なぜ令和の若者は「報われ消費」をするのか? 文芸評論家・三宅香帆の新刊『考察する若者たち』が明かすもの

なぜ令和の若者は「報われ消費」をする?

 三宅香帆の新刊『考察する若者たち』(PHP新書)が話題を呼んでいる。三宅といえば、2024年に刊行した『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書、以下『なぜ働』)が30万部を超えるベストセラーとなって新書大賞にも輝いた、いまをときめく文芸評論家だ。今回の新刊について、三宅はその『なぜ働』以来の気合の入れようで書いた「精神的な続編」だと語っている。

 では、この新刊はいったいどんな内容なのだろうか? かんたんに紹介しよう。

平成から令和へ

三宅香帆『考察する若者たち』(PHP新書)

 まず、本の帯文にもあるとおり、この本でメインとなる謎は「なぜ令和の若者は『正解』を欲しがるのか?」である。これを探るため、三宅は「平成から令和へ」の変化をいくつもの角度から検証する。各章のタイトルを順番に並べると、〈批評から考察へ〉、〈萌えから推しへ〉、〈ループものから転生ものへ〉、〈自己啓発から陰謀論へ〉、〈やりがいから成長へ〉、〈メディアからプラットフォームへ〉、〈ヒエラルキーから界隈へ〉、〈ググるからジピるへ〉、〈自分らしさから生きづらさへ〉。どのフレーズも、平成から令和で若者のあり方がどう変わったのかをズバッと言いあらわす印象的なものだ。

 では、その変化とはざっくりどのようなものか。第1章の〈批評から考察へ〉を見てみよう。いまYouTube動画などで流行し、ドラマやアニメのヒットの鍵を握るとも言われている「考察」。三宅いわく、それは〈作者が作品に仕掛けたものとして謎を解こうとする行為〉だ。それに対して、「批評」とは〈作者すら思いついていない作品の謎に対して解釈を提示すること〉となる。

 具体例を考えるとわかりやすい。三宅の挙げる例をそのまま引くと、『となりのトトロ』を見て、〈じつは宮崎駿は、“サツキとメイはすでに死んでいる”という設定を潜ませているのだ〉と考えるのが「考察」。それとはちがい、〈じつは“サツキとメイは幼いうちに日本で戦争によって亡くなった子どものメタファー”として捉えられる〉と考えるのが「批評」。〈考察には「正解」がある〉のに対して、〈批評には「正解」がない〉とも三宅は書いている。明快な解説である。

 三宅は、「考察」が流行している理由を「報われ消費」という言葉で説明する。つまり、せっかく時間をかけてコンテンツを鑑賞するのだから、「正解」を知ることができた(あるいは当てることできた)というわかりやすい報酬がほしい、というわけだ。逆に、「正解」も教えてくれないのに自分の感想ばかり押しつけてくる「批評」はうっとうしい。「それってあなたの感想ですよね?」というやつである。

 そんなわけで、第1章〈批評から考察へ〉の内容とパラレルに、その他の章でもさまざまな令和現象がつぎつぎと「報われ消費」として解説されていく。これで「正解」を知りたい若者たちの気持ちも令和コンテンツの傾向と対策も完璧に解き明かされた……というわけにはもちろんいかない。このままだと、帯文の「なぜ令和の若者は『正解』を欲しがるのか?」という問いは、「なぜ令和の若者は『報われ消費』をするのか?」と言い換えられただけで、ほぼ未解決のまま残ってしまうからだ。

なにが「報われ消費」を引き起こしているのか

 さきほど、『考察する若者たち』の各章タイトルを一気に並べて書いた。飛ばし読みしたひともいるかもしれないので、ここであらためてリストを眺めてみてほしい。なんとなく、すべての変化が並列の関係にあるように見えるのではないだろうか?

 そんなことないよ、と思ったあなたは鋭い。ここでネタバレすると、じつは第6章〈メディアからプラットフォームへ〉が、それまでの章で紹介された変化の要因を説明する構造になっているのだ。三宅が説明するとおり、プラットフォームとは〈GoogleやYouTubeやTikTokのような情報を出す場を運営する企業側のこと〉だ。プラットフォームはそれぞれのアカウントに対して、〈「このひとに観られそう、読まれそう」なものを上位に出す〉システムである「レコメンド・アルゴリズム」を駆使する。

 では、プラットフォームのアルゴリズムはどのようなかたちで「報われ消費」と結びつくのか。それについての三宅の立論はじっさいに本を読んで確かめてみてほしい。この「プラットフォームが社会や経済のあり方をどう変えたか(あるいは変えていくか)」という大問題は、先駆としては三宅自身がこの章で引いている東浩紀『一般意志2.0』(講談社文庫)で論じられたものでもある。最近だと、その続編という側面もある東浩紀『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)、あるいは宇野常寛『庭の話』(講談社)や福嶋亮大『メディアが人間である』(blueprint)もこの問題を扱っていて、どんな切り口でどこまで説得力をもって論じるかに著者のスタンスと力量があらわれる。他にも世界的に話題になった本で言えば、ショシャナ・ズボフ『監視資本主義』(野中香方子訳/東洋経済新社)やヤニス・バルファキス『テクノ封建制』(関美和訳/集英社)がこの流れで挙げられるだろう。三宅は「令和の流行コンテンツ」という観点からそこに切り込むのだ。

 そんなわけで、「なぜ令和の若者は『正解』を欲しがるのか?」という謎に対する三宅の答えは「プラットフォーム」である。でも悲しいことに、謎が解けても人生は終わらない。「プラットフォームに覆われた世界で『正解』を欲しがってしまう若者やわれわれは、はたして幸せなのか?」という次なる問いが出てきてしまうからだ。もうすこしだけ話はつづく。

プラットフォームと格差と

 「『正解』を欲しがってしまうわれわれは、それで幸せなのだろうか?」という新たな問いへの三宅の回答は、終章〈最適化に抗う〉で示される。この章には三宅の熱いメッセージが込められている。

 ここでは一部を切り取って紹介しよう。三宅は〈もし正解を当てることに飽きがやってきたなら――私は「批評」的な視点をもち込んでみることを選択肢に入れてもいいのではないか、と思う〉と述べる。なぜなら、「正解」ばかり追い求めていると〈自分の好きなものや自分自身の感情がわからなくなって〉しまうからだ。それが令和の若者がもつ「生きづらさ」の原因であるなら、アルゴリズムのおすすめや周囲が期待する「正解」から離れて自分自身の固有性を大切にするために、処方箋となる〈本や雑誌を読む〉や〈一人で夜更かししてみる〉といった行動を実践してみよう。そんな提案でこの本は閉じられる。

 これ対して、「いやわかるけど、本を読めば生きづらさが解消するのかよ!」と思うひともいるかもしれない。それにそもそも、本を読んだり夜更かしをしたりするのは時間的・経済的余裕があるひとにしかできない「贅沢」なのではないかと。ちなみに、このツッコミは最近話題の「令和人文主義」批判ともすこし重なるところがある。

 三宅にとってもそのツッコミは想定内だ。あとがきで、〈やはり今回書いたようなエンタメが流行する背景には、若い世代の貧困や経済格差の拡大といった問題があると思います。[……]そういった社会の経済的な問題を解決することも、大人として一つひとつ努力すべきだなと〉と彼女は述べている。

 もちろん、読書でも他の趣味でも自分の好きなことに向き合える人生は幸せだろう。自分もそういう人生を送りたい。そのための余裕を個人の工夫や努力でどうにかゲットすることも大事だと思う。しかし、それだけでは解決しない問題があること「も」、三宅はわかっている。『考察する若者たち』をじっくり読みながら、彼女の今後にも注目していきたい。

■書誌情報
『考察する若者たち』
著者:三宅香帆
価格:1,100円(税込)
発売日:2025年11月14日
出版社:PHP研究所

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