女装家心理カウンセラー・クノタチホが考える、ルッキズムとの向き合い方 「絶対的な答えがあるはずだと信じることをやめること」

女装家心理カウンセラーが考えるルッキズム

 女装家心理カウンセラー・クノタチホが「ルッキズム」をテーマに著した小説『コンプルックス』(サンマーク出版)が話題を呼んでいる。

 美容室「ナルシスの鏡」には、自身の容姿に絶望した人が覗き込むと、一瞬で誰もが振りむく姿になれる不思議な鏡があった。ただし、その姿はあくまでも仮想現実で、66日を過ぎてもなお仮想現実の中で生きることを決めると、元の世界でのその人物の存在は消えるといういわくつき。果たして、「ナルシスの鏡」を訪れた二人の女性は、美しさを手に入れて幸せを掴むことができるのかーー。

 逃れることのできない「美しさ」への葛藤を、心理カウンセラーならではの視点から描き出した物語には、きれいごとではない人生哲学が込められていると評判だ。著者のクノタチホに、改めてルッキズムとの向き合い方を聞いた。(編集部)

人が精神を病むいちばん大きな原因は?

クノタチホ

ーー大事なのは外見の美しさか、それとも内面の美しさか? 永遠の命題を突きつけられて葛藤する女性たちを描いた小説『コンプルックス』。身につまされるところも多かったです。

クノタチホ:整形手術を否定する人たちは、一度はじめたら依存してしまうのではないか、行きつくところまで行ってしまうのではないかと懸念して、「大事なのは心であり内面の美しさなのだ」という結論に落ち着きがち。でも、それが強迫観念となってかえって生きづらさを招いているのではないか、というのが、長年心理カウンセラーとしてお話を聞いてきた実感なんです。目に見える外見の改善をはかっている方のほうが、メンタルヘルスが健康であるというケースはままあるんですよね。もちろん、外見を磨けばなにもかも解決するというわけではないですが、両派の隔たりをどうにかして埋められないかと思ったことが、小説を書くきっかけとなりました。

ーー物語のカギとなるのが、浅草の美容室にあると噂される「ナルシスの鏡」。選ばれた人だけが、自分が望むとおりの美しい姿となって、鏡の向こうの世界で生きていけるという。

クノタチホ:人は、記憶や体験を通じて得た情動を潜在的に蓄積していて、追体験するように似た体験を繰り返してしまう、と心理学では言われています。つまり、たとえ容姿がパーフェクトな状態に変わったとしても、内面の情動が変わらないのであれば、抱えている問題から逃げることはできないんですね。小説の表紙をめくったところに〈なぜ人は「美しさ」から逃げられないのか?〉という煽り文句を書いていただきましたが、それ以前に人は、「自分」から逃れることができないんです。外見の美醜ではなく、何層にも覆われた奥にある「本当の自分」に向き合うことが必要なのだ、ということを描くしかけとして「ナルシスの鏡」を設定しました。

ーーだからといって「外見にとらわれず内面の美しさを磨くべきだ」という結論に着地しないのが、この作品のおもしろいところですよね。

クノタチホ:それではあまりに薄っぺらいというか、けっきょく、なんの解決にもなりませんからね。人が精神を病むいちばん大きな原因は、答えを見つけたがること。たった一つの、絶対的な答えがこの世界にはあるはずだと信じることをやめることが、幸せになる第一歩だと思っているので、わかりやすい結論を用意しないというのは、最初から意識していました。

ーー作中に登場する祐子は、自分をブスだと自覚しながら、「内面だけでなく見た目も好きだと言ってほしい」と強く願っています。その願いをかなえてくれない不満で恋人との関係も悪化するのですが、鏡の向こうでも、いかに美しくあるべきかにとらわれすぎて、けっきょくまわりから人が離れていくというのが示唆的でした。

クノタチホ:美しさがすべてを解決すると信じてきたけれど、追究し続けた結果、得られる感情的な幸福は薄かったと語る方が、容姿のいい方には多いんですよね。けれど、内面の美意識が強い方は、こうするべきだ、ああするべきではない、と言動のタブーをたくさん増やしてしまう。それではいつまでたっても心がラクになりません。さらに、苦しみの原因に気づいて向き合うことが大切だ、と心理療法の世界で唱えられ続けてきたせいで、みなさん、どうすれば未来の自分が幸せになれるかということよりも、過去の自分に何があったかの因果関係ばかりを考え続けてしまうんです。

――原因に向き合うのって、だめなんですか。

クノタチホ:絶対にだめとはいいませんけど、因果にとらわれて過去が楔となることで、自分のネガティブな側面ばかりを拾い、苦しんでいる方の姿を私はたくさん見てきました。本末転倒なんですよね。それよりも、明日からの自分の選択を変えるために何ができるかを考えたほうがいいんじゃないかな、と私は思っています。ついついクセでやってしまいがちだったこと、たとえば祐子だったら「自分を正当化するために人の意見を排除する」という心のクセを自覚するだけでなく、行動を変えることで相手の反応も変わるのを実感する。それで「ああ、よかった」と思える瞬間を重ねていくことでしか、人は変わっていけないんじゃないかなあ、と。

ーーたしかに「だから自分はだめなんだ」と思うだけでは、何も変わらないですもんね。ウジウジし続けているほうがラクというのもありますが……。

クノタチホ:コンプレックスに向き合えない人の根っこには、解決したいという欲求だけでなく、解決できない自分にも無条件の愛情を注いでほしい、寄り添ってほしいという欲求もあります。でも、とくに恋愛市場において「私が安心できるような行動をとってよ!」と相手に要求して、うまくいくことはめったにありません。

ーー耳が痛い……!

クノタチホ:その要求は、相手に精神的負担を押しつけることになると、まず自覚しなくてはなりません。そしてもう一つ、役割をすべてひとりの人間に押しつけないこと。すべての安心感を、たったひとりの恋人からもらおうとするのは、無理があります。恋人以外にも家族や友達、同僚や先生といった、いろんな立場の方に少しずつ心を預けるほうがいいし、みんなから少しずつ安心感をもらって、そのつど必要に応じて寄り添ってもらえたら、それでじゅうぶん幸せじゃないですか、ってことも私は伝えていきたいんです。

ーー言われてみれば、恋人や夫に、親や友達に求めるような役割まで求めてしまい、うまくいかなくなる話は、よく聞きます。

クノタチホ:子どものころに、親と一対一の関係を築きすぎた人ほど、そうなってしまう傾向はあります。たとえば祖父母や兄弟姉妹、近所のおばちゃんといった、いろんな人からの愛情を注がれて育った人は「愛情というのは複数からもらうものだ」と無意識に認識している。でも、親が「私からの愛情があってこそ、あなたは幸せなのよ」というような態度で子どもを縛りつけると、唯一無二の存在を求めるようになってしまうところがある。一人でも多く、この人は味方だと思える存在を増やしていくことが、トラウマやコンプレックスに向き合うためにも必要なんじゃないかなと思います。

ーーそれがいちばん難しいのですが、その難しさにどう向き合うか、さまざまな女性たちの葛藤を通じて描かれているのが、この小説のおもしろさですよね。わかりやすい結論に着地しないだけでなく、安易な慰めも言わない。自分の足で立つことを突きつけてくる、厳しさもありました。

クノタチホ:私はふだん、性的な心の解放についてお話させていただく機会が多いんですけど、それは身体的な接触の機会を増やすことが、依存先を分散させる練習につながるからなんですね。だから必ずしも性的な関係を結ぶことが重要ではなく、女友達と手を繋いだり、肩によっかからせてもらうだけでも、かまわないんです。そうやって訓練を重ねながら、自分のコンプレックスに向き合い、自分の足で立つことを覚えないと、性依存症になってしまう危険性もある。安易な慰めも、同じです。絆創膏で傷をふさぐみたいに、安易な慰めでその場をしのぐだけでは、なんの解決にもならないどころか、もっともっとと、要求ばかりが大きくなる。誰がなんといおうと、自分自身が納得できる場所にたどりつかなければ意味がないんだ、ということも、本作ではこだわって書いたつもりです。

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