町田康「必死になにかをやっている人間って、滑稽じゃないですか」 下ネタだらけの古典『宇治拾遺物語』が映し出す人間の本質

町田康が語る、『宇治拾遺物語』の下ネタ
町田康 訳『宇治拾遺物語』(河出文庫)

 作家・町田康が手掛けた現代語訳版『宇治拾遺物語』がついに文庫化された。『宇治拾遺物語』は、中世日本で生まれた説話集で、当時集められたさまざまな説話を収めた貴重な古典文学だ。

 町田氏といえば、リズム感のある独自の文体で知られ、多くの読者を魅了してきた。近年、町田氏は次々と古典の新訳を手がけ、”古典×町田文体"という斬新なアプローチで新境地を切り開いている。

 本書では原典に含まれた197篇の説話の中から、33の説話が収録された。町田康版の『宇治拾遺物語』は発売されるや否や、「電車のなかでは読めない」と”笑える古典文学"として話題となっている。

 今回は、そんな町田氏にインタビューを行い、『宇治拾遺物語』の魅力や古典の翻訳に込めた思いについて詳しく伺った。(菊池良)

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文豪が新訳する古典は"下ネタ"だらけ?

──町田康さんの『宇治拾遺物語』が文庫化されました。これは元々2015年に池澤夏樹さん個人編集の日本文学全集に収録されたものですね。

町田康(以下、町田):これをやる前に『文藝』で『ギケイキ』(源義経について書かれた古典『義経記』を下敷きにした長編小説)を連載していましたから、ちょうどそういう古典の仕事を始めているときだったんです。こういうのおもろいなって思ってたとこだったんで、ちょうどよかったというか、やらせてもらいますわって言うて。

──読者としては、幼いころから古典には親しんでいた?

町田:それはないですね。古典は中学高校で習ったぐらいで、あまり自分で読みこなすとか、好きで読んでいたわけでもなくて、たまたまちょっと前に興味を持ったっていう感じぐらいですね。

──昔から古典を読んでいたわけではなかった。それでも町田さんは『義経記』や『古事記』などの現代語訳もやられていますよね。なにかきっかけがあったんでしょうか?

町田:15、6年前だと思うんですけど、たまたま古典に関する本をよそから送ってもらって、読んでみたら面白いなって思って。小説のネタになりそうやなって、なにかやりたいなって思ってたんですね。それで『義経記』の翻訳をはじめたんです。別に発表のあてもなくて、自分の趣味といいますか、遊びといいますか、勝手にやっていたんですけど。

 それを、河出書房新社の『文藝』の編集長から「なんかやれへんか」って言われたときに、「こんなんやったら今やってるけど」ってちょっと見せたら、「あ、おもろい」ってなって、それで連載でやることになりました。3巻ぐらいまで出ていて、いま4巻をやっています。

──それで『ギケイキ』を連載していたら、日本文学全集の話がきた。最初に『宇治拾遺物語』を読んだときは、どう感じましたか?

町田:『宇治拾遺物語』は説話集ですから、『今昔物語集』(※)なんかにもわりと似たような話が入っているんですけど、『今昔物語集』の方はちょっと仏教色が強いというか、真面目というか、なにか言いたいことがあって物語を書いている感じがするんですよ。まず思想があって、その思想を言いたいから物語を言うてるみたいな感じ。『宇治拾遺物語』は物語を言いたいけど、このままだとあまりにもひどいからちょっと思想をエクスキューズとしてつけとこうかみたいな、そんな感じがあって。どっちが良い悪いじゃなくて、そんな違いを感じましたね。

※『今昔物語集』……平安後期に成立した説話集。さまざまな文献からインド、中国、日本の説話を1000以上収録した日本最大の説話集。

──この中には全部で197篇ある中から33の話が収録されています。それぞれのエピソードはご自身で選ばれたのでしょうか?

町田:自分で選ぶと、どうしても偏るかと思って、編集部の人に選んでもらいました。30ぐらい選んでもらったら、全部下ネタ。編集の趣味なんかなと思ったら、「いや、そういうわけじゃない。全部下ネタなんです」って。『宇治拾遺物語』そのものがだいたい9割ぐらい下ネタかな。

笑える古典が教えてくれる"人間って、そんなもん"

──読者の感想を読んでいますと、やはり「古典なのに笑える」というものが多いです。なにが現代人にも響くのだと思いますか?

町田:人間の本質というか、必死になにかをやっている人間って、滑稽じゃないですか。この中にも必死な人間が出てくる。例えば、「偽装入水を企てた僧侶のこと」(※)とか、「穀断の噓が顕れて逃げた聖の話」(※)とか。周りから見たらアホみたいな話ですけど、本人は必死じゃないですか。この人間の必死の面白さみたいなのは、自分も書いていきたいなっていうのはありますね。

 物事を悲劇的に捉えたら高級な芸術みたいな感じになって、喜劇的に捉えるとちょっと一段下か、二段下みたいな見られ方をします。自分はどっちかと言うたら、その二段下な感じのほうが、親近感がわきますね。あまり高級ぶってるようなやつを見ると、なにか言いたなるのが自分のタチなんで。

※「偽装入水を企てた僧侶のこと」……僧侶が修行のために入水を決意するが、群衆が盛り上がりすぎて目論見がおかしくなる話

※「穀断の噓が顕れて逃げた聖の話」……何年も穀物を絶っているという僧侶に、若い僧侶が失礼な質問をしてくるという話

──読んだ方のレビューを読むと、「落語っぽい」という声もありました。

町田:落語っちゅうのも、そういうとこありますね。『宇治拾遺物語』は説話ですから、一応文字で書いてありますけど、宇治大納言がいろんな面白い話を集めたというね。序文に書いてありますけど。人が口で言うたことを書いてあるわけですから、口で面白おかしく語るっていう意味では、落語みたいなところもあるのかもしれない。

──語りという部分で、共通点がある。

町田:『宇治拾遺物語』の原文は昔の言葉で書いてありますから、たぶんそのまま読んでも、そんなに面白いもんでもないと思います。ただ、人間の根本というのは、800年前も1000年前もあんま変わらんから、おもろいのはそういうところなんじゃないでしょうかね。

──特に好きなエピソードというのはありますか?

町田:話としてよくできているのは、「中納言師時が僧侶の陰茎と陰嚢を検査した話」(※)ですかね。あと、「源大納言雅俊が童貞の僧に鐘を打たせようとしたら……」(※)も笑えますよね。うん、そういうのは面白いなと思いますね。

※「中納言師時が僧侶の陰茎と陰嚢を検査した話」……中納言が煩悩を切ったという僧侶の股間を検査する話

※「源大納言雅俊が童貞の僧に鐘を打たせようとしたら」……大納言が仏事をしようと性交したことのない僧侶を呼ぶ話

──どれもいま読んでも共感して、笑えます。

町田:共感というか、人間そんなもんよねっていうのはありますよね。たとえばですけど、「藤大納言が女に屁をこかれた」。これは藤大納言という若い貴族が女性といい雰囲気のときに相手に屁をこかれた。それで急になにもかも虚しくなって、出家しようと思うのだけど、すぐにやっぱり思いとどまる。勢いで決意するけど、あかん、俺なに考えてたんやろ、みたいな。なんかわかりますよね、こういうの。

──たしかにそういう瞬間はあります。

町田:さっき下ネタばかりって言いましたが、なんか一括りに下ネタって言ってしまうのはもったいないですよね。やっぱりそこに人間のいろんな悲しみとか、どうしようもなさとか、憎めないところとか、ぜんぶ詰まっているんで。簡単に下ネタやダジャレと言ってまとめてしまうのは、ちょっともったいないことをしているなっていう風に思いますね。

──当時はそういうカテゴライズもなかったんでしょうね。

町田:けっこうおおらかに笑っていたんだと思うんですよね。羞恥心の概念みたいなのもだいぶ違っていたでしょうね。

──解説の小峯和明さんも書いていましたが、全訳も期待してしまいます。

町田:そうですね、やれるもんならやりたいですね。

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