速水健朗のこれはニュースではない:写真論として観た『シビル・ウォー アメリカ最後の日』

写真論として観た『シビル・ウォー』

 ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として最新回の話題をコラムとしてお届け。

 第18回は、映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』について。

『速水健朗のこれはニュースではない』ポッドキャストはこちら

1975年に発表された『エコトピア・レポート』

 カリフォルニア州がアメリカ合衆国からの分離独立を宣言し、国交が断絶される。立ち入りや航空機の通過も禁止される。このあらすじは映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』のものではなく、アーネスト・カレンバックの小説『エコトピア・レポート』のもの。独立したカリフォルニアは20年間鎖国し、主人公はそのエコトピア国に潜入するジャーナリスト。この設定は、映画『シビル・ウォー』とも重なって見える。

 『エコトピア・レポート』が発表されたのは1975年。エコトピアでは、ガソリン車が廃止され電気バスが走り、人々は都心の緑に囲まれたオフィスビルを住居に改造して暮らす。単にヒッピーたちの理想社会を描いたのではなく、同時にテクノロジーを融合させている。それによって、現代のサンフランシスコともさして違わない風景になった側面がある。ただし、多くのユートピアがそうであるように、エコトピアもディストピア感がある。すべてがうまく行き過ぎている。この世界のダークサイドがあるとすれば、その生活から排除された貧者の姿かもしれない。

 このポッドキャストで、最近、ピーター・ティールのインタビューの話を取り上げた(参考:パリ五輪以後、ロサンゼルス五輪以前の世界ーーシリコンバレーはこれからもっと嫌われる)。テクノロジー企業の従事者たちがサンフランシスコで嫌われ過ぎているという話だ。ティールは前者だが、その息苦しさを感じている。他者を顧みない理想主義者たちと、それに反発する大衆。現代のアメリカの分断は、まさにそうした性質を帯びたものだろう。

南北戦争の分断と現代の文化戦争の共通点

 映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』でも、カリフォルニアの分離独立を目の当たりにするジャーナリストが描かれる。主人公たち4人のうち、2人がフォトグラファーで、動画を撮る者がいない点が印象的だ。これは、写真と写真家がこの物語の中心にいることを示している。

 物語はニューヨークから始まり、ワシントンD.C.が目的地。ピッツバーグを迂回する1000キロ以上の旅の中、彼らはアメリカの荒廃した風景を写真に収める。ガソリンスタンド、廃墟と化したモール、燃える郊外住宅(レヴィットタウン)。反転したディスカバーアメリカ。荒廃した郊外の再発見だ。

 若い女性カメラマンが古いニコンの一眼レフを2台首にかけているシーンも興味深い。かつてデニス・ホッパーが『地獄の黙示録』で演じた戦場ジャーナリストも同じようにニコンを何台も下げていた。ベトナム戦争では、軽量なニコンが戦場における報道の距離を変えた。戦場に潜入したジャーナリストたちが、アメリカの世論を動かす写真を撮った。それ以来、米軍はジャーナリストを戦場から遠ざけるようになるが、この映画では逆に、写真家たちが戦場に近づきすぎている。その距離感が、この映画のテーマだろう。

 南北戦争(シビル・ウォー)は、写真によって初めて記録された戦争であり、戦争写真の始まりでもある。小川寛大著『南北戦争-アメリカを二つに裂いた内戦』では、北部の人々が、道徳的な正義をカルト的な妄想レベルに突き進め、戦争に突入する構図を説明する。教科書的に知っていた南北戦争とは違う話だった。宗教的意識の拡大期にアメリカが分断していく。当時の分断と現代の文化戦争の状況には、共通点があるように思える。

 アレックス・ガーランドのデビュー作『ザ・ビーチ』では、ヒッピーたちの理想郷が描かれるが、その理想はやがてエゴによる争いに変わる。『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は思いのほか『ザ・ビーチ』的な映画だった。

■書籍情報
『これはニュースではない』
著者:速水健朗
発売日:2024年8月2日 
※発売日は地域によって異なる場合がございます。
価格:本体2,500円(税込価格2,750円)
出版社:株式会社blueprint
判型/頁数:A5変/184頁
ISBN 978-4-909852-54-0 C0095

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