世界最強の言語「ラテン語」はなぜ生き続けてきた? 『ラテン語の世界史』著者に聞く、豊穣な歴史の積み重ね

異なる言語を学ぶことは自己理解にも繋がる

村上:ラテン語が書かれている絵やレリーフなどの図版を、なるべくたくさん載せるようにしました。そこに書いてあるラテン語の文章をなんとなくでも理解してもらって、「ラテン語が読めた!」という感覚を味わって欲しかったんです。
――言語の学習というと、どうしても実用性やコミュニケーションを目的としがちですが、ラテン語の場合は必ずしもそうではありません。言語について学ぶことは、実用性だけが目的ではないことに、本書を読んで改めて気づかされました。
村上:それは本書の中で伝えたかったことのひとつです。原語で読んで、自分なりに翻訳して受け取るというのは、そこに含まれるニュアンスも理解するということなんですね。それはまさに文化としか言いようがないもので、「他者理解」の試みのひとつだと思います。異なる言語を学ぶことで物事を相対化することは、ひいては自己理解にも繋がります。直接は知ることのなかったことを理解したり、その感覚を受け取ろうとする努力こそが、実は「言語を学ぶ」ということの本質なのではないでしょうか。
ラテン語の場合は、特にその歴史が長く、その言語に含まれる文化もまた豊穣です。さまざまな時代の人たちが――特に古代ローマの作家たちの作品をひとつの模範として、それぞれの文化を築いてきたところがある。現在も大学などでラテン語を学ぼうとすると、いまだに紀元前後1世紀の時代のラテン語を模範として学ぶわけで、そこがやはりラテン語のすごいところなのだと思います。
――ちなみに、講座の受講者の方々は、ラテン語のどんな文献を読みたいと希望されるのでしょう?
村上:古代だと、やはり有名どころを読んでみたいという人が多くて、キケロとかセネカ、あとウェルギリウスの名前がよく挙がります。その一方で、キリスト教系の人であれば、聖書をラテン語で読んでみたいとか、神学のテキストを読んでみたいという方が多いです。
――本書の「おわりに」にも書かれていましたが、その試みは「AIに訳出させて理解した気になる」のとは、全然違うわけですよね。最初の話にも出てきた、村上さんが代表を務められている「クェス」についても、少し聞かせてください。これは、どういう発想のもと生まれたプラットフォームなのでしょう。その背景には、大学ではない場所から、人文知を発信しようという思いもあったのでしょうか?
村上:人文知を一般に向けて広く発信したいという思いはもちろんあります。加えて、今の世の中を見渡していると、人文知を共有していないがゆえの誤解であるとか揉め事――いわゆる「炎上」――などが、非常に多いように感じていました。そうした状況を避けるために、専門家と一般の方々との接点を作り、その議論のクオリティを高めながら、相互理解を深めていくことが必要なのではないかと思ったんです。個人はもちろん企業なども含めて、もう少し気軽に人文知にアクセスできるような仕組みとして、博士による人文知提供のプラットフォームである「クェス(QeS: Quid est Sapientia)」を立ち上げました。
――YouTube動画やフェイクニュースなど、情報の真偽が問われるような、今日的な状況も意識しているのでしょうか?
村上:情報の真偽に対する懸念はたしかにあります。しかも、生成AIの登場によって、その状況が加速してしまったようなところがある。そもそもAIというのは、非常に便利であるのと同時に、情報を抽象化してしまう傾向があります。AIに聞いたり要約させて理解した気になってしまう人は、抽象化されて漂白された情報――しかも誤りを多分に含む――で、それを理解した気になってしまう。こういう状況にあるからこそ、原典までさかのぼって理解しようという試みやその態度が必要で、それが人文知の根本ではないかと。
――以前、『歴史学はこう考える』の松沢裕作先生の取材をしたことがあるのですが、同じようなことを仰っていました。ラテン語に対する関心が高まっている背景には、同じような問題意識を持っている人が、一定数いるということなのでしょうか?
村上:その規模まではわからないものの、そういった一面はあると思います。情報に関しては、すぐに「役に立つ/立たない」といった感覚が重視されがちですが、人が生きるということには、それだけに還元できない色々な側面があります。それは他者と言葉を交わすことだったり、コミュニケーションを取ることであって、もっと言うならその「私」も言葉で考えたり感情を言葉にしたりしているわけで、やはり言葉の世界なんですね。そういう意味で、他者の言葉に触れるというのは、言葉によって成り立つ「私」を問い直したり拡張したりするというような意味で、生きることの「豊かさ」にも繋がることではないかと思うんです。その言葉のルーツに触れたり、その文化的な背景も含めて理解しようとすることは、だから、他者を理解しようとすることに通じるんだと思います。もちろん、異文化も他者も100%理解できるわけではないですけど、そうしようとする意識があるかないかで、生き方が凄く違ってくると思います。本書を入り口に、言語はもちろん文学、歴史、宗教、哲学、美術など、人文知全般に繋がる興味を持ってもらえたら、著者としては嬉しい限りです。
■書誌情報
『ラテン語の世界史』
著者:村上寛
価格:1,155円
発売日:2025年6月11日
出版社:筑摩書房





















