映画『近畿地方のある場所について』大きく変わったのは“怪異”の描写?  原作とのストーリーを比較

近畿地方のある場所について映画と原作比較

■カクヨム版、文庫版、映画版で変わった点は?

※以下の記述には『近畿地方のある場所について』のネタバレを含みます。

 そもそも『近畿地方のある場所について』の原作にはいくつかの種類がある。ここでは最初にWeb小説サイト「カクヨム」で発表されたバージョン(カクヨム版)、そして7月25日にKADOKAWAから発売された文庫版を取り上げたい。

 カクヨム版の語り手は、東京に住むライターの背筋とされており、失踪した友人の「小沢」を探しているという導入から物語が始まっている。それに対して文庫版の語り手は都内の出版社で働く編集者の小澤雄也で、失踪した知人・瀬野千尋についての情報を探しているという設定だった。

 そこから「山へ誘うモノ」、「赤い女」、「呪いのシール」といった怪異にまつわるエピソードが次々と紹介されていくところは、カクヨム版でも文庫版でも変わらない。しかし物語の結末にあたる部分には、大きな違いがある。

 カクヨム版の終盤では語り手に「赤い女」が干渉していたことが明かされるが、文庫版では生前の「赤い女」と小澤のあいだにとあるつながりがあったことが判明。さらに語り手である瀬野と小澤もたんなる仕事仲間ではなかった……という事実が、物語のオチに関わってくる。

 怪異の存在がある程度フラットに描かれていたカクヨム版に対して、文庫版は語り手と結びつける形で「赤い女」の背景が膨らませられている。それによって、「母と子」もしくは「家族になること」というテーマが掘り下げられている印象だ。

 こうした物語の変遷を踏まえてみると、映画版の設定は文庫版の路線をさらに発展させたものと言うことができるだろう。同映画では語り手を怪異に絡ませる形で、「母と子」の物語をより切実に描き出しているからだ。

 そのうえで映画版では、H・P・ラヴクラフトが生み出したクトゥルフ神話のような“コズミックホラー”の要素も強調されていた。この点に関しては、白石監督の作風と共鳴した結果だと考えられるが、物語のスケール感が増したという意味ではポジティブな化学反応だったように思われる。

 さらに言い換えれば、映画版は文庫版から「母と子」のテーマを継承している一方、カクヨム版にあった“人間の理解を超えたナニカとの接触”というコズミックホラー成分を発展させたという風に解釈できるかもしれない。

 『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』に『ドールハウス』、『見える子ちゃん』、『きさらぎ駅 Re:』など、さまざまな話題作が劇場公開されている2025年のJホラー界隈。そのなかでも『近畿地方のある場所について』は屈指の完成度を誇っている。“恐怖とは何か”という根源的な問いに向き合いたい人には、ぜひオススメしたい作品だ。

※1 白石晃士監督 × 背筋『近畿地方のある場所について』対談「人知を超越したものを描くのが好きなんです」(https://realsound.jp/book/2025/08/post-2111205.html

 

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