年収300万円の掃除夫が7億円貯めた方法とは? 伝説の投資家・www9945に聞く、街角ウォッチ投資法の極意

投資家•www9945が7億貯めた方法とは?

激動の時代を乗り越えた伝説の投資家

www9945『年収300万円、掃除夫だった僕が7億円貯めた方法』(宝島社)

2014年9月から株の配当金で生活している伝説的な投資家www9945氏が、『年収300万円、掃除夫だった僕が7億円貯めた方法』(宝島社/刊)を出版した。バブルの崩壊後、90年代から投資を始めたwww9945氏の投資人生を振り返ると、必然的に平成時代の経済を俯瞰することができてしまう。

そして、2000年代にネットで株の売買ができるようになると、2ちゃんねるなどのネット掲示板を通じた情報交換も活発化した。リーマンショックや東日本大震災などもあった激動の時代において、www9945氏は紆余曲折を経ながらも、独自の投資理論で常に安定した利益を生み出してきた。

昨今、社会不安の影響ゆえ、積み立てNISAを筆頭に若者の間でも投資への関心が高まっている。現在の社会情勢をwww9945氏はどう見ているのだろうか。そして、初心者でも始めやすい投資の手法はあるのだろうか。独占インタビューで明らかにしてみた。

コラムを機に株にハマる

――www9945さんが投資の魅力にはまるきっかけになったのは、作家の邱永漢さんのコラムだそうですね。

www9945:僕は社会人1年目のとき、茨城県の納豆メーカーで営業をしていたのですが、「MONEY JAPAN(マネージャパン)」という雑誌の巻頭特集で拝見したのが最初です。邱永漢さんは作家と並行して事業もやっていて、中国株やベトナム株に投資している方。株をやれば経済に明るくなる、仕事にも役立つ、そしてお金が儲かると述べていました。

――www9945さんは投資を始める前はかなりのゲーム好きだったとか。

www9945:昔から将棋クラブをやっていて、ゲームは好きでしたね。大学生の時は麻雀と競馬にハマっていました。特に競馬のゲーム「ダービースタリオン」に没頭していて、1年に1回、実際にかけたふりして決算を出そうという遊びを周りがやっていたんですよ。このときにわかったのは、ギャンブルは負けると元手がゼロになりますが、株の場合は企業が倒産する確率は低いので、ゼロにはなることは極めて少ないのだということ。上手く投資をすれば、こんなに儲かるものだとわかったのです。

――投資をはじめる前は、緊張感も大きかったのでは。

www9945:何はともあれ株を買ってみようと思い、茨城県の勝田市(現、ひたちなか市)にある「岡三証券」に飛び込み、100万円で何か買いたいですと言ったのがきっかけです。当時はネット取引なんてありませんし、証券会社に行くしかない。でも、店頭に入るまでに2~3回引き返したくらい、入りにくい空間でしたね。今では100株単位で気軽に買える銘柄が多いですが、当時は1000株単位が主流だったので、元手も結構必要だったんですよ。心理的ハードルも、お金を貯めるハードルも大きい時代でした。

――www9945さんが最初に買った株の銘柄は何だったのでしょう。

www9945:最初に買った銘柄の一つは、セメント大手の宇部興産です。ほかには北陸電力でしたね。合計77万円くらいでしょうか。ところが、宇部興産は翌日に株価が下がり、1年後には半分以下になってしまいました。2380円で買った北陸電力も、1年後に2230円になった。ぜんぜん目論見通りにいかなかったんですよ。

ラジオ、新聞、チャート集が“三種の神器”

――株は一度負けるとショックが大きく、すぐに止めてしまう人も少なくありませんが、www9945さんは脱落しませんでした。

www9945:純粋に株が好きだったからでしょうね。株を買ってチャートを毎日見て、上がるか下がるかを分析するのが面白かったんです。利益ばかり追いかける投資のスタイルだったら、早々と脱落していたでしょうね。

――現在はネット上に投資の情報がたくさん転がっていますが、当時の情報源は何だったのですか。

www9945:ラジオ、新聞、チャート集が三種の神器でした。主な情報源はラジオの短波放送です。新聞は日経をとっていましたが、一刻も早く株価が見たくて、夕刊を営業中に買いに行きました。それほど値動きが見たいくらい、情報に飢えていたんです。他には株式新聞をよく買っていましたし、ラジオ日経では杉村富生さんや木村佳子さんの投資番組をよく聞いていましたね。

――当時は個人投資家がメディアに出ることはほとんどなく、いわゆる経済の専門家や証券会社のプロが投資の情報を発信していましたよね。

www9945:大手証券会社や投資信託の営業部長の話は、大本営発表のようで、だいたいステマでしたね(笑)。ご存じの通り、90年代の株価は下げ相場でした。それなのに、一時的なものだ、またバブルのような上げ相場が来るぞという空気感もありましたし、そう話している専門家はたくさんいましたからね。

――今となっては完全に予想が外れていたわけですね。ネットで株取引が始まると、情報源はネットに移行したのでしょうか。

www9945:僕は2ちゃんねらーだったので、「株式板」と「先物オプション板」に入り浸っていました。当時はネットに接続するだけでも、凄く料金が高かったでしょう。先物オプションの取引はシャープの携帯情報端末「ザウルス」を手に、外でやっていました。

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