『エスパー魔美』のプロトタイプ? 藤子・F・不二雄SF短編ドラマ『アン子 大いに怒る』の特異性

藤子・F・不二雄『アン子 大いに怒る』の特異性

 NHK BSで「藤子・F・不二雄SF短編ドラマ」のシーズン2が放送中だ。本日4月21日に放送されるのは『アン子 大いに怒る』(初出:『週刊少女コミック』1974年12月8日号。原題は『赤毛のアン子』)。SF短編のなかでは、少女向けのマンガ誌に発表された唯一の作品で、『エスパー魔美』のプロトタイプと目されている。赤毛の女の子が主人公であること、父親は画家であること、ヒロインにヨーロッパの血筋が混じっていることなど、両作の共通点は多い。では、『アン子 大いに怒る』はどのような物語であるのだろうか。

 中学生の青山アン子は、母親を亡くし、画家の父親と二人暮らし。父親の絵はあまり売れないらしく、家計は苦しい様子がうかがえる。しかし、アン子は母親がわりに家のことを切り盛りし、父親の前では辛そうな顔も見せない。そんなアン子に楽をさせられないかと、父親は友人・宇祖田から持ち込まれたある「ビジネスチャンス」に飛びつくのだが……。

 物語が進む過程で、アン子がある違和感を抱えていることが、読者にはしだいに了解されてくる。本来なら聞こえるはずもない犬の声に気づいたり、洗濯ものを取り込もうとしたら、いつの間にかすでに衣類が部屋にあったり、探していたはずの目覚まし時計をいつの間にか手にしていたり。彼女が潜在的に持っている、特殊な能力の萌芽がこうした描写を通して提示されていくが、終盤、「ビジネスチャンス」がもたらした家庭の危機によって、その力はひとつの爆発を迎える。

 『アン子 大いに怒る』には、藤子・F・不二雄のほかの「超能力」を題材とした作品と比較して、ある特徴的な点がある。それは、アン子の超能力が作品の終了時点ではあくまでも萌芽に留まっており、彼女が自身の持つ能力をそこまで把握/発揮できていないという点である。

 『エスパー魔美』はもちろん、『パーマン』や『中年スーパーマン左江内氏』、SF短編では『わが子・スーパーマン』『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』など、基本的に藤子・F・不二雄の「普通の人間がある日突然超能力をもつ」という構図をもった作品では、力の大小はあれ、または先天的なものか誰かによって与えられたものかという違いはあれ、主人公が自身の超能力を認識し、それをどのように開花/活用させていくかまでがセットとして描かれている。つまり、『アン子 大いに怒る』で描かれた物語は、上記の作品においてはあくまで序章として位置づけられるようなエピソードであり、いわば力の「目覚め」の時点に留まるということに、『アン子 大いに怒る』のひとつの賭金がある。

 『アン子 大いに怒る』では、アン子の超能力は最後は父親に認識され、「魔法なんかけっしてアン子を幸せにしてくれないと思うから」と使うことを止められる(『エスパー魔美』においても、魔美の父・佐倉十朗は超能力があったらという仮定の話を魔美とするなかで、周囲の目線を恐れ「ひた隠しにする」であろうことを語っており、この点でもつながりを感じさせる)。

 「もう二度と使いません」と答えるアン子だが、しかし、それが守れるかどうか。『アン子大いに怒る』の最後の1ページでは、無意識のうちに彼女が能力を使ってしまった顛末が描かれる。それはどちらかといえばコメディタッチだが、アン子の立場からすれば、笑うだけで済ませられることではないだろう。アン子の超能力はなにかしらの鍛錬によって身についたものではなく、先天的なものである以上(アン子の母の一族は由緒正しい魔女の家系であり、超能力は血筋に由来するものであろうことが作中で説明される)、それを捨てることの困難さが読者には推察される。

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