『呪術廻戦』最終巻で虎杖がたどり着いた境地とは……“王道じゃない”少年マンガならではの感動
虎杖と宿儺、五条との違いは?“弱さ”を力にする主人公
物語終盤、虎杖は数々の強化を経て、史上最強の“呪いの王”宿儺と対等な目線で対峙できるようになった。ただ、そこで虎杖が手に入れた力は、ほかの強者たちとは違った強さだと思われる。結論を先取りして言ってしまえば、それは“弱さ”を力に変えることに近い。
まず『呪術廻戦』の世界において絶対的な強者といえば五条悟と宿儺だが、この2人には根底の部分でいくつかの共通点がある。絶大な力を持っているため、他者と同じ目線に立てなかったこと。そして自身の力量を研ぎ澄ませることにストイックで、誰の協力も得ずに強さを追い求めてきたこと……。この2人にとって、力とは自身を孤独にするものだった。
それに対して虎杖の場合には、事情が大きく異なる。自分しか持っていない唯一無二の術式を極めようとしていた五条や宿儺と違って、虎杖の手に入れる力は“他人のもの”ばかりだ。
たとえば「赤血操術」は呪胎九相図を取り込んだことで発現した術式であり、「御廚子」は宿儺が長期間受肉していたことによって肉体に刻まれた術式。そして「黒閃」は東堂葵から伝授された技術であり、反転術式は乙骨憂太から学んだものだと思われる。つまり虎杖は孤独に力を研ぎ澄ますのではなく、他者からさまざまな力を注ぎ込まれることによって強者の地点まで到達したのだ。
これは最終決戦の戦い方にも表れており、虎杖が宿儺と1対1で対峙していた時間はかなり少ない。最終局面に関しても、宿儺の内にいる伏黒や遠隔でサポートする釘崎の力を借りることで、宿儺を倒したのだった。
あらゆる他者との共存を拒んだ宿儺が、さまざまな他者を受け入れて強くなった虎杖に打倒されるという展開は、いささか皮肉めいているが、やはり心を揺さぶられずにはいられない。なにせ虎杖は序盤から数えきれないほど無力感を突き付けられた末、最後にようやく“他者とのつながり”という力を手に入れたのだから。
また余談ではあるが、こうした展開を現代社会の流れと照らし合わせてみても面白いかもしれない。すなわち2010年代以降、個人が無力感を突き付けられる社会にあって、『呪術廻戦』で執拗に強調される虎杖の絶望は、生々しい説得力を帯びたものだったのではないだろうか。
その上で“無力の先”に突き抜ける物語を描ききった芥見の手腕には、あらためて驚かされる。今後、別の作品を書くとすれば、こうしたテーマはいかに深まっていくのか。その輝かしい才能の新たな船出にも期待せざるを得ない。