カツセマサヒコが明かす、恥ずかしい思い出との向き合い方「時間が経って、距離を取ることで喜劇になる」

カツセマサヒコ初エッセイ集のインタビュー
カツセマサヒコ『あのときマカロンさえ買わなければ』(光文社)

 映画化された『明け方の若者たち』で小説家としてデビュー。その後も『夜行秘密』『ブルーマリッジ』『わたしたちは、海』などの話題作を発表しているカツセマサヒコが、初のエッセイ集『あのときマカロンさえ買わなければ』(光文社)を上梓した。

 女性向けファッション誌「CLASSY.」の連載コラムに大幅な加筆を加えた本作。連載スタート当初は“やっぱりモテたいよね”というテーマがあったそうだが、カツセ自身の過去のエピソード、結婚や引っ越しなどリアルタイムで起きた出来事を含め、“作家・カツセマサヒコ”が立体的に浮かび上がる1冊に仕上がっている。

 初めてのエッセイ集に対して彼は、どんなスタンスで臨んだのか? カツセ自身の言葉で語ってもらった。

「自分の人生はとにかくつまらないと思ってるんです」

カツセマサヒコ氏

——初のエッセイ集『あのときマカロンさえ買わなければ』の刊行、おめでとうございます。2021年に雑誌「CLASSY.」で連載が始まったときは、どんなテーマがあったんですか?

カツセマサヒコ(以下、カツセ):当時から女性誌は「“男ウケ”はやめましょう」という空気が出始めていて。そのことを踏まえつつも、本心では「とはいえ、モテたいよね」みたいな欲もあるんじゃないかと思っていたんですよね。それは別に恋愛対象に限った話だけではなく、もっと広い意味で人から好かれたいと願うのは全然おかしいことではないし、その気持ちは時代の流れで変化するようなものではないんじゃないかなと。

——なるほど。女性読者に向けてエッセイを書くことについてはどう思っていましたか?

カツセ:僕自身、ファッション誌はもうほとんど買わず、美容院でパラパラめくるものというイメージがありまして……(笑)。そういうシーンで偶発的に僕のエッセイを目にする方もいるだろうし、サクッと読めて、軽快で、「なんか面白かったな」と思ってもらえるものにしようと決めていました。タイミング的には最初の小説(『明け方の若者たち』幻冬舎、2020年)を出した直後で、「これから小説家として硬派にがんばっていくのかな」という時期に、「ライトな文章でお願いします」という依頼が来たのも面白いなと。ただ、僕はWebライター出身なので、紙媒体でカッチリと文字組みが決まっていること自体が初めてだったんですよ。そこに苦戦したこともありますし、エッセイ自体への苦手意識もありました。今もそうですけど、エッセイは本当に難しいです。

——カツセさんにとって、エッセイの難しさとは?

カツセ:当たり前ですけど、エッセイは自分の生活や人生がもとになることが多いじゃないですか。それを読んでもらえるように整えるわけですけど、大前提として、自分の人生はとにかくつまらないと思ってるんです。行動力のなさ、好奇心のなさ、欲求のなさがその理由なんですけど、「この1か月、何か面白いことありました?」と言われても何も出てこない(笑)。アンテナが自分に向いてないというか。振り返ってみると、小学生の頃も「学校どうだった?」と聞かれても「べつに、普通」としか答えないタイプで。

——(笑)。そういう人、意外と多いと思います。

カツセ:エッセイが得意な方は、そういうときも「こんなことがあって、こう思って」と話せる人だと思うんですよ。僕はそうじゃなくて、喜びや怒りや悲しみが沸き上がっても、それを保存しておけなくて流れていってしまうんです。もともと交流関係も広くないし、面白いことや事件なんてそうそう起きないじゃないですか。なので「まずは目の前のことを書くしかないな」と思ってましたね。

——大きな事件は起きないし、人生はつまらない。そういう価値観のカツセさんにしか書けないエッセイになっているのが、この本の魅力だと思います。冒頭の“マカロン”の話もそう。知り合いの美容師が独立したのでお祝いにマカロンを買っていったんだけど、髪を切った後で料金を払おうとしたら、お金が足らなかったという。

カツセ:そのエピソードは社会人になりたての頃の話なんですけど、あまりにも恥ずかしくて、10年くらい誰にも言ってなかったんですよ。でも、あるときに友達3~4人と飲んでたら、ものすごく恥ずかしい自分の話をゲラゲラ笑いながらしている奴がいて。「今なら言えるかな」と思って、マカロンの話をしたら、ウケたんですよ(笑)。それがトリガーになったところもあって。悲劇や恥ずかしい話も、時間が経って、距離を取ることで喜劇になるというか。

——恥ずかしい話がエッセイの種になる、と。

カツセ:連載中も、自分の恥ずかしいことを掘り返してたところがあって。書いてるときは楽しいんですけど、どこか身を削るようなところもあったと思います。あと、日常で「恥ずかしいな」と感じる瞬間を大事にするようになりました。エッセイにできなかったとしても、小説のなかで書けるかもしれないし。エッセイは“0→1”が本当にあったことで、それを整えていく作業。小説は“0→1”が創作で、それを本当らしく書くので、方向としては逆なんですけどね。この本の最後に入っている「ある平日」なんかは、もはやエッセイというより日記なんですよ。“作品として読ませる”ということをほとんどやっていないので。

——ノンフィクションとフィクションの境目、意外と曖昧なのかも。

カツセ:そうですね。あとは、連載をまとめて一冊にするにあたって、全編書き直しています。句読点の位置だったり、言い回しだったり。連載が始まってから4年くらい経ってるので、「さすがにもうちょっと成長してるよな、文章」と思ったし、できるだけアップデートしたくて。おそらくすべての作家がそうだと思うんですけど、締め切りがあるから完成としているだけであって、それがなければずっと直し続けるような気がします。

「『作る側の人間にならなければ、人生はつまらないだろう』と思い込んでいたんです」

——“声出し解禁ライブに行った”など、時代を感じさせるエピソードも。

カツセ:そこはちょっと悩んだところでもあって。時代性よりも普遍的な内容のほうがいいのかなとも思ったんですけど、コロナに関しては「忘れたくないな」というエピソードがいくつかあったので、残しておこうと。“声出し解禁”ライブもその一つですね。Mr.Childrenがずっと好きなんですけど、ミスチルの30周年ライブはまだ声出し禁止だったんですよ。7万人のライブで、みんなマスクしてて、声出しちゃダメで。そういう時代があったんだよな、というのも忘れたくないんですよね。

——お子さんが誕生したり、引っ越したりと、この数年間におけるカツセさんご自身の生活の変化も描かれていますね。

カツセ:そうですね。1冊目のエッセイ集ということで、こだわりたかったというか。何を持ってすれば1冊目として誇れるものになるだろう? と考えたときに、読んでくれた方と“初めまして”ができる本にしたいなと。これまでの自分の変遷みたいなものをーーダイジェストではありますけどーー感じてもらうことで、より作者の等身大に近いエッセイ集になるのではないか、と。連載中は、プライベートな話題はほとんど書いてなかったんですよ。自分の子どもの話をしたところで「CLASSY.」の読者は面白くないだろうし(笑)。でも、自分の本として出すのであれば、日々の生活と地続きに思える作品にしたかったんですよね。今までは自分のプライベートな部分をあまり出してこなかったので、『明け方の若者たち』や『夜行秘密』で僕のことを知ってくれた人が(エッセイを読んで)「こんな人だと思わなかった」と思われたらどうしよう? ってドキドキしてます(笑)。

——このエッセイをきっかけにして、カツセさんの小説を手に取る人もいると思います。「下北沢で文字を書く」の章では、カツセさんが会社を辞め、書くことを仕事にしはじめる時期のことが記されています。20代の頃“クリエイティブに関わる人になりたい”という気持ちとどう付き合っていたんですか?

カツセ:付き合っていたというか、付きまとわれていた感じですね。どうしてそこまで強迫観念みたいなものがあったのかわからないですけど、「作る側の人間にならなければ、人生はつまらないだろう」と思い込んでいたんです。社会人になって、みんながそう思ってるわけではないと知り、「どうして自分はこんなに、作り手に憧れているんだろう?」と足掻いて足掻いて。それが自分の20代だったわけですけど、長い初期衝動があったから「明け方の若者たち」が書けたんじゃないかなと。小説家としてデビューしてなければ、エッセイの依頼も来てないだろうし。

——小説家としてデビューするきっかけが、「胸キュン妄想ツイート」に代表されるSNSの投稿だったのもよく知られています。

カツセ:振り返ってみると、本を出す前からあれだけのアテンションを集められる状況があったのはラッキーだったと思います。時代というか、時の流れというか、今同じことをやっても、ああいうことは起きないだろうし。まあ、今の方が幸せなんでそれでいいです(笑)。

——素晴らしい(笑)。それは“なりたい自分になれた”という実感があるからでしょうか?

カツセ:今こうやってインタビューを受けている状況も、10代、20代前半の自分からすれば本当に恵まれている状況にあります。でも、今は今でやっぱり満たされないものもちゃんとあって。目標とか夢とか、それこそ口に出すのは恥ずかしいですけど、そういうものをずっと追いかけ続けるんだろうなと。「これでアガりだ」みたいな気持ちはまったくないです。

——「アガりだ」と思ってたら、エッセイで「メルカリで自分のサイン本が売られてて……」みたいなことは書かないですよね。

カツセ:確かにそうですね(笑)。ただ、平日の午後3時過ぎとかに子供が帰ってきて、一緒にゲームやったり遊んだりしてるときに「もうこれでいいな」と思うことがあるんですよ。これが一生続けばいい、何も取り上げないでくれと思うんですけど、そういう幸せな瞬間と「もっと高みを目指したい」という気持ちは両立するんですよね。幸せだからもう何も要らないかと言えば、決してそんなことはなくて。自分のなかに満たされない何かがずっとあるし、書きたいこともあるので、そこに情熱を注いでいくだけだなと思ってます。

「恥ずかしいこと、いくらでもありますからね」

——この本でも書かれてますが、友達が離婚したり、「いろいろあったよ」という言葉が似合うようになったり、人生は続きますからね。

カツセ:30代後半になって特に思うんですけど、みんなが抱えている悩みがどんどんデカくなってるんですよ。いろんな問題に直面するなかで、新たな自分に出うだろうし、知らなかった友人の姿を目の当たりにすることで、それが次の作品につながることもあるんだろうなと。

——この本の最後の一文が「恥ずかしい人日々は続く。」なのも印象的でした。

カツセ:恥ずかしいこと、いくらでもありますからね。つい最近もありました。運転免許の更新で免許センターに行ったら、「そこ(証明写真ボックス)で写真を撮ってください」と言われて。何の準備もしてなかったから、1回家に帰って、ちょっと身なりを整えてきたんです(笑)。戻って写真を撮ろうとしたら、“キレイモード”と“普通モード”があって。ここはキレイモードだろうと思ったんですけど、そっちの料金は1100円で、財布を見たら1000円しかなかったんですよ。100円を取りに家に戻るのもな……と思って普通モードで撮ったら、すごく人相が悪くて(笑)。その一連の行動、全部恥ずかしいじゃないですか。

——(笑)。ネタはたくさんありますね。「自分の恥ずかしさ」にしっかり目を向けられることは、やっぱりカツセさんの強みだなと。

カツセ:そうかもしれないです。エッセイを1冊書いて感じたのは、ずっと読み手の機嫌を伺っている気がして。「ここから面白くなりますよ」「ここまでどうでした? 面白かったですか?」みたいなことをずっとやっているんですよ。次からは、そういう読者の目を気にせずに書くことにも挑戦したいと、今は思ってます。

——サービスし過ぎというか。

カツセ:レストランで例えると、ずっとシェフが横に立ってて「美味しいですか?」みたいな圧をかけてるというか(笑)。そうじゃなくて、見た目は素朴だったり、さりげないんだけど、食べたらしっかり美味しいというのが理想的だなと。そこはこれから目指したいところだし、自分のなかでまだまだ満足できてない部分でもあります。あとは、エッセイを書いたことで、小説にもいい影響があると思っていて。大した事件ではなくても、細やかに感情の変化を書くことで、面白く読めるものになる。そういうリアリティは小説も活きてくると思いますね。

■書誌情報
『あのときマカロンさえ買わなければ』
著者:カツセマサヒコ
価格:1,540円
発売日:2025年10月22日
出版社:光文社

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