『勝海舟』は途中降板となり、脚本家を廃業しようと考えていたという。

 『やすらぎの郷』のテレビ局やマスコミや批評家に対する批判に対して「大人げない」「言い過ぎではないか」という感想をよく見かけるが、この時に倉本が味わった屈辱を知らないと、ピンとこないのかもしれない。

 倉本が脚本家を辞めて、トラックの運転手になろうと考えていた頃、フジテレビのプロデューサーから仕事のオファーがくる。倉本は病気療養で降板したことになっていたため、渡哲也の奥さんの旧姓・石川俊子をペンネームにして『6羽のかもめ』を執筆。テレビ業界や芸能界の内幕を暴く物語が話題となり、高い評価を獲得する。その後は北海道を拠点として萩原健一主演の『前略おふくろ様』(日本テレビ系)といったヒット作を生み出す。

      

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