手塚治虫 知る人ぞ知る名作『地底国の怪人』の凄さ 当時ではありえなかった“結末”の内容
手塚治虫の「創作ノート」が4月16日に発売される「手塚治虫キャラクター名鑑」(玄光社)で初公開されることで話題となっている。自身の漫画を辛口に批評している記述もあるとのことで、内容が気になるところだ。『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』『ジャングル大帝』など手塚の名作はいくつもあるが、60歳で亡くなるまで第一線で漫画を描き続けた手塚の生涯を辿ると、戦後日本の漫画史をなぞることができるといえよう。
【写真】藤子不二雄(A)が保管していた未発表原稿掲載の手塚治虫の『魔法屋敷』
初期の作品では、藤子不二雄(A)が『まんが道』に登場させた『新寳島』が有名だ。映画を見ているかのような車の疾走シーンは、当時の漫画になかったスピード感あふれる表現で、漫画少年たちに衝撃を与え、一種の“手塚神話”を生んだ。昭和20年代の手塚作品にはエポックメイキングなものがたくさんあるが、その中でも知る人ぞ知る名作が昭和23年(1948)に出版された『地底国の怪人』である。
『新寳島』は、藤子不二雄(A)を筆頭に石ノ森章太郎らトキワ荘メンバーの多くが影響されたと語る一方で、手塚はその価値に否定的であった。自身の全集(講談社から刊行された『手塚治虫漫画全集』)に最後まで収録を拒んだ逸話が有名である。対して、『地底国の怪人』は、手塚が全集のあとがきで「ストーリー漫画の第一作」と讃えるほど、自身でも重要な作品と位置付けていた。
いったい何が画期的なのか。それは、日本の漫画で最初期に“悲劇”を描いた点にある。重要なキャラクターの耳男が、物語の最後に死んでしまうのである。それまでの漫画の物語といえば、あくまでも娯楽寄りであった。ゲラゲラ笑って楽しめて、オチがハッピーエンドであれば良かったのである。『新寳島』も最後は宝物をゲットして島を去る、めでたしめでたし、というハッピーエンドなのだ。
こうした漫画を見慣れていた漫画少年たちが、アンハッピーエンドな結末を前にした衝撃はいかほどのものだっただろう。リアルタイムで本作を読んだ藤子・F・不二雄がその驚きを語っている。藤子(A)と一緒に読み終えた藤子Fは思わずのけぞり、「こんなのありか!?」と仰天したそうだ。
漫画研究者の竹内オサムによれば、悲劇的なエッセンスを盛り込んだ漫画は本作以前にもあったという。しかし、手塚の真骨頂は、読者が思わず感情移入してしまう登場人物の最期を生み出したことにある。地上人と地底人の科学文明の衝突を描き、かつ単なる勧善懲悪に収まらない濃密なストーリーを描いた。手塚が「ストーリー漫画の第一作」と評価するゆえんである。
手塚治虫の業績は計り知れないが、そのひとつに漫画の表現の可能性を示した点があるだろう。『地底国の怪人』はそうしたインパクトを与えるに充分な作品だった。藤子・F・不二雄は「漫画というメディアの持つ底知れない鉱脈の採掘が、この時から始まった」と説き、手塚が漫画の読者層を拡大したことで、「次世代の漫画家予備軍が育ち始めた」と語る。そして、日本の漫画が海外と異なる進化を遂げ、表現の多様性を獲得した要因を「日本には手塚治虫がいて外国にはいなかったからなのです」と評している。
昭和20年~30年代の漫画少年の間で、手塚治虫は絶対的な存在であった。巨大な存在だったからこそ追従者が生まれたし、“アンチ手塚”的な立場から、異なる表現を模索する漫画家も生まれたのである。昭和30年代は週刊少年漫画雑誌も創刊され、劇画も発展し、漫画の表現がますます多様になっていく。『地底国の怪人』はその後の日本漫画に急速な進化がもたらされた契機となる、重要な作品と言っていいだろう。