『サンキュー、チャック』原作小説はどんな作品か? スティーヴン・キングが描く、人生のかけがえのなさ

『サンキュー、チャック』原作を読む

 5月1日公開の映画『サンキュー、チャック』は、スティーヴン・キングの中編小説「チャックの数奇な人生」を原作としている。大地震など自然災害が相次ぎ、世界規模でインターネットがダウンするなど、世界の終焉が近づいていた頃、チャールズ・クランツという人物に関する「三十九年のすばらしき歳月! ありがとう、チャック!」という広告を、テレビや街頭のあちこちで目にするようになる。会計士風の外見をしている彼は、べつに有名ではなく、世間に知られている存在ではない。いったい何者なのか。そのような謎から始まる小説だ。

 スティーヴン・キングといえばホラーの巨匠であり、映像化された作品は多い。『サンキュー、チャック』を監督したマイク・フラナガンも、以前に同じくキング原作の『ジェラルドのゲーム』、『ドクター・スリープ』を映画化した経験があった。キングは『シャイニング』や『IT』など、日本語訳では上下巻だったり4分冊だったり、大長編を多く発表してきた作家だ。それと並行して短編集、中編小説集もコンスタントに刊行している。

 キングの中編を映画化した『スタンド・バイ・ミー』の成功以降、彼が死や超常現象といった恐怖の要素をあつかいつつも、人間ドラマを書ける作家だということが広く知られた。小説「スタンド・バイ・ミー」は中編小説集『恐怖の四季』に収録されていたが、「チャックの数奇な人生」も人間ドラマに力点を置いた系譜の1作といえる。本作は『恐怖の四季』と同じく中編4作からなる『イフ・イット・ブリーズ』(原著は2020年刊)の1作であり、日本ではその前半2作を収録した『チャックの数奇な人生 イフ・イット・ブリーズ』(安野玲・高山真由美訳。文藝春秋)で読める(後半2作の日本語訳は『もし血が流れれば イフ・イット・ブリーズ』として5月に発売予定)。

 「チャックの数奇な人生」は、時系列が逆になった3部構成で書かれている。物語はいきなり「第三幕」から始まり、終末的な世界の状況とチャックの広告、そして彼本人の今が語られる。続いて、出張中のチャックが、ストリートパフォーマーのドラムにあわせて踊る光景を書くのが「第二幕」。さらにさかのぼり「第三幕」では、父母を亡くし祖父母に育てられる少年時代のチャックが、ダンスの楽しさとある現象に出会う。

 この小説は、時間を逆行する構成によって、人生のかけがえのなさを描く。終末を迎えようとしている世界において、頻繁に広告が流れているチャックは、なにか特別な人物であるかのようにみえる。彼は父母を失ったとはいえ、実直そうな外見の通り、人の道からはずれることのない、普通といえる範囲の人生をだいたい歩んできた。とはいえ、チャックだけの体験をしてきたという意味では特別だ。彼に限らず誰もが一人ひとりの特別を生きてきたのであり、そうした人々が生きる世界が終ろうとしているのだと、物語の最後で読者は気づかされる。そのような物語になっていると思う。

 キャリアを重ね70代になったキングが、人生のかけがえのなさを象徴するものとして、ダンスを描いているのが興味深い。チャックがムーンウォークをする場面など、読んでいるこちら側も高揚感を覚える。ふり返ればキングは、20代後半で執筆したデビュー作『キャリー』でも人生の貴重な瞬間としてダンスの場面を書いていた。

 いじめられっ子のキャリーが、同級生の男子と高校のダンス・パーティー(プロム)へ行く。ダンスの経験がない彼女は踊りたがらず、彼も無理強いしない。だが、その場の雰囲気にひと時だけ幸せを感じる(映画化では2人のダンス・シーンが加えられていた)。しかし、罠にはめられたキャリーは激怒して超能力を発動し……というホラー小説だった。作家活動の出発点で胸の高鳴り、幸福の象徴としてダンスをとりあげていたキングが、「チャックの数奇な人生」でまたダンスに着目し、今度は主人公本人を踊らせているのが楽しい。

 本作は中編集の1作だが、『チャックの数奇な人生 イフ・イット・ブリーズ』に収録されたもう1作「ハリガンさんの電話」についても触れておこう。同作も2022年に『ハリガン氏の電話』としてNetflixで映像化されている。

 大金持ちだが老いて地方に住むようになったハリガンのところで、朗読のアルバイトを始めたクレイグ少年が主人公だ。ハリガンからもらった宝くじが当選したクレイグは、その金で買ったiPhoneを老人にプレゼントする。亡くなったハリガンが埋葬される際、クレイグは遺体にそのiPhoneを密かに持たせた。老人の声が聞きたくなった少年は電話をかけ、「いま電話に出られません。必要と判断すれば折りかえします」と録音された応答音声を耳にする。ほどなくして、老人からくるはずのないメッセージが、自分のスマホに届く。その後も、墓の下でもう機能しなくなったはずのハリガンの電話としばしばやりとりが行われ、不可解な出来事が起きる。

 「ハリガンさんの電話」は、「チャックの数奇な人生」に比べればホラー色が濃い内容だ。とはいえ、怪現象自体が派手に描写されるわけではなく、生前の老人と少年の間にあった友情のような独特な関係が、なんらかの形で続いているらしいというのがポイントである。答えが戻ってくるはずがないとわかっているつもりでも、母が亡くなってから2人で暮らす父や先生、友だちなどにはいえないことを、死んだ老人の電話にむかって喋ってしまう。そんな自分をハリガンの電話が受け入れてくれることを、クレイグは必ずしもよいことだとは感じていない。少年のその切ない心情が、物語の中心にある。恐怖の現象以上に人の心の持ちようがテーマになっている点は、「チャックの数奇な人生」と共通する。

 2作を収録した『チャックの数奇な人生 イフ・イット・ブリーズ』は、キングの円熟した人間観察眼と小説技巧が味わえる1冊だ。

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