森下佳子は感情の深淵を描き続ける脚本家 『べらぼう』蔦重の“夢と別れ”の第1章を総括

大河ドラマ『べらぼう』(NHK総合)第16話終盤、主人公・蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)は、雪景色の吉原を歩いていた。源内(安田顕)からもらった名である「耕書堂」の名前とその意味を伝えていかないとと思いながら、降りしきる雪に手を伸ばす。

視聴者からすれば、源内の最期の時だったのだろう、彼が辞世の句を詠む場面において降っていた雪と重なってみえるその雪は、次の瞬間、紙吹雪に変わる。ここでもまた蔦重は、悲しい現実を夢に変えて見せるのだ。それが彼の流儀だから。今はいない、彼ら彼女らの流儀だったから。人々が見る「夢」を通して、その裏にある過酷な現実を描いてきた『べらぼう』の第1章は、「自らの思いによってのみ、我が心のままに生きる。我儘に生きることを、自由に生きるっていうのさ」と言い、人々に大きな夢を見せてきた多彩な男・平賀源内が、その大きくなり過ぎた夢に自分自身が飲み込まれるかのように死んでいく姿で幕を閉じた。
「源内先生みてえに、我がまま通して生きるほどの気概はねえし」と蔦重が言うように、「自らの思いによってのみ生きる」というのは、誰にとっても難しい。瀬川/瀬以(小芝風花)が蔦重とともに生きる道を選ばず鳥山検校(市原隼人)との縁談を受けたのは、伝説の花魁の名跡「瀬川」としての務めを全うすることを自らの宿命として受け入れたためだったことが象徴的だろう。それでも蔦重を想う心だけは捨てることができず、夫となった鳥山検校とはすれ違いの日々が続いた。

ある意味それは、源内の生き様と対照的である。なぜなら源内は、瀬川ができなかった「自由に生きる」ことを実践しながら、その末に、他人の肩書を羨ましく思ったり、どこかで悪口を言われているのではないかと疑心暗鬼になったりするうちに「正式に認められたい」という欲望の中で死を迎えることになったからだ。つまりは自分の心さえままならないのが人間というものなのか。『おんな城主 直虎』(NHK総合)や『大奥』(NHK総合)においてもそうだったが、森下佳子脚本は、どこまでも深く、人々の感情の深淵を描き続ける。
本作において、蔦重と登場人物との別れには「夢」の描写が不可欠だ。それは前述したように、幼い頃、朝顔(愛希れいか)から教わった「真のことが分からないなら、できるだけ楽しいことを考える」ことが、その後の蔦重の流儀になっているからである。平賀源内の死を描いた第16話においても「夢」が登場する。しかし、源内の場合は一風変わっていて、夢が彼の身体の内部に侵食する話なのである。本草学者、戯作者、鉱山開発者、発明家として、効き目の真偽のほどは分からないエレキテルはじめ、人々にあっと驚く「夢」を見せてきた彼は、次第に現実の中に夢を見るようになる。

混乱の末、田沼意次(渡辺謙)に「何が夢で、何が現(うつつ)だか」分からないと語るように。そしてその「人々が自分の悪口を言っている」という彼の現実の中に入り込んだ悪夢は、鏡となって、「何一つ成し遂げていない」と思っている源内自身の心の内を映し出してしまうのだ。そしてその得体の知れない夢の声に導かれるように彼が描いた「死を呼ぶ手袋」の物語は、本当に彼を死に至らしめてしまった。一方で、明るい夢も確かに存在したのである。源内の書いたその物語の中に。
大半が一橋治済(生田斗真)に燃やされた上に、1枚だけ残された草稿も田沼意次(渡辺謙)によってなかったことにされた、存在しない物語は、源内の見た「夢」でもある。それこそ「真のことが分からないなら、できるだけ楽しいことを考える」蔦重が見るような夢。なぜならそれは意次と「古き友なる」源内による「痛快なる敵討ち」の話なのだから。それに対して、あくまで源内を切り捨てた非情な老中として振舞う意次の言葉の中に「俺と源内との間には漏れてまずい話など山ほどある」という「古き友なる」源内との余人に代えがたい濃密な絆の証を見る。