棚橋弘至、なぜプロレス界を超えた存在になり得たかーー転機となった2011年と中邑真輔の存在
■混迷するプロレス、立ち上がった棚橋
このプロレスという事業が破壊されそうになっていた状況下で、一人立ち上がったのが棚橋である。もともと「立命館大学のプロレス研究会出身」という異色の出自を持ち、熱狂的プロレスファンでありながら格闘技的なヒエラルキーからは距離があった棚橋は、団体創業者であり全プロレスラーの頭上に君臨するカリスマである猪木を真っ向から否定する。もちろんそこには紆余曲折があり、若き棚橋が犯してしまった過ちと、それでも自分を見捨てなかった団体に対する恩義があったことも『2011年の〜』には書かれている。
一方の主人公である中邑の辿った道筋は、棚橋とは対照的だ。高校時代からアマレスの経験を持ち、デビュー前には柔術のトレーニングも積んでいた中邑は、格闘技路線へと舵を切ろうとしていた新日本プロレスにおいて期待の若手として担がれ、デビュー戦の会場は武道館。破格の扱いを受けて「選ばれし神の子」としてデビューしたが、時代の流れの中で「プロレス」という見せ物を扱いかねていた団体トップに翻弄され、ファンの支持を得られない時期を過ごすことになる。
『2011年の〜』が面白いのは、柳澤健による一連のプロレス本の中でも、比較的新しい年代の出来事を扱っている点だ。当然ながら登場人物のほとんどは存命の現役レスラーであり、本書での証言内容はそのまま現在の試合内容へとつながっている。その証言の中で、棚橋が中邑を語り、中邑が棚橋を語る構成になっている点こそが、本書の面白みだろう。プロレス冬の時代に翻弄され、やがて独自の個性を掴み取ることによって大きく業績を回復させた2人のレスラーから豊富な証言を引き出せたことは、プロレスファンにとって大きな財産だと思う。
行き詰まった新日本プロレスの中で棚橋と中邑は悪戦苦闘し、「レッスルランド」など団体が考えた場当たり的なアイデアに翻弄される。そんな中、棚橋は観客に向かって「愛してます」と叫び続け、プロモーションに奔走し、ついには状況をひっくり返すことに成功する。『2011年の〜』で書かれているそのプロセスを読めば、棚橋というレスラーがいかに偉業を達成したか、よくわかるはずだ。冗談抜きで、棚橋がいなかったら日本の業界トップ団体である新日本プロレスが2000年代のどこかで消滅していた可能性があるし、そのまま日本のプロレス業界全体が沈没していた確率も決して低くない。日本プロレス業界の救世主と言っても過言ではない存在が、棚橋弘至なのだ。
業界全体に響くような偉業を成し遂げ、一時代を築いた偉大なレスラーが引退する。1年前から大々的に発表し、長期間にわたって引退ロードを敷かれる意味が、プロレスに興味のない方にも少しは伝わっただろうか。現在プロレス興業の客入りはコロナ禍からの回復の渦中にあり、2019年ごろの客入りに戻りつつある最中だと聞く。ならば「1年後に引退する棚橋」の姿は、コロナ禍からの回復のさらなる起爆剤として機能するはずだ。『2011年の〜』を読めば、自身の引退というイベントまで団体のために使い切るその姿勢こそ棚橋らしいと、しみじみ納得させられるはずである。