『歩かなくても棒に当たる』劇作家・安藤奎インタビュー 「偏った意見や極端な考えを持っている人にこそ関心がある」

『地上の骨』が第68回岸田國士戯曲賞の最終候補作となり、その一年後に『歩かなくても棒に当たる』で受賞を果たした劇作家・安藤奎。彼女が主宰を務める劇団アンパサンドは公演を重ねるごとに多方面から注目を集め、劇場へと足を運んでみると、“何かが起こっている”ことを実感せずにはいられない。
受賞について「ラッキーだった」と語る安藤は、何を思い、何を大切にし、創作に取り組んでいるのか。受賞作が刊行されたいま、誰もが気になっている新しい才能の秘密に迫ってみた。(折田侑駿)
「なんか違うな」から岸田受賞へ

──第69回岸田國士戯曲賞を受賞された当時の心境はどのようなものでしたか?
安藤:「やったー! ラッキー!」みたいな感じでしたね。賞を獲るために演劇を続けてきたわけではないので、本当にただただラッキーだったなと。2年連続で最終候補作に残ったのも嬉しかったですね。
──『地上の骨』も『歩かなくても棒に当たる』も衝撃的な演劇体験をもたらすもので、「すごいものを観た!」と感動しました。戯曲の内容的にも、観劇時点で獲るんじゃないかと思っていました。
安藤:そのご意見は初めてで新鮮です。関係者のみなさん的には意外だったんじゃないでしょうか。上演後には物販コーナーで台本を販売するのですが、それを読んだ方から感想をもらったこともない気がしますし……。なので、私が書いたものに対するリアクションをもらえるのって、基本的に書き上げたものを俳優さんに渡したときぐらいなんですよね。とはいえ、その渡したときの反応もそう多くはないかもしれません。みんなこれから演じていくことでいっぱいいっぱいでしょうし。

──『歩かなくても棒に当たる』は稽古の途中でイチから書き直したそうですね。
安藤:そうなんですよ。キャスティングをしてから書き始めて、稽古初日までにある程度は完成に近い状態まで持っていくのが通常の私のやり方です。それから稽古を重ねていく中で、細部を変えていきます。でも最初から最後まで書き直したのはこれが初めてでした。稽古の3日目くらいの時点で、「なんか違うな」と思ったんですよね。7割か8割くらいできていたのですが……。
──まさかのそこから!
安藤:そこから変えました。
──なんだかハマらないというか、いまいちピンと来なかったのでしょうか?
安藤:もちろん、俳優さんの問題ではないですよ。そもそも、稽古初日の時点でいつもは台本が完成していて、そこから微調整していくわけですが、このときに関しては完成まではしていなかった。稽古が始まって俳優さんが読んでくれたら、最後まで一気に書き上げられると思っていたんです。でも、「あれ……どうしよう……」みたいに止まっちゃって。悩んだ末、書き直そうと。
──相当な勇気の要る選択と決断ですね。
安藤:そうとも言えますが、最悪の場合、その止まっちゃっている台本が残っているので(笑)。うちの劇団には運営に携わるような専属の制作スタッフさんがいないので、自分で決断するしかありませんでした。俳優さんにもイチから書き直すとは言っていません。心配させてしまうのは嫌でしたから。でも、3日間ほどの稽古休みの間に、一気に書き上げることができました。むしろ悩むことなく、楽しく書けた作品なんです。
──ともに時間を過ごしている俳優の方々ありきの作品だということですね。
安藤:私がつくる作品は、いつも大好きな俳優さんに集まっていただいています。このときもそうで、もう何から何まで最強のメンバーだったんですよね。だから私としては、この大好きな人たちのことを思い浮かべて、ただひたすらに楽しんで書くだけでした。物語の舞台はマンションのゴミ集積所なのですが、これだけを設定して、あとは考え込むことなく一気に書いていったんです。
──『歩かなくても棒に当たる』はゴミ集積所で、『地上の骨』はとある企業のオフィスで物語が展開していきます。日常の“あるあるエピソード”が起こる場所ですよね。いくつもの細かなルールがあって、社会生活を送るうえで誰もが小さな葛藤を経験したことのある場所だと思います。こういった舞台設定はどこから生まれるのでしょうか?
安藤:ゴミ集積所に関しては、本当に思いつきです。身近なものがいいなとは思っていて、私自身も日常的に馴染みのあるゴミ集積所に設定しました。『地上の骨』では黒田大輔さんが演じる安河内が魚になることを決め、それとなくゴールが見えている状態で書きましたが、『歩かなくても棒に当たる』は何も決めることなく書き進めました。
──安藤さんの作品には“緻密さ”を感じるので、意外です。
安藤:深く考えることなく、楽しそうな方向に向かってとりあえず書いてみる。そうしてふと振り返ってみると、思いのほか物語の前後や作品の細部がつながっている。これが一番うまく書けているときの状態です。『歩かなくても棒に当たる』はまさにこれでした(笑)。
──「一気に書き上げた」という言葉が印象的なのですが、これは“登場人物たちが勝手に動いていった”というような感じですか?
安藤:どうなんでしょうね……。私はあまり登場人物に感情移入して書くタイプではないので、とにかく自分が面白いと思う方向に進んでいくだけ。登場人物たちの置かれている状況に対して、飽きずに面白がる視点を持つことができているのかもしれません。
個人的な感情や情緒的なことはできるだけ書かない

──ここまでのお話は、どちらかといえば上演台本に関する話だと思います。上演を想定している上演台本の面白さと、読み物としての戯曲の面白さってまた違いますよね。でも、安藤さんの作品は純粋な読み物としてもバツグンに面白い。文字を追っていると絵が浮かんできて、上演を観ていない人でも楽しめると思うんです。
安藤:嬉しいです。
──読んでいて絵が浮かぶのは、安藤さんの描写力がすごいからだと思います。かといって、小説のように文字量を費やしているわけではありません。物事のどこに焦点を当て、どの角度からどのくらいの距離感で、どんな態度で描いているのか。安藤さんが意識されていることは何でしょうか?
安藤:それは今まで考えたことがありませんでした……。私が書くものは、セリフもト書きもわりと端的だと思います。なので言葉を尽くしているわけではありません。上演は面白かったのに、台本/戯曲を読んでみたら微妙だったということは多々あるのかもしれませんが、とくに不条理劇などに関しては私の場合、その逆なんです。別役実もベケットもイヨネスコも、読むと面白いのに上演にはノレないことが多いんですよね。上演だと小難しいものに感じるというか、なんだか高尚なことをやっているように見えるというか。
──高尚なこと?
安藤:ええ。「高尚なことをやっていますよ」みたいなものに対する恥ずかしさが、私は人一倍あるかもしれません。戯曲でも小説のように情景まで細かく描くことはできますし、実際に書く方もいらっしゃると思います。でも私はしませんし、上演を想定して自分なりの演出イメージまで記すこともありません。これが意識していることですかね。個人的な感情や情緒的なことはできるだけ書かないようにしているんです。
──なるほど。だから安藤さんの作品は面白さの輪郭が掴みやすいんですね。情緒的なものというのは作家のパーソナルな部分に拠るところが大きいと思うので、それが受け手にとってのある種の取っ付きづらさにつながるのかもしれません。情緒的なものを排することで、端的に面白い情報が伝わると。
安藤:排しているというか、その……情緒的なものを作品に取り入れるのって、私としては恥ずかしいことなんです。情緒的なものは個人に拠るところが大きいから、これを排することが観客/読者の方々にとっての分かりやすさにつながるのかもしれない。こうしてお話ししていて、なるほどと思いました。ただ私としてはシンプルに、恥ずかしいことはしたくないんですよね。
──その気持ちや考え方はどこからスタートしているのでしょうか。
安藤:高尚に見えてしまうようなことはしたくない。恥ずかしいですよ、高尚なものだと受け取られるのって。これは演劇にかぎらず、日常的に私にはそういうところがあるのかもしれません。たとえば、SNSに空の写真を載せてちょっとかっこいい感じの言葉を添えているのを目にしたりすると、そこにどうしても恥ずかしさを覚えてしまうんです。なんというか、映画っぽく日常を生きている人が恥ずかしい……。
──面白い視点です(笑)。これが安藤奎という作家の、創作における視点の置き方であり態度なわけですね。
安藤:もちろん、スタイルはそれぞれだと思います。とあるカンパニーの公演を観たときに、当日パンフレットに桜の花びらが挟まっていて驚いたことがあります。私には絶対思いつかない発想で。でもだからこそ、その人の作品が立ち上がるんだなと思いました。
──創作における“笑い”に関してはいかがでしょう。安藤さんは観客を笑わせたいというよりも、「つまらないことをしたくない」と考えているそうですね。
安藤:これもすべて“恥ずかしいことはしたくない”というところにつながってきます。どうにかして笑わせようとしているのが分かると恥ずかしい。お客さんを笑わせようと俳優さんが頑張っている感じに見えてしまう書き方はしたくないと思っていて。
──コメディチックな演技を強いてしまうことがないようにしている、ということでしょうか?
安藤:まさにそうです。笑わせようとしているのって、これもまた恥ずかしいじゃないですか。作品にとって“笑い”が一番大切なのだとなってしまうと、俳優さんたちは「笑わせなきゃ」とプレッシャーを感じてしまいます。でも“笑い”が生まれるかどうかは運的なところもあるじゃないですか。その場にどんなお客さんが集まるのか分からないんですから。だから私としてはそこに頼らない作品を書こうと考えているんです。
──そのいっぽうで、劇場ではドッカンドッカンと笑いが起きていますよね。しかも作品ごとに笑いの質が違うように感じるのですが、安藤さんのスタンスとしては変わらないんでしょうか?
安藤:私自身の態度は一貫しています。笑いの質感が違うのは、作品ごとに出演してくださる俳優さんに拠るところが完全に大きいですね。私自身がどの俳優さんのどんなお芝居が見たいのかを重視して書いているので。パワフル系のお芝居を求めて書くこともありますし、日常系の自然なお芝居を求めて書くこともある。すべては俳優さんありきなんです。
──現在の安藤さんの作品はジャンルとしては“コメディ”に分類されるものですよね。安藤さんご自身の“笑い”というものとの距離感についてもお聞きしたいです。
安藤:渋谷のユーロライブで「テアトロコント」というイベントに参加したのが大きいです。これは演劇とコントの競演イベントで、初めて参加してからというもの、コントをよく観るようになりましたし、自分の中でコント的な作品の構想が膨らむようになりました。コントの尺でやれることを考えたりもよくしています。なので、幼い頃からお笑い好きだったわけではまったくなくて。“笑い”への関心が強くなっているのはここ数年のことなんです。



















