大ヒット作『マップス』を生んだ徳間書店・田代翠 児童編集者として大切にする、代々受け継がれてきた言葉とは?

世界40か国以上で読まれ、日本国内では累計30万部を突破した『マップス 新・世界図絵』(以下『マップス』)。大判の紙面いっぱいに国や文化、自然や生きものを描き込み、子どもから大人までを魅了し続けるこの大型ビジュアルブックを日本に届けた編集者がいる。徳間書店・児童書編集部の田代翠氏だ。大学院で進路に迷っていた20代のある日、神保町の古本屋でふと手に取った一冊の児童文学。それが、自分の原点にあった“読書の感情”を鮮やかに呼び覚まし、児童書編集者として生きる道を決定づけたという。
膨大な調査、国境を越えた著者との直接交渉、政治的にデリケートな地図表現との向き合い方──『マップス』が日本版として完成するまでには、想像をはるかに上回る試行錯誤があった。情報が氾濫する時代に、子どもたちの「はじめて出合う知識」をどう支えるのか。“情報の整理と提示”に情熱を注ぐ編集者は、どんな哲学で本をつくり続けているのか。
本づくりの原点から『マップス』誕生の裏側、そして児童書編集者として大切にしていることまで──田代さんの歩みをじっくりたどる。
児童書編集者を志した原点 読んだ気持ちが鮮明によみがえった日

──まず、編集者を目指したきっかけから教えてください。
田代:大学院に進んだ頃、将来どんな仕事をして生きていこうか、すごく迷っていた時期がありました。そんなとき、神保町にある子どもの本専門の『みわ書房』さんにふらっと入ってみたんです。そこで子どもの頃に読んだ本を手に取った瞬間、内容そのものよりも、“読んだ時の気持ち”が鮮明によみがえってきたんです。
「ああ、私にとって大事なのはこれだ」と思いました。大学では社会学部だったのですが、「自分にはこれをやりたいという柱がない」とずっとモヤモヤしていたんですね。そのとき、子どもの本をつくることが自分にとって大切なテーマだ、と直感しました。
──その時に出合った本、覚えていますか。

田代:森忠明さんの『ぼくが弟だったとき』(秋書房)という作品です。戦後間もない立川を舞台に、脳腫瘍で亡くなる姉との思い出を回想する物語です。家にあったわけではなく、住んでいたマンション内の共有スペースにあった「文庫」(本を持ち寄る私設図書館)で借りた本でした。
小学生の頃、「文庫」から毎週5冊本を借りるのが習慣でした。クラスには文字の多い本をすらすら読む子もいましたが、私はそこまでではなく(笑)。でも確かに“本が生活の一部にある子ども”だったと思います。その文庫の記憶と一緒に、『ぼくが弟だったとき』を読んだときの気持ちが一気に戻ってきて、「私は子どもの本に関わる仕事をしよう」と思い込んでしまったのが始まりです。
児童書編集者までの道のり
──その後、どのように編集者になったのですか。

ただ、小さな会社だったため編集部のポストが空かず、5年半ほど制作部で働いた後に転職を決意し、別の出版社で契約社員として編集の仕事を始めました。
──そこから徳間書店へ入社されたんですね。
田代:以前の職場の同僚が徳間書店に転職していて、「子どもの本がやりたいんです」と話していたら声をかけてもらえました。そこから徐々に、児童書の翻訳書や大型企画にも関わるようになりました。
海外ブックフェアで見つけた大ベストセラー

──そして、現在でも人気となっている『マップス』を編集されることになります。
田代:徳間書店の児童書編集部は翻訳ものを多く扱っていて、海外のブックフェア(ボローニャ・フランクフルト)に毎年買い付けに行くんですね。私もありがたいことに年に2回同行させてもらっていました。海外の本を日本語版にするそのプロセスにすごく興味があって、その中で出合ったのが『マップス』でした。
──最初の印象はどうでしたか。
田代:読まなくても眺めるだけで世界が広がっているし、見開きにぎっしり情報が詰まっている。圧倒的なパワーのある本だと感じました。社会科や地理が好きな子は絶対にハマるし、絵のスタイルにもユーモアがあって魅力的。ただ、大型すぎるし分量も膨大で、「本当に日本で出せるの?」とすぐに決断はできずにいたんです。
──どうやって出版が決まったのでしょうか。
田代:紙面のPDFだけでなく、海外から見本を取り寄せて、編集部と営業で書店さん・図書館流通センター(TRC)に持ち込んで意見を聞いたんです。すると「面白い」「図書館なら入れてくれそう」といったポジティブな反応が意外と多かった。そこで「少なくとも赤字は避けられる」と判断でき、版権交渉に踏み切りました。
ただ、価格帯や判型については最初とても厳しい意見もあって。「書店では大きすぎて置けない」「高くて売れない」と言われて落ち込んだりもしました。でも、事前に書店員さんの声を聞いて準備できたことは本当に大きかったと思います。
■「細部まで口を出したい」という条件
──版権交渉ではどんなことがありましたか。
田代: 原出版社と直接やり取りすることが条件に入りました。通常はエージェントが入ることが多いのですが、「フォント・文字サイズ・日本語組版を著者が確認したい」と。最初は「直接やればいいんでしょ」と軽く考えていたのですが……これがまあ大変で(笑)。
フォント案を送ると「このニュアンスじゃない」と指摘が返ってくる。いざフォントが決まったあとも、「ここを何ミリ動かして」など、かなり修正が多かったです。また、国名を著者本人が手書きすることにもなっていたので、たとえば「コ」と「ユ」の違いなど細部を説明して修正してもらうこともありました。

──翻訳もかなり大変そうですね。
田代:想像以上でした。『マップス』は長文ではないのですが、単語の意味を正確に調べないと訳語を決められない。料理名は“スープ”なのか“煮込み”なのか、実物を知らなければ判断できません。
ネットには誤情報も多いので、各国の大使館・専門家・ネイティブスピーカーの方々に直接聞いて確認しました。カタカナ表記も、伸ばす、伸ばさないなど細かく統一しています。

──地図表現は政治的にデリケートですよね。
田代:領土問題がある地域は特に大変です。ある国の大使館に聞いたとき、「この地図はうちの国の公式見解と違うので監修できません」と断られたこともあります。著者も「地図が政治的にこんなに大変だとは思わなかった」と話していました。

──どれくらいの期間で作られたのですか。
田代:編集期間は約半年です。海外印刷のスケジュールが決まっていて、〆切に遅れると印刷ラインに入れない。しかも印刷はポーランド、輸送は船で100日かかります。完全に“待ったなし”の状況でした。社内外の多くの方に協力いただき、なんとか間に合わせました。
■初版1万部が瞬時に消えた

──日本版発売時の反響はいかがでしたか。
田代: 初版は1万部でしたが、発売前から注文が多く足りなくなり、すぐに重版が決まりました。ポーランドからの船での輸送を待てず、数百冊だけ空輸したこともあります。発売直後の営業にかかってくる電話のほとんどが「マップスはまだ入らないの?」だった時期もあったと聞いています。
──著名人にもファンが多いそうですね。
田代:新海誠監督の『君の名は。』の登場人物の部屋の背景に『マップス』が描かれていたり、ドウェイン・ジョンソンのSNSで自宅の写真に映り込んでいたりして、発見した著者のダニエル夫妻もとても喜んでいました。来日イベントでは、書店向けのトークショーや子ども向けワークショップも開催しました。お二人は漫画やアニメといった日本文化が大好きで、秋葉原や中野を自分たちで巡り、プラモデルを大量に買っていたのが印象的です。
■児童書編集者に大切なこと

──編集者として心がけていることは?
田代:「人の意見を聞く」ことです。編集部内を含めだけで閉じず、多くの人に見てもらうと、自分では気づかなかった“引っかかり”を指摘してもらえる。ただし、惑わされすぎないことも大事で、最後は自分の中で腑に落ちる判断をするしかありません。
そして、ネットに頼りすぎないこと。情報は溢れていますが、間違った情報も多い。専門家や現地の人に直接聞く──これは児童書では特に重要です。
──なぜ“特に”なのでしょうか。。
田代: 子どもにとって、その本が“初めて知る世界”になるからです。入り口として間違った情報を渡すわけにはいきません。徳間書店の児童書編集部では「どんなに良くても、良すぎることはないという言葉をずっと大切に、丁寧な本づくりを続けています。
──今後編集者としてやりたいことを教えてください。
田代:情報が溢れる時代だからこそ、大切なことを楽しく眺めて知る、本からさらに自分で調べたくなる──そんな本をこれからも編集していきたいと思っています。情報をどう整理し、どう提示するか。そこに強い興味がありますし、「丁寧すぎるほど丁寧につくる」ことを常に念頭に、子どもも大人も楽しめる書籍を編集していきたいです。
























