平野啓一郎が描く近未来の姿ーー『本心』映画版と原作が問いかける、急速な“近”未来のリアリティ

©2024 映画『本心』製作委員会

  また、『本心』は、アバター(分身)、代行というモチーフを意図的に多く盛りこんでいるのも特徴だ。主人公のリアル・アバターという職業、亡母の代わりであるVFのほか、下半身に障碍があり動作が制限される車椅子生活者が、ヴァーチャル・ワールドで自由にふるまえるアバターをデザインして成功し裕福になっている。それに対し、主人公と同居する女性は、セックスワーカーだった過去を持つ。客にとって不在の恋人の身代わりをするように性交渉の相手を務め、生活費を稼いでいたのだ。

『本心』の原作刊行はまだ、人が密になることが忌避され、非接触の推奨を引きずっていたコロナ禍の間だったため、作中のリモート(遠隔)、代行といった要素は、同時代の気分とシンクロするところがあった。特に映画版では、登録会社と契約する職業であるリアル・アバターが、コロナ禍で需要が増加したフードデリバリーの配達員にとても近いイメージで描かれている。物語では、注文通り必死に急いでモノを届けても「配達員が汗臭かった」とユーザーに評価を下げられたり、悪戯で無意味にあちこちを走り回されたりする。しかも、ユーザー評価をとりまとめ、点数が低い場合に契約打ち切りの判断を下すのは、AIなのだ。現場で働く者の人間的事情など、AIの自動査定は一切考慮しない。

 『本心』の近未来では、富めるあっちの世界と貧しいこっちの世界の格差が、さらに広がっている。アバターのデザインで自己実現を果たした車椅子生活者は、富の力で主人公たちをアバターのごとくあつかうようになる。障碍のため誰かの代行を必要とする彼の意識を、単純に悪意とは呼べないだろう。リアル・アバターのように、自分にサービスを依頼するあっちの世界の誰かや、システムの評価を気にしなければ生きていけない者は、それらの評価を先回りして内面化しなければ、うまくやっていけない。いわば意識を乗っ取られた彼らの本心は、どこにあるのか。物語では、遠くの何者かに操られ犯罪を起こしてしまうエピソードがあるが、最近ではSNSを介して指示役に集められとりこまれた者たちが、強盗をせざるをえなくなった事件が続発する現実がある。

  さらに『本心』では自由死に関して、自己決定権の行使を建て前としつつ、老人や病人の世話に伴う負担を回避したい周囲や社会の意向を本人がくみとった選択かもしれないという視点が示される。主人公は、母は裕福になりえない息子を助けるために自由死を選んだのではないかと思い、苦しむ。「もう十分に生きたから」という母の判断は当人の本心ではなく、誰かに強いられた結果ではないかと疑いが語られるのだ。社会のために高齢者や終末期患者の安楽死を唱える人は以前からいたが、今年の衆議院議員選挙では、現役世代の社会保険料を下げるための尊厳死の法制化を唱えた党首がいた。彼は釈明し、ほかの目玉政策もあったのだが、同党の議席数増加には尊厳死発言を容認する空気も含まれていただろう。

  自己責任が声高にいわれるようになって久しいこの社会において、自己の本心はどこにあるのか、他人の本心を感じとれるのか。『本心』のテーマは、ますます身近なものになっている。今向きあうべき物語である。

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