速水健朗のこれはニュースではない:丸首のマルジェラとカウンターカルチャー嫌い

丸首のマルジェラとカウンターカルチャー嫌い

 ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として最新回の話題をコラムとしてお届け。

 第16回は、ファッション・ブランドのマルタン・マルジェラとカウンターカルチャーの過大評価について。

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カウンターカルチャーは、ロックをヒッピーと連動した同一の運動だと詐称した

 「マルジェラ」がファッションマニア以外から知られているのは、服が注目された以上に、クリエイターとしてのマルタンが特別な存在だったからだ。メディアの取材を受けない変わり者。思いがけない場所やタイミングで開催されるショー。ものをつくることと、その見せ方、人々はいつもマルジェラの何をするのかが気になっていた。近年のヴァージル・アブローが似たようなポジションにいた。アブローの場合は、その言説に注目していた。例えばオリジナルは「3パーセント」でいいとか「観光客の視点」とか。斎藤幸平がマルジェラを着ていたことが話題になったが、これがグッチやルイ・ヴィトンだったらさほどおもしろさはなかったかもしれない。とはいえ、いまのマルジェラは、単にラグジュアリーブランドとしてのみ有名な存在なのだが。

 さて、1960年代後半にフラワームーブメント、カウンターカルチャーの時代が始まる。新しいロックバンドやシンガーソングライターが登場して、それまでの歌手たちは駆逐されてしまった。戦後のベビーブーマー世代は、アメリカ的な保守的なライフスタイルを嫌い、ヒッピーやマリファナやLSDを愛用し、新しい世代の台頭を主張した。サンフランシスコで生まれたその流れは、ベトナム反戦運動を通して広くアメリカ中に広がる。

 教科書的にこの世代を解説するとこんな感じだが、ここでは別の見方をする。1950年代後半に始まったブラックパワーのムーブメントは、政治的な運動だけでなく、ジェイムズ・ブラウンやサム・クックらの音楽とも連動した。政治とポップミュージックの連帯。批評家のネルソン・ジョージは、「R&Bの世界」は音楽だけでなく、不平等と戦う黒人の生活や文化の全部であるという(『リズム&ブルースの死』)。

ジョセフ ヒース/アンドルー ポター『反逆の神話〔新版〕 「反体制」はカネになる』(早川書房)

 カウンターカルチャーは、ロックをヒッピーと連動した同一の運動だと詐称したところがある。これは『反逆の神話〔新版〕 「反体制」はカネになる』という本の中で触れられたこともあるが、ヒッピーたちは、公民権運動の真似をしたのだ。

 あの時代のサンフランシスコで言えば、グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインがいる。同時代のロックミュージックの頂点にいたのはジミ・ヘンドリックスだ。彼らが全員過大評価なのか。ジミ・ヘンドリックスについては、あの時代にブルースを演奏していたことに疑問がある。それを言ったらクリームもそう。カウンターカルチャーによる後押しという要素抜きにはあのポジションは想像がつかない。

 クエストラブが監督をした『サマー・オブ・ソウル』が2021年に公開されたとき、さすがに誰もがカウンターカルチャーの過大評価に気が付いたはずだ。1969年の夏と言えばウッドストックで世界最大の音楽フェスが開催されていた。でも同時期に開催されていたハーレム・カルチュラル・フェスティバルのことはほとんど知られていなかった。『サマー・オブ・ソウル』はその模様を描いたもので、ニューヨークのクイーンズの公園では、若きスティーヴィー・ワンダーやニーナ・シモンやグラディス・ナイト&ザ・ピップスが演奏している。演奏パートだけでもいつまででも見ていられる。『ウッドストック』の演奏場面は退屈だった。

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