楳図かずおの全作品は一つの宇宙で繋がっていた!? 『わたしは楳図かずお』インタビュアーに聞く、知られざる天才漫画家の横顔

作品の外側にも「語られざる物語」がある

——あと、すごく気になったのは「ミクロ」と「マクロ」という言葉を楳図先生が多用していて、これがすごい澁澤龍彥っぽい用語法であることです。現実には『14歳』のように毛虫(極小)のなかに宇宙(極大)がすっぽり収まるはずはないんですが、楳図さんのなかではパッとつながっちゃう。澁澤の『胡桃の中の世界』と同じ、子どものアナロジーです。こうした発想も読書からヒントを得たものでしょうか?
石田:うーん、そこはよくわかりません。すごい読書家で勉強家だったと思いますが、楳図作品はどれも、頭や知識だけで作ったという感じはしません。何か、肌感覚でつかまえている根源的なものがあって、それを漫画に落とし込むため、読書で補強していた感じがします。楳図作品の芯にあるものはかなりオリジナルなもので、それを解き明かすキーワードの一つが「森」という気がするんです。その特異な独創性については、まだ誰もうまく説明できてないという感じがします。
——同感です。このインタビュー本の後半に行けば行くほど、石田さんの筆圧も高まっていくというか、思いが乗ってくるというか、『14歳』を描き終えて休筆していたころの楳図さんが、『新潮45』(2002年1月号)で受けたインタビューを長文で引用していますよね。そこは楳図さんの痛烈な現代マンガ批判になっている箇所。なぜ自分がマンガを描かなくなったか? 単なるノウハウに堕した今のマンガ産業が全然ダメだからという。ですので、この辛辣なインタビューを敢えて載せたことが、この本はすごいメッセージになっています。と同時に、楳図先生はマンガから「ウソの世界」がなくなってしまったとも嘆いている。晩年は手塚治虫でさえウソをつかなくなってしまったと。このあたりをさらに深くお聞きしたいです。
石田:じつは楳図さんにインタビューする前、手塚治虫の初期作品を読み直す機会があったんです。それもあったんでしょう、楳図さんのはなしを聞けば聞くほど、手塚さんの話を聞いている気分になってくることがしばしばありました。楳図さんは手塚さんに対していつもかなり辛辣ですけど、漫画家としての原点は手塚さんなんですよね。そこで受けた衝撃を創作の原点にしていた。今の読者は想像しづらいと思いますが、手塚さんの初期の赤本時代のSFっていうのは、相当暗いし、エロティックだし、残酷です。そういう話を、ディズニーみたいな可愛らしいキャラクターでやったことが、手塚さんの偉大さだったと思います。あの有名な『ロスト・ワールド』も、リアルな絵柄でやったら、残酷すぎて直視できない部分があるんじゃないでしょうか。
それを幼少期に読んだ世代の衝撃は、われわれの想像を絶するものがあると思います。だからこそ、手塚さんとそのフォロワーが漫画の世界を根底から変えた。楳図さんは、その衝撃を薄めることなく、生涯かけてアップデートしようとした作家だと思います。『14歳』ってすごく貸本的だと思うんですよ。年を重ねるほどにどんどん先祖返りしている感じがして。枯れずに薄めずに、貸本的な「何でもあり」の世界、不埒でインモラルな純度を高めていく方向にいった。でも他の多くのマンガ家は、年を取って成熟するにつれて、角が取れて、その衝撃や純度を失っていった。それが楳図さんには腹立たしかったんじゃないかな……。これはもう、私の想像も入っていますが。
——楳図さんの訃報のわりとすぐにデイヴィッド・リンチが亡くなりましたよね。この二人をおなじフォルダに入れて考えたことってなかったんですけれど、近い時期に亡くなったので二人の作品を同時に見返していました。この本を読んでいたら、楳図さんが自作「底のない町」を評して「ただ謎が解けて終わりというのがすごく嫌で、読み終わったらさらに深い謎が残るっていうのを描きたかったんです」と発言していて、これはリンチ映画の説明そのものだな、よく考えたら二人は謎を謎のまま残すところが似ていると思いました。リンチと楳図さんの比較は単なる例ですが、石田さんにとって楳図さんと並べるべきアーティスト、似ているなと思う人はいますか。

石田:うーん、やはり並べるとしたら、今は手塚治虫しか思いつかない……。話が少々ずれますが、楳図作品って全部繋がっているような感じがします。巨大な楳図かずおの「森」があって、個々の作品は一本一本の「木」に光を当てているような感じ。だから、個々の作品はそれぞれ独立しているんだけれど、作品の外側にも「語られざる物語」があるんですよ。
たとえば『少女フレンド』におけるへび女ものの第一作「ママがこわい」は、かなりの不条理劇です。主人公の母親が入院した病院に「たまたま」へび女が隔離されていて、「たまたま」へび女が母親そっくりで、いつの間にか母親と入れ替わって帰って来る。読者に見えるのは、突然家に侵入してきたへび女が主人公を襲う、ただそれだけです。理由も何もない。だからひたすら怖い。
しかし、1986年の改稿で「へび女」3部作が成立すると、へび女の出自が初めてわかる。へび女はもともと人間の少女で、悲しい怪物だった。襲われる側の視点から、襲う側の視点への大転換が起こるのです。ここで「ママがこわい」を読み直すと、まったく違った印象になります。こういう部分に、私は楳図さんの真骨頂を見ます。
——MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)的ですね。スピンオフで作品世界をどんどん重層化していく昨今のながれの元祖に楳図先生がいた、みたいなユニークなご指摘です。この本の中で、石田さんは「蛇」のイメージがウメズ宇宙をすべて貫いているとおっしゃっています。
石田:へびのイメージは「へび女」以前から楳図作品に登場しています。楳図さんの貸本時代の第二作、事実上の単独デビュー作は「別世界」というSFなのですが、古代の地球で、人類とは別に高度な文明を築いた有尾人の一族が火星人の末裔で、その先祖はへびの姿をしていたという話です。つまり、地球文明の最古層にはへび宇宙人がいたというのが楳図さんの世界観の原点なんです。へび女がその末裔だとしたら、「ママがこわい」はSFという見方もできるんじゃないかと思っています。
——まさにラブクラフト的! ウメズ版クトゥルー神話を聞いているようでした。楳図先生の膨大なマンガ群は蛇状曲線のように錯綜を極めていますが、『わたしは楳図かずお』が良き導きとなって、これからも読み継がれていくのではないかと思いました。本日はありがとうございます。

■書誌情報
『わたしは楳図かずお マンガから芸術へ』
著者:楳図かずお、聞き手:石田汗太
価格:2,530円
発売日:2025年3月7日
出版社:中央公論新社




















