岡田将生、妖艶な表情はいかにして培われたのかーー『昭和元禄落語心中』の名演を振り返る

紛れ込んだ異音は笑いで鎮圧する名人芸
和楽器のあるなしにかかわらず、日本の古典芸能はどれも音楽的な舞台芸術だ。役者の側で楽器(能楽なら地謡も)が囃し立てる能楽や歌舞伎はわかりやすいが、噺家の話術で見せる落語は、落語家が高座に上がる時に演奏される出囃子の三味線だけではなく、客席から湧く笑い声や静寂などの環境音まで取り込んでしまう。雲田はるこが原作漫画『昭和元禄落語心中』で造形した主人公の名人・八代目 有楽亭八雲は、こうした音を自在に操る妖術的達人だ。
前座が終わり、名人が高座に上がる。客席の人々は思わず襟を正す。名人が座布団に座る間もゴクリと唾を飲み込む。滑らかでありながら凄みがある第一声を耳にした途端、名人が発する声以外はその場から完全に遮断される。一声も聞き漏らしちゃいけない。張り詰めた緊張感と静寂。その無音を最良の味方に、八雲は至高の話芸で客席をうならせる。
原作の第2巻序盤に音のドラマが展開する名場面がある。八雲の独演会での一幕。元ヤクザながら八雲の内弟子になった与太郎が、前座でおお恥をかいたあげく、師匠の高座中に舞台袖で眠りこける。いつものように高座と客席が緊張と静寂の共犯関係で繋がる中、与太郎の大いびきが聞こえる。紛れ込んだ異音をどうしたか。即興的に噺の描写に取り込んだ八雲が客席の笑いを誘ってたちまち鎮圧する名人芸。終演後、与太郎は破門を言い渡される。八雲が乗る人力車にしがみつく与太郎。「聞き分けろ」と突き放す八雲の心は凍てつく。緊張と静寂が同居する雪景色が名場面の余韻として美しい。
静寂の雪景色が印象的なNHK作品
2018年に全10回が放送され、現在毎週日曜日に再放送されているテレビドラマ『昭和元禄落語心中』(NHK総合、以下、『落語心中』)第1話終盤に、上述した雪景色の場面がある。人力車から自動車に車両が置き換わり、岡田将生演じる八雲がピシャッとドアを締めきることで、場面の緊張と静寂の対比は強まる。八雲が「だしとくれ」と運転手に命令する時、車内のくぐもった声が与太郎(竜星涼)がいる寒空の外まで鈍く伝わる。岡田将生が凄みを加えてふるわせる繊細な声が、しんしんと降る雪の中に吸収されているようにも聞こえる。
こうした映像的工夫を凝らした音響処理が、大粒の雪景色の荒々しい静けさと見事に呼応している。そういえば、同じNHKドラマ作品である朝ドラ『虎に翼』(NHK総合、2024年)で岡田が演じた判事・星航一役もまた静寂の雪景色を導き出していた。第18週第90回、航一(彼の父で最高裁判所初代長官役の平田満は『落語心中』では七代目 有楽亭八雲を演じている)が、馴染みの喫茶店で、過去の秘密を明かす場面。
戦中、対米国戦の勝敗を分析する総力戦研究所に所属していた航一は、日本が敗戦することを知りながら開戦に加担した責任を感じていた。ずっと孤独に心に秘めてきたことを吐き出し、取り乱す航一が店の外にでる。緊張感ある店内から一歩でた外は、静寂の雪景色だ。地面すれすれに据え置かれたローアングルのカメラが航一を捉える。積もった雪を踏みしめる音。航一はしゃがみこんだ。その頭上に雪がそっと積もる。岡田将生のくせ毛の先まで雪粒が結晶化する、『虎に翼』屈指の美しい名場面だった。
これぞ岡田将生の真骨頂というべきターニングポイント
『虎に翼』の1950年代、『落語心中』の1970年代、岡田将生が出演するドラマ作品で描かれる雪景色は、さりげないが、演出に力がこもっている。『河内山宗俊』(1936年)や『座頭市血煙り街道』(1967年)など、優れた古典時代劇では必ず雪景色の名場面があるものだ。『落語心中』第1話の車外で荒々しく降る雪は、それら古典の雪景色に近いかもしれない。原作通り、乗り物が人力車だったなら、尚更だろう。
雪もいいが雨もいい。『落語心中』第3回中盤、降りしきる雨の中、前座から二ツ目に昇格したものの、まだ自分の芸が見つけられない修業時代の八雲(菊比古)がぽつんと傘をさしている。そこへ恋仲になったばかりの芸者・みよ吉(大政絢)が小走りでやってくる。カメラは引きの位置から二人にポンと寄る。寄り方がほんと色っぽい。「芝居の道具を借りに」。菊比古が言う。そそと台詞を置きにきた岡田将生も色っぽい。アングル、台詞、描写、どれもほとんど原作通り。漫画のコマに描かれている菊比古の顔形が岡田にあんまり似ているものだから、これは当書きかと思ってしまう。
菊比古が言う「芝居」とは落語家たちが役者になって演じる鹿芝居のこと。上演するのは『弁天娘女男白浪』。歌舞伎の演目だ。公演当日。みよ吉に化粧をしてもらう。部屋の前にたかる他の落語家たちが中をのぞいて「異様な雰囲気で」と騒ぐ。原作中出色の場面の一つで描写の細部に手が込んでいる。菊比古は、見目麗しい女形に仕上がる。扇子を顔にあて目元だけだした菊比古演じる弁天小僧が花道を歩く。これを見ては、歌舞伎の女形を題材にした今年最大のヒット作『国宝』の吉沢亮や横浜流星ばかりを賛美してもいられない…。白浪(盗賊)である素性を明かす決め台詞「知らざあ言って聞かせやしょう」。「待ってました!」。客席から聞こえる大向うが芝居小屋に響く。よっ、岡田将生! 七五調特有のリズムにグルーヴ感を得た岡田将生にとって、これぞ真骨頂というべき艶やかな名演だ。この芝居経験をきっかけに自分の落語を掴んだ菊比古が高座に上がる。演目は古典落語「品川心中」。男役から女役にサッと切り替わる時、彼は未来の八代目 有楽亭八雲の顔をのぞかせる。若々しい菊比古を下地に世にもおどろおどろしい八雲の人物造形をくっきり浮かび上がらせた本作は、岡田にとっても芸(演技)のターニングポイントになった。以降、日本映画初の米アカデミー賞ノミネート作品『ドライブ・マイ・カー』(2021年)で、研ぎ澄まされた妖艶な表情を浮かべた岡田は、世界が注目する真打になった。
























