『シンシン/SING SING』が“描いたこと”と“描かなかったこと” 注目すべき芸術表現の特異性

ニューヨークの北、ハドソン川のほとりに、最高レベルの厳重警備で受刑者を収監する、シンシン刑務所がある。映画『シンシン/SING SING』は、そこで実際におこなわれている、「RTA(リハビリテーション・スルー・ジ・アーツ)」と呼ばれる、芸術への取り組みを通して受刑者の更生を促す、舞台演劇のワークショップのプログラムを題材に、感動の物語を綴る作品だ。
刑務所のなかの実話を基にした『シンシン/SING SING』の最大の特徴は、主要キャストの85%以上が、シンシン刑務所で実際にRTAを経験した元収監者であり、物語のなかでそれぞれ本人役などを演じているということ。彼らの演技が活かされた内容は、SXSW(サウス・バイ・サウス・ウェスト)映画祭で「観客賞」を受賞したほか、ゴールデングローブ賞ではコールマン・ドミンゴが主演男優賞にノミネート。本年度アカデミー賞でも3部門でのノミネートを果たした。
日本でもSNSを中心に、感動の声が絶えない本作『シンシン/SING SING』だが、実話であるだけに、作品のなかで描かれていないこと、そして観客が考えなければならないものもある。ここでは、作品の裏に隠されたシンシン刑務所の受刑者の実情や、RTAプログラムのもたらす、更生を超えた芸術的な可能性について考えていきたい。
監督のグレッグ・クウェダーは、RTAの活動に関する記事を読み、コールマン・ドミンゴが演じた、本作の主人公のモデルであるジョン・“ディヴァインG”・ホイットフィールドの原案を基に、映画化に着手した。そして、こちらも本作で指導者のモデルとなり、ポール・レイシーが演じていた劇作家のブレント・ビュエルの協力を得て脚本を執筆したのだという。(※)
ドミンゴが演じる主人公である、刑務所内の愛称「ディヴァインG」は、長年収監されながら、刑務所の中でRTAプログラムの創立メンバーとして意欲的に活動しただけでなく、13もの小説、戯曲を書いて、その内3つが出版されたというクリエイティブな人物。彼の長い投獄生活の苦難と、元ギャングで問題児の愛称「ディヴァイン・アイ」(クラレンス・マクリン)が、RTAの取り組みとアートへの目覚めによって更生していく過程が、本作の主軸となっている。
アメリカでは、元受刑者が何らかの罪を犯し、1年以内に刑務所に戻ってくる割合が、43パーセント、3年以内の再犯率は66パーセントにものぼるのだという。しかし、RTAに参加した受刑者が刑務所に戻ってくる割合は、なんと3%だという脅威的なデータが発表されている。そもそも、読み書きができて刑務所が認めた囚人でなければ、RTAに参加できないことを考えると、もともと選ばれた囚人たちであるということが分かるように、その数字を額面通り受け取ることはできないが、それでもここまで再犯率が低いというのは、注目に値するのではないか。
ディヴァイン・アイと呼ばれたクラレンス・マクリン自身が演じる彼は、当初は所内で詐欺や脅迫までする人物だったが、次第にその素行は改善されていく。その大きな原動力となったのが、尊厳の回復だということが、劇中で示される。RTAは、アートの力が受刑者の人間性を肯定し、自分を大事にすることができ、他者を尊重する協調性が身につくと主張している。
劇作家のブレント・ビュエルは、本作を撮るにあたって、「ありきたりな刑務所ドラマにしてほしくない」と望んでいたのだという。受刑者を犯罪に及んだ特別な者として描くのでなく、あくまでそれぞれを人間として表現してほしいと。ディヴァインGやディヴァイン・アイ、マイク・マイク(ショーン・サン・ホセ)らは、それぞれ弱い部分をもった人間として、ステレオタイプに描かれていないことが、本作の特徴だといえる。
老朽化が深刻な問題となっているシンシン刑務所の雰囲気を再現するため、同じニューヨーク州の閉鎖された隔離施設で本作は撮られている。人間を排した所内のショットも、いくつも挿入されていて、そこには、何か修道院のような静謐さや荘厳さすら感じられる。そのように撮影されているのは、この場所で多くの受刑者らが自分の罪と向き合ってきたことを伝えたかったからなのかもしれない。
上演された多くの演目のなかで、タイムマシンが登場するコメディを選んだのも、グッドチョイスだ。コメディは、見てくれる人を喜ばせることが第一。他人の喜びのために奉仕することの充実感を知ることは、社会生活や人格の形成にとって重要である。このような人間性を獲得していくことこそ、RTAの本分だといえるだろう。