『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が、ヴィンテージ風の仕上がりとなった理由

ルーカスとファンの、食い違う想い

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 ルーカスが監督する新三部作が公開されたとき、旧三部作のような作品を心待ちにしていたファンの中には、失望を味わった者が数多くいたという。もともと一連の作品は、ダース・ベイダーと帝国軍の誕生までの、政治的な陰謀劇を中心としており、比較的地味なシリーズになるだろうことは、監督自身も明言していた。

 もちろん、この新三部作で、新しいファンも生まれていて、ここからシリーズに触れた世代は、旧三部作ほどの熱狂はないにしても、好意的な意見が多く、作品をののしるような観客は稀であろう。しかし旧作ファンは、とにかく悪口を言いまくった。『フォースの覚醒』にも出演している旧作のファン、サイモン・ペッグのように、新キャラ、ジャー・ジャー・ビンクスの罵倒ネタを披露するなど、新三部作を批判することで「スター・ウォーズ」への愛を表現するなど、ファンとルーカスの間に、愛憎渦巻く屈折した関係が生まれ始めたのだ。それは逆に、「スター・ウォーズ」という作品が持つ絶大な影響力の証明ともなっている。

 旧三部作、新三部作ともに、ルーカスの人生の反映であることは、よく指摘されてきた。車の改造にしか喜びのなかった、ルーカス自身の、田舎の若者の青春は、ルークの成功譚と、アナキンの成功譚として表現されている。そして、その成功の先にある悲劇を描いた新三部作は、ルーカス自身も言及するように、あまりに破格の経済的成功のために、ひとりの映像作家としては身を持ち崩してしまったという悔恨の想いが、ダース・ベイダーという人物として投影されている。だから新三部作は、より深い実感と感動が与えられる、内容のある作品となっている。

 だが往年のファンの多くは、そのような「内容」を求めていたわけでなかった。彼らは、ルーカスの作家性ではなく、娯楽の権化たる「スター・ウォーズ」の、「よくある続編」こそを求めていたのだ。新しい、作家が主体となる作品づくりを推し進めてきたルーカスにとって、これは残酷な事実だ。

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