『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が、ヴィンテージ風の仕上がりとなった理由
「スター・ウォーズ」は、1977年の本国での第一作公開以来、娯楽性の高さから、世界中で多くのファンを生み出し、その影響は映画界のみならず、様々な分野へと波及している。今までに、ルーク・スカイウォーカーとダース・ベイダーの戦いを描いた「旧三部作」、将来を嘱望されたジェダイ、アナキンがフォースの暗黒面に堕ちるまでの過去の時代を描いた「新三部作(プリクエル・トリロジー)」という、計6作品が作られてきた。
今回の7作目は、旧三部作の30年後を舞台にしたものとなる。物語は、砂漠の惑星ジャクーで廃品を回収しながら生計を立てている孤独な少女と、脱走したストームトルーパー、フィンが、力を合わせて、再び銀河の覇権を握ろうとする帝国軍の残党勢力「ファースト・オーダー」と戦い、新たなフォースの暗黒面の使い手、カイロ・レンと対峙するというものだ。
本作「フォースの覚醒」で驚かされるのは、とにかく旧三部作の雰囲気を、そのまま蘇らせることに力が注がれているということだろう。旧作を意識した美術、アナログフィルムでの撮影、そして、過去の出演者の活躍。セルフパロディや往年のファンへの目配せなど、もしも旧三部作が、仮に「スター・ウォーズ」というひとつの映画作品であるとしたら、まさに本作は、その後すぐに作られた、「スター・ウォーズ2」といえるようなものになっているのである。
しかし、なぜ今の時代に、このようなヴィンテージ風の「スター・ウォーズ」を完成させたのだろうか。今回は、この謎を追っていきながら、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の本質に迫っていきたい。
「スター・ウォーズ」は、何故ファンを熱狂させ苦しめたのか
「スター・ウォーズ」シリーズの成功の理由は、「過剰なまでの娯楽表現」に尽きるだろう。宇宙空間や、個性的な惑星、巨大な基地を舞台に、無声映画時代のSF映画『メトロポリス』を想起させる壮大なヴィジュアルと、かつて世界を熱狂させたジョン・フォード監督の西部劇、そして黒澤明監督の娯楽時代劇の剣戟などを融合するという荒唐無稽な試み、さらに戦闘機やレーザー光線が乱れ飛び、有象無象のクリーチャーが闊歩する、エキセントリックな映画青年・ジョージ・ルーカス監督の創造する妄想世界が、映画オタクによる「娯楽映画の権化」ともいえる大衆的映画作品として結実したのだ。さらに特撮、音響、メカニックデザインなど、野心的なクリエイターと協力しながら柔軟な発想で、数え切れないほどの技術革新を達成しながら、誰も見たことのない圧倒的表現を達成したのである。旧三部作は、映画史における未曾有の人気シリーズとなり、「スター・ウォーズは私の生きる意味そのもの」などと言うほどの熱狂的ファンも生まれたのである。
しかし、旧三部作の終了から、当初からの構想にあったという「新三部作」が製作されるまでは、16年の歳月を要することになった。これは、CG技術の発達により、新三部作で描かれるはずの大規模な戦争シーンの撮影がやっと実現できるという、ジョージ・ルーカス監督の個人的判断があったためだ。ルーカス監督は20世紀フォックスとの交渉で、報酬と引き換えに「続編制作権」や「グッズ販売の権利」などを獲得していたのだ。こうして、ひとつの人気映画シリーズが、異例なかたちで、ルーカス個人の意志に委ねられることになった。このことで、ファンは続編を望みながらも漠然と何年も待ち続けるという虚無感に、長年苛まれることになったのだ。
だがこの選択は、ルーカスが金を儲けたいというよりは、映像作家として、映画会社の権力から脱し、好き勝手に映画作りをしたいという願望からだった。だからルーカスは、1作目で得た利益を、そのまま次作へ投入したり、自身のスタジオに投資するというような、映画作品を愛する資金の運用を行っている。しかし、『THX 1138』、『アメリカン・グラフィティ』という、才能あふれる映画を過去に撮り上げているルーカスは、「スター・ウォーズ」に関わって以降、このシリーズ以外の映画に、映画監督として関わることをやめてしまうことになる。