前田エマにとって学校とは? 「制約」と「留学」の中から見えてきた大事なこと

モデルやラジオパーソナリティとして活動する一方で、小説やエッセイの執筆を続ける前田エマ氏。最新作『過去の学生』(ミシマ社)では、学校にまつわる記憶をテーマに、九九が言えなかった小学生の日々、校則と個性のせめぎ合い、30歳で挑戦した韓国留学などについて綴っている。「人は常に学生のような存在」だと語る前田氏に、その思いと本書誕生の背景について聞いた。(篠原諄也)
■大人になったから表現できること

前田:きっかけは、ミシマ社の雑誌『ちゃぶ台7』の特集「ふれる、もれる、すくわれる」への寄稿でした。特集テーマを聞いた時「ああ、私って学校生活という集団の中では、漏れていたかもしれないな」と思ったんです。例えば、クラスでチームを分けるようなときに、うまく入っていけませんでした。
そんなことを思い出しながらエッセイを書く中で、学生時代を今の自分の視点で振り返ると、いろんな発見があって面白いなと感じました。それからしばらくして、ミシマ社のウェブマガジン「みんなのミシマガジン」で連載を始めることになり、思う存分「学生」をテーマに書いてみようと思いました。
このエッセイ集の中には、小学生の頃やそれ以前の話も書いています。当時の私はまだ幼く、自分の心のなかを表す言葉を持っていませんでした。大人や社会に対して違和感を覚えても、それをうまく言葉にできなかったし、そもそも言語化しようという考えもなかったのかもしれません。けれど今は、ある程度の言葉を蓄えて、自分なりの考え方も定まってきました。そんな現在の私が当時の違和感や怒りを改めて振り返って書いてみたらどうなるのだろう。そんなワクワク感がありました。
――執筆を通じて「学生」をどのように捉えるようになりましたか。
前田:人間というのは常に学生のような存在だと思っています。私自身は学生時代が終わってからも、いろいろな習い事をやってみたり、30歳で韓国に語学留学をしてみたりしました。でも、そうやってお金を払って学ぶことだけでなく、何気ない毎日の中でも、人間は常に多くのことを学んでいますよね。そういう意味では、誰もが常に学生なんじゃないかという気持ちがありました。このエッセイ集も、幼少期や小中高時代の記憶だけでなく、旅先やいつもの日々の中で人と出会い、その中で得たいろいろな価値観について書いています。
■制約から見えたもの
――前田さんにとって学校とはどんな場所ですか。
前田:今の時代は昔に比べると、学校に居場所がない子どもにも、フリースクールなど多くの選択肢を選べるようになっています。自分の心と身体が守られることが一番です。一方で、自分の学生時代を振り返ると、嫌な先生や苦手なクラスメイトもいて、嫌がらせを受けるようなこともありました。私自身も誰かを傷つけてしまっていたかもしれません。でも逆に言えば、そこには学力、経済環境や家庭環境、宗教などが異なる、多様な人々がいたんだなと思うんです。そういう様々なことに対して偏見を持たずに居られたあの体験は、学生時代でしか得られないことだったと感じます。学校というのは私にとって、制約がある場所ですけれど、その制約の中にいたからこそ見えたものがありました。
――前田さんはどういう学生でしたか。
前田:この間、家を掃除していたら、中学生の頃のプリクラが出てきたんです。当時はモッズコートが大流行で、友達はみんな着ていました。でもプリクラの中で、私だけは着ていなかったんです。当時は「軍隊の人でもないのに、なんでみんな緑色の服を着るんだろう?」と不思議に思っていて。だから、たとえ全員が着ていても、自分は着ないというような独自のルールがありました。服に限らず、みんなが「いい」と言っていても、自分が好きでなければ選ばない。そこは今と変わらずにはっきりしていましたね。
――強いこだわりや芯のようなものがあったんですね。
前田:芯といえるほどではないと思うのですが、好き嫌いが今も昔もはっきりしていると思います。ただ、当時はそれをうまく言語化できませんでした。作文は得意なほうでしたけれど、口では全然弁が立たなくて。友達も多くないし、人気者でもないし、勉強や運動も得意じゃない。それでも、違和感を覚えたり嫌なことがあると、ところ構わず泣きだすとか、ものすごく不貞腐れるとか、そういう反抗はちゃんとしていましたね(笑)。
――クラスの代表生徒などにも、積極的に立候補されていたそうですね。エッセイ「立候補」では、小学生の時に行われた中学校見学会で、スピーチをする生徒に立候補した話が書かれていました。
前田:目立ちたがり屋だったんです。それも度を越していたと思います。今振り返ると「よくそこまでやるよなあ」と我ながら呆れますね。私は妄想癖があって「こうしたらもっとよくなるんじゃないか」と思いつくと、レーンを外れて独走してしまうタイプなんです。みんながやりたいことでも、あまりやりたくないことでも、自分がやってみたいと思えば手を出してしまう。ピアノの伴奏の担当に立候補して、でも結局弾けないので泣いてしまって、親が迎えに来てなだめられたこともありました。今振り返れば、「やらなきゃいいのに」と思いますけどね(笑)。






















