世界の台所探検家、岡根谷実里の最新刊に注目 世界の「ひと皿」の向こうをエッセイに

世界の台所探検家、岡根谷実里の最新刊

 世界の台所探検家、岡根谷実里さん最新刊『世界ひと皿紀行 料理が映す24の物語』(岡根谷実里著/山と溪谷社)が発売された。

 世界各地の家庭を訪れ、台所で一緒に料理を作り、食卓を囲むことで見えてくるストーリーを発信する「世界の台所探検家」岡根谷実里さんの最新刊。本書ではアジア、ヨーロッパ、中南米、オセアニアの国/地域の台所を探検した著者が、「ひと皿」の料理から映し出されるそれぞれの土地の暮らしと社会を、24本のエッセイで軽やかに綴る。

 本書から「アジアのひと皿」を紹介する。

インドの発酵天国 ナガランドで納豆を煮る ~豚肉のアクニ煮~

 インドのナガランドをご存じだろうか。インドらしくない地域なのだ。

 インドの食といえば、スパイスを使った料理の数々。いわゆるカレーと呼ばれるが、野菜にしろ肉にしろ魚にしろ、スパイスがないと始まらない。油で数種類のスパイスの香りを出すというのがインド料理の鉄則だと思っていた。ところが、ナガランドの料理は、スパイスをまったく使わないのだ。それどころか油も使わない。代わりに使うのが、唐辛子と発酵食品。ここはインドか? と驚くことの連続だった。

ナガランドはどこにある?

 インドは逆三角形をしているが、よく見ると右上の方に腕(耳?)が伸びている。バングラデシュとネパール・ブータンの間をすり抜け、ミャンマーに食い込むように広がっている土地があり、ここが北東インドと呼ばれる地域で、ナガランドはその一角をなす。この土地を訪れるきっかけは、発酵に興味のある知人の誘いだった。ナガランドは発酵食文化があるらしい、というほぼそれだけの情報で現地に向かった。

 ナガランドに近づき飛行機が高度を下げると、険しい山々に鬱蒼とした森が広がっているのが見えてきた。地面に降り立つと、山、山、山。空港のあるディマプルの街中以外はずっと山道で、散歩が筋トレ。大変なところに来てしまったなあと思ったが、街は素朴で気に入った。人々の顔つきも、彫が深く色黒なインド人顔ではなく、まるで私たちと同じ東アジア顔。親近感が湧いた。

発酵食品の数々

  滞在先の家族は、空港から車で山道を6時間ほど行った町に住んでいた。家の中と外に台所があるのだが、時間のかかる料理や匂いの強い料理をするのは外の台所。鍋の前に座り込んでおしゃべりしながら、母さんは連日いろんな発酵食品を見せてくれた。

 無塩発酵たけのこ。初夏に収穫したたけのこを細かく刻んで容器にぎゅうぎゅうに詰めたもので、乳酸発酵の酸味があり、煮込み料理に入れるとうまみが増す。里芋の葉を発酵させ碁石のように固めたもの。これも肉と煮ると深みが出る。それから、納豆。日本のよりも匂いが強く、ほのかにアンモニアのような鼻を刺す匂いもする。「アクニといって、豚肉を煮るのにも、唐辛子と混ぜてチャツネにするのにも使う。うちは手作りするけど、作る人によって味が違うんだよ」と母さん。作り方で日本の納豆と大きく違うのは、稲藁ではなくバナナなどの葉で包むことと、台所の焚き火の上方に掛けて数日かけて発酵させるということ。

今夜は豚納豆

 「今日の夕飯は、燻製豚肉のアクニ煮をしようかね」。母さんの言葉に、俄然興奮した。納豆をそのまま食べるのではなく料理に使うのは、タイ北部やミャンマーの民族も同じだから目新しくはない。けれど、燻製豚肉! ここの生活では毎日のように食べていたが、これが本当にうまいのだ。豚肉を台所の焚火の上方に掛けておいて燻すと、身が締まりスモーキーな香りもつく。特に脂身の多いバラ肉は最高で、脂身が甘くて口の中で溶けていくのだ。私は豚の脂身はあまり好きではないのだが、ここのはすっきりして甘く、もっと食べたくなる。塩を使わないのでベーコンとも違い、豚肉のいいところだけを残したような塊なのだ。しかし、これを納豆と煮るとは。

 ドキドキしている私をよそに、母さんは手際よく料理を進めていく。豚肉をぬるま湯にひたしてからぶつぎりにして鍋に投入。たっぷりのアクニ、赤唐辛子、トマト、塩を入れて火にかける。蓋をして、「このまま最低1時間半ね」と言う。長いな。

 そのうち、台所に何とも言えない匂いが立ち込める。ああ、納豆。私は日本を離れて1ヶ月強。しかも南インドでスパイス尽くしの日々を過ごした後だったものだから、台所に立ち込めるアクニ、いや納豆の香りに、日本に帰ってきたような郷愁を感じてしまった。「いい匂い。おなかすいた…」と声を漏らすと、母さんはびっくり。「これいい匂いって思う? インド人(ナガ人は本土インドの人々のことをそう呼ぶ)はくさいって言うんだよ。デリーみたいな大都市で料理をすると、近所の人が苦情を言いに来るんだ」

 それも、わかる。実際アクニの匂いは差別の一因にもなっている。長く煮れば煮るほどおいしくなるという彼女の言葉に従い2時間煮込んだら、家の外まで納豆臭。こっそり隠れてなんて、作れない。最後に島らっきょうのような香りの強い野菜をつぶして入れて、完成だ。

 もう、待てない。ご飯に豚肉アクニ煮をのせ、ゆで野菜と辛いチャツネを添える。煮込まれた豚肉をつまんで食べると…味噌煮だ! インド本土では決して食べられなかった味。煮込まれたアクニは味噌のようなうまみを出し、初めてなのに懐かしくてならない。泣きそうになりながらおかわりする私を見て、母さんはにこにこ。アクニの鍋を介して一気に家族との距離が縮まったのを感じながら、複雑な思いも抱いていた。強烈な匂いの食は人を繋げもするが、一方で人の分断を生むのだ。

書誌情報

岡根谷実里 著
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
仕様:四六判/200ページ
ISBN:978-4-635-24130-4

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