キーワードは「自己満足」 田村正資 × レジーが語り合う、競争社会の中で「自分という軸」を取り戻す方法

田村正資 × レジー「自分軸」取り戻す方法

 現代の競争社会では、働く人の多くが「成長しなければ」というプレッシャーにさらされている。そんな時代に私たちはいかに働き、生きるべきなのか――。そうした問いをめぐって、『ファスト教養』(集英社新書)などの著作で知られる批評家のレジーとQuizKnockの運営会社で活躍する哲学者・田村正資が、それぞれの新刊のテーマを踏まえて語り合った。

 レジーの新刊『東大生はなぜコンサルを目指すのか』(集英社新書)は、「成長」ばかりが声高に叫ばれる時代の空気を鋭く論じている。一方、田村の『独自性のつくり方』(クロスメディア・パブリッシング)は、「自己満足」から出発する、新しい価値のつくり方を提案する。

 今回の対談では「成長」「独自性」「自己満足」というキーワードを手がかりに、これからの時代の働き方と生き方のヒントを探った。

競争や成長とは少し違う軸を持ち込む

――『なぜ東大生はコンサルを目指すのか』と『独自性のつくり方』という著作には、共通する問題意識があると思います。その重なり合う部分を軸に、存分に語り合っていただければと思います。

レジー:これまでに私が出した4冊の本のうち、『夏フェス革命』を除く3冊(『ファスト教養』『東大生はなぜコンサルを目指すのか』共著『日本代表とMr.Children』)には、共通して本田圭佑が登場しています。もともと意図していたわけではないのですが、結果的には彼の言動をずっと追いかけているとも言えます。彼は何かをつかみ取るためには圧倒的な努力が必要というメッセージを一貫して発信していて、その姿勢は『東大生はなぜコンサルを目指すのか』のテーマである「成長」と大いにつながっていると感じています。

 今、社会全体が「成長」に包囲されているのではないか、というのが今回の本の根幹にある問題意識です。特にビジネスパーソンはその圧をダイレクトに受けている。僕自身会社勤めをしているので、その圧にさらされている当事者でもあります。

 田村さんの本を読んで印象的だったのは、タイトルには「独自性」とありますが、特に「自己満足」という言葉をフィーチャーしている点でした。「自己満足」というと、場合によってはネガティブに捉えられることもあると思います。でも、結局は自分が満足していなければ、外に向けて発信したときに人を動かすことはできません。だからまず、自己満足をすることが大切だと思います。僕自身、世の中の「成長圧」と対峙するために必要なのは「自己満足を通じて自分の物差しを取り戻すこと」だと思っているので、そこにフォーカスされているところに強く共感しました。

田村:ありがとうございます。『独自性のつくり方』は、一見すると本田圭佑的な「成長が強いられる環境の中でどううまくやっていくか」という自己啓発本に見えるかもしれません。実際「うまくやっていく」というのは一つのキーワードでもあります。ですが、僕としては、成長が強いられる環境のなかで構造的に生み出される、「他人を出し抜く」発想や実践へのカウンターを提示したいと思ったんです。そこで重要になるのが、いまレジーさんが触れた「自己満足」です。レジーさんの本の中にも自己満足という言葉は登場しますし、成長を自分の土俵で捉え直すという発想や「ジョブ・クラフティング」といったキーワードも出てきます。そのあたりで、レジーさんとのあいだに共通のモチベーションがあると感じましたね。

 僕自身、かつては成長と競争の磁場でパフォーマンスを高めてきました。大学に入るまでは、他人と同じ土俵でペーパーテストの点数を競い合い、その中で成果を勝ち取るという環境にどっぷり浸かっていたんです。もちろんゲーム感覚で楽しんでいた部分もありましたが、まさにそうした競争の磁場の中にいたと思います。

レジー:世の中には競争が確かに存在していて、それを無視することはできない。その状況とある面では向き合いながら、それ一色に染まらないための価値観や軸をどうやって自分の中に育むか。これは『ファスト教養』から『東大生はなぜコンサルを目指すのか』に至るまでの一貫した問題意識です。「競争に勝とう」でも「競争から降りよう」でもない選択肢をどう作りだすか。そこを模索しているのは、田村さんのスタンスとも重なるように感じています。

田村:僕たちはふつうに生きているだけで、すでに競争の渦中に投げ込まれている。それは義務教育課程がペーパーテストによる格付けのプロセスと化してしまっているというだけでなく、SNSの普及によって生活のあらゆる場面がインプレッションや「いいね」、「フォロー」という指標で定量化され、比較されてしまう社会に生きている。しかも、そうやってあらゆるところにビルトインされた競争のシステムが、僕たちの成長や社会のイノベーションの原動力となっている部分は簡単に否定できるものじゃない。僕もレジーさんも、「競争から降りられたらいいけど、降りられないし、否定もしきれない」という認識は共有しているんですよね。でも、それだけでは心が持たないし、自分自身も立ち行かなくなる。だからこそ、競争がビルトインされた社会の中でどうバランスを取るかが重要になってきます。

 バランスを取るための鍵が、僕の場合は「自己満足」の瞬間をポジティブに捉え直すことでしたし、レジーさんの場合は「ジョブ・クラフティング」、つまりやらなければならない仕事の中に自分がみずみずしくいられる瞬間を見つけていく、ということだと思います。結局はバランスの話ですが、そのバランスの取り方をどう伝えていくかという悪戦苦闘する部分は、とても共感しながら読ませていただきました。

「批評」をどう捉えるか

レジー氏のアイコン

レジー:田村さんの本の最後の方で「批評」の話が出てきますよね。あそこについて、少し伺いたいと思っていて。本の出口が「クイズと批評」で終わるというのは、とてもきれいだなと感じました。そこでは「解答者」ではなく「出題者」になろうという実践的なテーマに収束していく。僕はクイズに関しては門外漢ですが、クイズも批評も「何を問いかけるか」という点で営みとして近いものだというのが理解できました。

 最近は「言語化」が一種のブームになっていて、感じたことをいかに言葉にするかという話がとても多いですよね。一方で、言語化ブームの内実は「整理する」「短く言う」くらいのことの言いかえになっているものも多い。実際には言葉にすることを通じてこれまで見えていなかった感情や構造を明らかにするのが重要で、それは「批評」という行為ともつながってくるのでは、といった話を以前三宅香帆さんとの対談でもしたのですが、この内容は『この時代を生きるための 独自性のつくり方』ともつながっているように思いました。僕が田村さんの本で特徴的だと感じたのは、批評というものを自分の判断基準、田村さんのフレームワークだと「図」と「地」における「地」を言葉にするためのツールとして位置づけている点です。そして、ここをちゃんと明示することは、他人との間に橋を架けることにつながる。そうしたアプローチで批評を捉えているのが、とてもいいなと思いました。

 「言語化」のブームが「推しの魅力をSNSでもっと伝えたい」といった文脈で、あるいはビジネスシーンにおけるスキルとして広がったことが象徴的ですが、どうしても「言語化」の周りには他者の物差しがついて回っている印象が個人的にはあります。一方で田村さんの本では、批評を自分のことをより深く知るための手段として位置づけていて、この流れは自然で美しいし、何かを語る前段に自分を知るべきという重要なメッセージが込められていると思いました。このあたりについてのご意見を伺いたいです。

田村正資氏

田村:今、さまざまな領域で「言語化することが大事だ」と言われています。その中で自分なりの立ち位置を示せればと思いました。だから、『独自性のつくり方』では「批評」を、「自己満足の基準を他者が理解できる仕方で表現する営み」として捉え直すことを試みました。僕にとって批評の原風景は、とにかく楽しいものでした。たとえば、僕が好きなアニメやゲームを「こんなふうにも味わえるんだ」と価値基準を複数化してくれたのが批評なんです。ゲーム批評やアニメ批評を読むことで、その人なりの見方をシェアしてもらえる。結果的に、自分が二人分の視点で作品を楽しめるようになった。それが僕にとっての「批評」の原体験です。

 批評というと、やはり「クリティーク=批判」というイメージがありますよね。たとえば「ミスチルの音楽史における位置を定める」とか「良いものは良い、悪いものは悪い」ときちんと評価する。僕は、そんなふうに誰かが何かを「良い・悪い」と判断するときに、その人なりの身体性やある種の自己満足がにじみ出てしまうことこそが、批評を批評たらしめていると思うんです。そして、それをシェアしてもらえることが批評を読む楽しさであって、それがひるがえって、自分の自己満足を上手くシェアして他人を自分の視点に巻き込んでしまうことが批評を書く喜びなんだと。

 もちろん、僕の本で「批評とは何か」を厳密に定義しようとは思っていません。それよりも「批評って面白そうだな」「自分がやっていることも批評と呼んでいいのかもしれない」と、いろんな人に感じてもらえたら嬉しい。そういう気持ちで書きました。音楽批評を書いてこられたレジーさんはどう思いましたか。

レジー:今おっしゃっていただいた通り、「良い・悪い」を判断するにあたってのその人なりの基準を意識することこそが批評の入口だと思います。そして、そういった基準が個人の感想につながる。その感想は必ずしもポジティブである必要はないし、なぜネガティブに感じるかを考えるのも同じくらい重要です。

 音楽批評に関して言えば、楽理や技術の側面からの説明もあれば、歌詞の文学的な分析もあるし、あるいはもっと大きな歴史の中での位置づけについて語るなど、アプローチは様々です。今挙げた3つの中でも、対象との具体的な向き合い方はさらに細分化されます。それゆえなのか、「何をどう取り上げるか」についてライターや評論家間での対立も起きやすい。もしかしたらSNS上で険悪なムードのやり取りを見たことのある方もいらっしゃるかもしれません(笑)。

 僕としては、批評という行為に関して「みんな違ってみんないい」みたいなことを言うつもりはあまりなくて、どんなアプローチであっても「良い批評」と「悪い批評」はあると思っています。そして自分の書くものも、そういう評価を受ける土俵の上に乗せられている覚悟もあります。

 ただ、こういうある種シビアな構造があったとしても、多くの人が「批評」につながることをするといいなと僕は思っています。自分がなぜそう感じたかを言葉にする。それをX向けの一言ではなくて、自分なりの筋道を立てて文章にしてみる。こういったことの積み重ねが、田村さんの言う身体性や自己満足を育むことになるのではないでしょうか。

 もちろん、今の時代にSNSやブログで自分の意見を公開するのを躊躇する人がいるのも理解できるので、人目に触れないところにメモを残しておくだけでも良いと思います。ただ、外に公開することで、自分と同じ考えを持つ人が見つかったり、もしくは意外なフィードバックを受けて自分の意見を深めたり、そういった効果があるのは見逃せない事実です。僕自身、文章を書く仕事をするきっかけになったのは趣味で書いていた音楽ブログでした。最近「面白い音楽ブログ」としてパッと名前があがるものが減ってきた気がするのですが、1つでもそういうものが増えていくと嬉しいですね。

黒歴史こそが自己満足の源泉

田村:批評について考えるときに思い出すのが、石岡良治さんの言葉です。今は早稲田大学で表象文化論を研究されていますが、とにかく膨大な量のアニメを観て、本も読み尽くしているような人なんです。まるで1日が24時間より長いんじゃないかと思うくらいの熱量で、「刃牙シリーズ」のジャック・ハンマーのように作品を消化していく。そんな石岡さんですら、あるトークイベントでの発言だったと思うんですけど、「すべてを見る・読むことは不可能だ」と語っていました。そりゃそうなんだけど、大事なのはその「不可能だ」という意識がむしろ解放感につながったという話なんです。全部を把握するのは無理だからこそ、そこに紡がれる線は結局のところ自分なりのものでしかありえない。たしかそういう趣旨のことをおっしゃっていた。誰よりも多く作品を鑑賞し、ある意味では競争の論理の最前線にいた人が「自分という軸」を取り戻すことの開放感を語っている。それがとても印象的で、勇気づけられたんです。僕自身は到底そこまで観たり読んだりしているわけではありません。でも「自分なりの線で物事を結びつける」ことはできるかもしれないし、むしろもっと積極的にやっていってもいいんじゃないか。そういう開放感を伝えていきたいと思ったんです。もちろん、他者に上手く伝えるということにはしっかりとこだわっていくという前提ですけどね。

レジー:「開放感」、いいですね。「何もかも網羅しないと何かを言ってはいけない」というような規範にとらわれすぎるのは息苦しいですし、偏りのある個人史にも大きな意味があると思います。自分の経験を丁寧に言葉にするだけで、ある時代における一つの歴史として機能するようになるのではないでしょうか。

 ただ、個人史を編纂するときに、ついやりがちなのが黒歴史を抹消してしまうことです。たとえば自分の音楽遍歴を時系列で振り返るにあたって、その時点では「かっこいい/かっこ悪い」の基準が自分の中に出来上がっているので、昔は聴いていたけど今はダサいとされている音楽を、実は聴いてなかったことにしてしまう。より具体的に言うと、自分に影響を与えた作品を列挙する際に、「生まれた時からビートルズとはっぴいえんどが好きだった」みたいなリストを作ってしまうような問題ですね(笑)。本当は「今ではダサいと自分でも思ってしまう音楽を聴いてきたからこそはっぴいえんどの良さが分かる」というプロセスの方がきっと実態には近いはずなんですよね。だからこそ、そういった過去をなかったことにせず、自分の文脈の中に位置づけることが大事なんだと思います。

田村:確かに! 黒歴史ってみんな隠蔽しようとするけど、他者との比較に囚われない自己満足を享受していた歴史そのものですよね。過去を振り返って「なんであんなことをやってたんだろう」と否定するのではなく、「そんなことをやってしまう自分だったんだ」と受け入れてみる。そこから、他者との比較や競争に囚われない自分らしさをもういちど組み立ててみることができるかもしれませんね。

■書誌情報
『東大生はなぜコンサルを目指すのか』
著者:レジー
価格:1,056円
発売日:2025年5月16日
出版社:集英社

『この時代を生きるための 独自性のつくり方』
著者:田村正資
価格:1,870円
発売日:2025年7月25日
出版社:クロスメディア・パブリッシング

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