脳を持たないヒドラから“睡眠の謎”を解き明かすーー生物学者・金谷啓之が語る最新研究でわかってきたこと

生物にとって、睡眠とは一体何なのかーー。そんな根源的な問いを突き詰める一冊『睡眠の起源』(講談社現代新書)が刊行された。気鋭の生物学者・金谷啓之氏が、脳を持たない生物・ヒドラなどの研究を行うことで、睡眠の謎に迫っている。金谷氏によると、ヒトなどの哺乳類だけでなく、クラゲや線虫などの生物までが眠るのだという。金谷氏に睡眠研究について詳しく話をしてもらった。(篠原諄也)

ーー睡眠に関心を持った理由を教えてください。
金谷:ヒドラという生き物の研究をしていたときに、どんな生き物であっても、24時間動きつづけているわけじゃなくて、いつか休んでいるということに気がつきました。ヒトだとわかりやすくて、夜にベッドに入って眠りますね。休み方は動物によって多種多様ですが、休むということは共通している。ではなぜ休まないといけないのか、どうやって休んでいるかが気になって、追求したいと思いました。
ーーヒドラとはどういう生き物なのでしょう。
金谷:生物の分類としてはクラゲ、イソギンチャク、サンゴの仲間の刺胞動物です。刺胞というのは、クラゲでいうと毒針ですね。ヒドラはあまり活発に移動せずに一ヶ所にとどまっていることが多く、餌などを針でキャッチして生きています。神経科学の観点で重要な特徴としては、神経系(神経細胞)をかろうじて持っていることがあります。だから、自分で動いて餌をキャッチして食べたりできるんです。ただ、ヒトなどのように神経が中枢を成しておらず、中枢神経系はない。平たく言うと、脳がありません。非常に特殊な進化を遂げたことで、動物の初期の神経系をいまも維持している、特殊な生き物なんです。でも日本の池や沼にも生息しています。熱帯魚を飼うような人は「水槽にわいてしまって困っている」という話もよく聞きますね。
ーーそんなヒドラが眠るとは衝撃ですが、どういうことなのでしょうか。
金谷:まず、睡眠の研究には歴史があります。ハンス・ベルガーという神経学者が100年ほど前に脳波を測るということをしました。そして起きているときと眠っているときで、脳波が違うことを発見しました。その結果は断片的だったんですが、後に睡眠を専門とする研究者たちが、さらに研究を進めることで、脳波の違いが明らかになってきました。
それ以降、脳波で睡眠を定義するのが常識だったんですが、1980年代にスイスの生理学者のアイリーン・トブラーが脳波に頼らずに、動物の行動を観察するだけで睡眠状態を定義できるとしました。そもそも脳波を測れない生き物はたくさんいます。脳の形も様々なので、技術的に難しいんですね。だからそういう生物でも、睡眠を定義できないだろうかと考えました。
生物は眠ってそうなときはまず動かなくなって、外界への反応性が鈍っている。また、生物によっては寝るときに特徴的な姿勢を取ったりしている。そんな睡眠中には、一定の状態を保とうとするホメオスタシス(恒常性)があると指摘しました。その性質を伴っているのが、睡眠であるとしたわけです。例えば、ショウジョウバエや線虫などの生き物でもそれが当てはまることがわかってきました。
ーー睡眠の定義が変わったんですね。
金谷:一番重要なのは、線虫やショウジョウバエで睡眠にかかわっている遺伝子のメカニズムが、ヒトやマウスなどの哺乳類と似通っていることがわかったんです。状態としてもそうだし、遺伝としてもそうであるということで、これは睡眠だとみんなが納得したわけです。
ヒドラの睡眠の研究では、実体顕微鏡という顕微鏡で観察するところから始めました。ヒドラの行動を数日間にわたってビデオで撮影し、解析するシステムを作りました。いろんな方の協力を得て、一度に50匹以上ものヒドラを同時に見られるようにしたら、どれも同じようなパターンを示している。特にヒドラの動きが止まっている時間帯は夜に多く、餌や光に対する反応が鈍っていた。そこからヒドラが眠るということがわかったんです。
別の研究では、サカサクラゲというクラゲの一種にも睡眠があることが2017年にわかっていました。そんなヒドラやクラゲのような中枢神経系を持っていない生物も眠るということは、これまでの睡眠研究の歴史を考えると、非常に新しさがあるところです。
ーー現時点で金谷さんは睡眠とはどういうものだと考えていますか。
金谷:睡眠研究をする研究者は世界中にたくさんいますが、まだ統一的な見解はないというのが正直なところです。ただ私の現時点の理解では、ヒトを含めて生物は眠っているときのほうが、デフォルトモードだと思っています。だから、なぜ眠るのかというよりは、なぜ起きているのかが重要なんじゃないかなと考えています。
ーーなぜ、睡眠がデフォルトなのでしょうか。特にヒトだと起きているときが普通の状態だと思いがちだと思います。
金谷:例えば、哺乳類の脳の活動パターンを見ても、起きているときは不規則で、周りの状況によって脳の活動が変わるんですね。一方、眠っているときの脳波はどちらかというと安定したモードなんです。何も刺激が入っていない状態で、ベーシックな機能のデフォルトのような状態を保っている。
ヒドラをよく観察すると、基本的には足に当たる部分を一ヶ所に定着して、胴体を動かしている。ヒドラが何のために、体を動かしているのかは興味深いところです。例えば、餌を探しているのかもしれない。でも、そうやって体を動かして、餌を捕まえるために神経を使って情報処理をしていると、体や神経に負荷がかかっているはずです。そういう意味でも、無理して体や神経を働かせるのではなく、ベーシックな静かな状態、つまり負荷がかかっていない状態のほうが、動物にとっての本来の姿だと思っています。

























