四十五歳・主婦の過去にある複雑な事情とは? 寺地はるな『ぬすびと』は静かに心に沁みこんでいく物語

どうして寺地はるなの小説は、静かに心に沁みこんでいくのだろう。寺地作品を読むたびに、そんなことを考えてしまう。本書もそうだ。ページが進んでいくにつれ、物語が染み入り、心の中の柔らかな部分に落ち着く。きっといつまでも、そこから動くことはない。そういいたくなる作品である。
主人公の鳴海は四十五歳。五年前から会員制の高級ジム『ヘルスアンドウェルネス』で清掃の仕事をしている。ひとつ年上の夫の暖は、今は日雇いの警備の仕事をしている。暖は美貌の持ち主だが、人間関係が原因で、何度も転職をしていた。子供はおらず、ふたりで築四十年の借家で暮らしている。生活は楽ではないが、そんなものだと思っていて、たいした不満はない。同じような毎日を過ごしていたが、その日は違いがあった。家に見知らぬ女性が訪ねてきて、先に帰っていた暖に、あれこれ話を聞いたようだ。さらに鳴海の携帯に、二十五歳で「なぐも製菓」の社長になった、南雲栄輝が連絡をしてくる。鳴海は若い頃、五歳の栄輝の子守として、南雲家に雇われていたが、ある出来事によって辞めさせられた。二十年ぶりに栄輝の声を耳にした鳴海だが、彼は母親が見つからず、晴美に会いにいったのではないかと聞く。そして、そんなことはないという鳴海に、「あなたは母の、大事なものを盗んだ人間だから」というのだった。また、暖が貰った名刺から訪ねてきた女性は、栄輝の婚約者らしい磯川麗菜であることも明らかになる。
という発端で読者の興味を掻き立てた作者は、時間を二十年前に巻き戻す。二十五歳の鳴海は、ひとつ年下のエミリと一緒に『セーヌ川』という、昭和の香り漂う喫茶店で働いていた。エミリに来た子守の仕事を譲ってもらった鳴海は、経歴を偽って南雲家に行く。そこには南雲家の婿で社長の忠雄、妻の彌栄子、息子の栄輝がいた。幼稚園児だが問題行動が多く、ほとんど登園していない栄輝と、すぐに仲良くなり(ただし心の中では悪態を吐きまくっている)、すんなり子守に採用された鳴海。育ちがあまりよくなく、思ったことを率直にいう彼女は、泥棒騒ぎが起こったとき、彌栄子に助けられた。なぜか彌栄子に気に入られ、立場の違いを意識しながらも、それなりに楽しく働いていく。やがて、なにも出来ないお嬢様のような彌栄子は、環境に抑圧された結果であり、芯に強さがあることに気づく。訳あってよそよそしい忠雄を別に、鳴海・彌栄子・栄輝の関係は良好だ。しかし、あることを切っかけに、鳴海は南雲家を引っ掻き回したとされ、彌栄子たちとの縁は途絶えたのである。
育ちも立場も違うふたりの女性が、しだいに心を通わせ友人になる。こう書くと、女性同士の連帯や絆を描いた、シスターフッドの物語と思われるかもしれない。だけど、そのような分かりやすいレッテルを張る気にはなれないでいる。なぜなのか。女性同士だからどうだというわけではなく、人間同士の繋がりを描いているからだろう。
本書の主要登場人物は、誰もが欠けた部分を抱えている。何も出来ないという鋳型に嵌められてきた彌栄子は、鳴海という異質な存在により、自分を徐々に変化させていく。問題行動が多く、癇癪ばかり起こしていた栄輝も同様である。一方の鳴海も、読んでいるうちに、どこか世間とずれた感覚を持っていることが浮き彫りになっていく。彌栄子や栄輝に好意はあるが、複雑な感情も抱いている。そんな鳴海と彌栄子が、パジャマパーティーを行い、オクラホマミキサーを踊る。欠けた部分を補い合うわけではない。でも、手を繋ぐことは出来る。なんて美しいシーンなのかと、胸を打たれた。
しかしその幸せな時間と空間は、すぐに失われる。以後の展開は、是非とも本を読んで知ってもらいたい。だが、ちょっとだけ書いてしまってもいいだろう。物語が現代に戻ると、止まっていた時間が動き出し、読者が期待していたラストが訪れるのである。
今の社会に馴染めない人、家庭・学校・会社などで上手くいかない人。自分になにか欠けた部分があり。孤独に生きるしかないと思っている人。そんな人にこそ、本書を読んでもらいたい。きっとどこかに手を繋げる誰かがいると、信じられるようになるのだから。

























