「世界」編集長・堀由貴子インタビュー「自分の居場所だと思ってもらえる雑誌にしたい」

「世界」編集長・堀由貴子インタビュー

「自分の居場所」だと思ってもらえる雑誌にしたい

――「中央公論」4月号では、同誌の五十嵐文編集長、「正論」の田北真樹子編集長と鼎談されていましたけど、いかがでしたか。

堀:今まで接点がなかったので貴重な機会でした。雑誌編集は島のようなものでもあって、いま、大きな趨勢でいえばその島は小さくなって、沈没しかねない危機にある。そういう時だからこそ、他の島に橋をかけたり、往来したりするのは大事だと思います。

――「中央公論」、「正論」以外で意識したり注目している媒体はありますか。

堀:いろいろ楽しみに読んでいますが、正直、余裕がなくて自分のところを考えるのに精いっぱい。ただ、バックナンバーや過去の特集は意識しています。たとえば2001年の9.11アメリカ同時多発テロが起きる前の2000年9月号の特集は「イスラーム わが隣人たち」。同じ頃に女性戦犯法廷を特集していたり、企画のアプローチを考える際にバックナンバーの棚に行くことは多いです。他にも「現代思想」の「隣の外国人」(2007年6月号)、「社会の貧困/貧困の社会」(同9月号)など、学生の頃みていた特集タイトルがふと頭に浮かんだり、思考の原型になっていると思います。

 今日、児玉隆也さんの『淋しき越山会の女王』(岩波現代文庫)を持ってきました。田中角栄内閣を追いこんだことでは、立花隆さんの「田中角栄研究」と児玉さんの「淋しき越山会の女王」が有名ですが、児玉さんの最初の作品は「世界」1958年8月号に読者投稿として掲載されていた「子からみた母」です。東日本大震災の後にも手記を募集しましたが、様々な形で読者投稿の場を設けていて、そうした枠組みをどう新たに打ち出すかは考えています。

――今後やりたいと思っていることは。

堀:「世界」編集部に入ったことで、児玉さんの作品ふくめ雑誌ノンフィクションの面白さを知りました。澤地久枝さんとドウス昌代さんに以前、往復書簡連載をしていただきましたが、おふたりとも「現代」「文藝春秋」などで作品を発表されてきた。澤地久枝さんを通じて読むようになった本田靖春さんの作品も大好きです。ノンフィクションが生まれる場としての役割を積極的に担っていけたらと思います。

 あと、長い記事と短い記事の両方をより効果的に出していきたいですね。編集長になって、入り口になる記事、電車で手に取っても読み終わる短めの記事を意図的に増やしています。他方で、雑誌のレイアウトだからじっくり読める、1万~2万字弱の噛み応えのあるものをいっそう大切にしたいと思っています。

――インターネットの活用については。

堀:この号にはこんな記事がありますよ、と知っていただくためにXを使うとか、場合により一部の記事を公開して反響をひろげてゆくことは、必須の作業だと思います。ネットに大きな期待をしているわけではないのですが、読者の方とのコミュニケーションの場としてもう少しうまく使っていけないかと思っています。昨年、連載「ブラック・ミュージックの魂を求めて」を担当した若手の編集部員が著者の中村隆之さんにXのスペース上でお話をうかがったり、丸善丸の内本店さんとインスタライブをやったりしました。著者の方と読者の皆さん、編集部が声を交わすような場所を、少しずつつくっていきたいと考えています。

――今年1月号からは電子版も配信していますよね。

堀:出足は好評です。電子書籍化は会社でも進めていますが、単行本はまだこれから、というものも多い。「世界」は予想より初速がよく、海外からも「買えるようになった」と感想をいただいています。

――これからの論壇は、どうなっていくと思いますか。

堀:そもそも私は、確固とした論壇があると思ったことが一度もありません。

 リニューアルの前後で、「文芸誌にしないで」、あるいは「文芸誌っぽい」とよく言われ、モヤモヤが残りました。文芸誌に失礼ではないかと。国内外の情勢や社会の問題を論じている論壇誌は特別だ、そうした見方には抵抗があるし、もう成り立たなくなっている。オンラインを含めてそれぞれの媒体がそれぞれの仕方で問題提起して、「論」を打ち出しています。先ほどの島のたとえでいえば、ジャンルにとらわれずに、離れた島とも論を結び、活性化していける、そういう時代なのかもしれません。そのなかで読者に「自分の居場所」だと思ってもらえる雑誌にしたいです。

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