安堂ホセ × 伊藤亜和『DTOPIA』対談 「許す必要がないと思っていた人物でも、小説で書いてみたら許せることもある」

安堂ホセ × 伊藤亜和『DTOPIA』対談

人生の断片をあとから切り取ること

伊藤亜和『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)

安堂:それでいうと、伊藤さんのエッセイは、オールディーズやスタンダード曲を弾き語りしているような読み心地を受けました。ひとりで楽器を持って、個人的な相手に向けた楽曲を歌っているような感じ。

伊藤:うん、アコースティックかな。

安堂:素敵だと思います。エッセイを書くときに、音楽でいったらこういう音を目指そうとかあるんですか。

伊藤:あります。最近はそれを特に意識してて。

安堂:次作のエッセイですか?

伊藤:そうですね。あとはおこがましいんだけど、小説の依頼もきていてもう逃げられないので(笑)、書かないといけないんですよね。エッセイについては、あったことしか書けない。だからその中でどう動くかを考えるのが、すごく大変なんです。これまでの『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)、『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)は意識せずとも過去の話を書けたんですよ。でもさらに書き続けるとなると、もう話がなくて。

安堂:二作分もあるのが、すごいですけどね。

伊藤亜和『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)

伊藤:もう過去編は書き切ったので、それは終わりかなと思ってるんです。これからはどうしようと考えたときに「この曲が好きだから、この曲の雰囲気で書けないかな」というやり方を考えていて。エッセイ一編一編があって、そのトータルでアルバムみたいな雰囲気になったらいいなと。どうやったらいいかは、まだ模索してるんですけど。

安堂:エッセイは人生の断片を切り取っていますけど、その出来事が起こったときは、本に書くことが決まっているわけじゃないですよね。伊藤亜和という人間が書くエッセイとして、共通する気分やトーンが作られるとしたら、それは意識して調整をしているんですか? それとも何か別のものによって、印象がまとまっていくのか。すごく聞きたかったんですけど。

伊藤:出来事が起きた時点があるじゃないですか。その直後にアウトプットしようと思うと、多分その瞬間のトーンがすごく強くなる。二冊書いてみて思ったのは、出来事が起きてからしばらく時間が経ってくると、その事実は変わらないんだけど、それを今どう受け止めるかは変わってくるんですよね。例えば、殴られたとか怒られたとかして、今それをどう捉えているかで、トーンは変わってくる。

安堂:その瞬間は悪く思っていたとしても、あとから考えると、それを許す自分がいたりする感じですかね。

伊藤:言葉を選ばずに言えば、そのときの自分は違うことを思っていたかもしれない。その瞬間に何を考えていたかは、自分自身も覚えてないこともある。でもそんな昔のことを、今の感情で書いているんだと思いますね。

安堂:エッセイが上手な人は、同じエピソードを何度書いても上手ですもんね。それこそ(伊藤さんが影響を受けた)山田詠美さんもそうだと思います。書くたびにその人の中で更新されていくのもある?

伊藤:そう。考え方は生きていく中でその都度変わっていく。それをうまいこと混ぜ合わせることで、トーン作りをしてるのかなと思います。

小説で他者が語り出す瞬間

伊藤:逆に聞きたいことがあります。先日、芥川賞の記者会見を拝見したんですけど。

安堂:「ゴールキーパーみたいな格好」って友達に言われた。

伊藤:ジャージみたいな格好だったからでしょ(笑)。

安堂:実際フットサルブランドのユニフォームなんで、間違ってないんですけどね。

伊藤:確かにスポーティーだったなと思います(笑)。それで、会見で『DTOPIA』について「リアルタイムで起こったことを書くことに挑戦してみた」と言っていましたね。(※映画業界の白人特権批判、LGBTQ+差別とプライド・パレードなど)初めて小説の中に、今の感情を盛り込んでみたと。

安堂:小説は今すぎるものを入れれば入れるほど、書き終わるまで、刊行されるまでの時間のあいだに、それが変わってきてしまうことがありえます。自分の中や世の中で整理がついたことを寝かせた上で書いたほうが、劣化して見えないということがどうしてもあって。

伊藤:私は早すぎると、世論次第で自分の書くことが揺れたりする。

安堂:そうなりますよね。

伊藤:(世論の通りに)やっぱり駄目なことだよな、と書いちゃったり。

安堂:人って実はそんなに軸がないんですよね。だけど、金原ひとみさんがコロナの連作短編小説『アンソーシャル ディスタンス』を書いたときに、同じように迷ったけれど、結果的に書いてよかったとおっしゃっていたんです。そのときじゃないと書けないことがあるんだと。そういう話を聞いていると(今のことを書いて)失敗してみたいという気持ちも出てきて。

伊藤:それを今回、やってみたんですね。

安堂:そうですね。時間が経ってからはどう思うかわからない。でも、それが2024年の景色として、そのときの人間が思っていたこととして、あとから読まれるのも悪くないし。

伊藤:私的には、それってすごく勇気がいることだと思うんですよ。

安堂:でも、なんか気持ちよさもあるというか。待たなくていいですし。あまり小説っぽく見えることにこだわらず、書いてみました。逆に途中に回想パートもけっこう長く挟まっていて、そこでは2010年代のことを書いています。架空の出来事に対して、時間が経過してから昔を振り返るような感じで再現しながら書きました。だから実際には、昔のことと今のこと、どっちもやってみてますね。

伊藤:あと、小説の書き方・入門編みたいなことを聞きたいんですけど、登場人物の考えてることって、どこから素材として引っぱってくるんですか? 自分の考えが全部ベースになってるんですか?

安堂:自分の考えていることを軸にするのはありますよね。熱いものを触ったら熱いみたいな、自分が体験した感覚を素材にしている。濡れたものをティッシュで拭いて、それをつまんだときに気泡が潰れる感じとか。そういうのは体験といえば体験だけど、自分だけのものでもないし。そうじゃなくて、もっと作中で起こる出来事についての話ですか?

伊藤:例えば、『DTOPIA』に出てくる、(自身の子であるモモの睾丸摘出に反対する)お父さん。

安堂:モモのお父さんの言葉については、作者の立場から正しい/正しくないっていうジャッジもできるんだけど、それよりも先に、世の中にはそういう立場の人がいる。で、その人たちの声を聞き取ろうとするつもりで書きました。二人以上の台詞って、A・B・A・B・A・B……と続いていくので、例えばBさんだけの会話をあとから直せるとも限らず、一回きりのうち返しの中で、偶然に到達できものはあると思います。

伊藤:なるほど。文体を変えることによって、別人格として独立させることができると。

安堂:その発言に間違いが含まれていたとしても。だから書くのはわりと一回勝負ですね。特にお父さんの会話のところは一回でバーっと書いて、あまり直さずにそのままでした。

伊藤:書き直さないんですね。自分と反対の意見を持っている人を、作品の中で登場させるって、すごく精神に負担がかかるんじゃないかと思うんです。

安堂:でもそれが書けたら嬉しいかな。許す必要がないと思っていた人物でも、意外と小説で書いてみたら許せるということもあります。それを書いているだけで、浄化じゃないけれど、癒されるような気持ちになるんです。モモのお父さんの、あまりに直接的な言葉も、もしかすると、いつかどこかの子供が言われたくて仕方がなかった言葉だったのかもしれないと思います。

■書籍情報
『DTOPIA』
著者:安堂ホセ
価格:1,760円
発売日:2024年11月1日
出版社:河出書房新社

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