杉江松恋の新鋭作家ハンティング 還暦を過ぎてのデビュー作、東圭一『奥州狼狩奉行始末』
熊も怖いが狼も怖い。
東圭一『奥州狼狩奉行始末』(角川春樹事務所)は、自然と共に生きてきた人間のありように思いを馳せさせられる、味わい深い長篇だ。第15回角川春樹小説賞の受賞作で、作者は1958年生まれ、還暦を過ぎてのデビューだけあって文章は穏やかであり、時に温和なユーモアがある。年輪を重ねてきた者ゆえの滋味というべきで、今後の楽しみな書き手だ。
狼の小説である。現在の東北地方は、江戸時代太平洋側が奥州、日本海側が羽州と呼ばれていた。その奥州のある潘が舞台である。この地域の主要産業の一つが馬だ。近代以前、馬は交通、生産などさまざまな場面で重宝されていた。藩にとっては重要な収入源であり、牧と呼ばれる公営の牧場で熱心に馬を増やしていた。牧にとって狼は、許すべからざる敵だ。せっかく育てた馬の子を獲られてしまっては元も子もない。狼狩奉行は、その狼から牧を護るために設置された役職である。
主人公の亮介は、岩泉家の次男坊だ。武家の相続は長男がする決まりで、次男坊は他家の婿にでもなる以外、公職に就く目はない。亮介もすっかりそのつもりでいたのだが、偶然が重なって、彼に臨時の狼狩奉行の役が回ってきた。狼に噛まれた前任者が狂犬病で急死し、後任者が見つからないという事態になったのだ。三年前に急死した父の源之進や領内の山に詳しく、その息子ということで白羽の矢が立ったのである。亮介が藩内でも知られた剣の使い手であるということも考慮に入れられたのだろう。
牧は危機的状況にあった。その原因は黒絞りと呼ばれる巨大な狼に率いられた群れの出現である。餌になる鹿が減少したため、狼たちは牧の馬に狙いを転じていた。柵で囲われた牧は、いったん侵入してしまえば餌場も同然である。頭領である黒絞りを仕留めて狼たちを殲滅することが、臨時狼狩奉行喫緊の課題となった。
こうした始まり方をする小説だ。獰猛かつ巧緻な狼と人間との対決を描く物語といえば思い出すのが、アーネスト・トンプスン・シートンが書いた「狼王ロボ」である。いわゆる『シートン動物記』の劈頭を飾る一篇で、作者自身が登場し、巨大な狼との死闘と、その中で敵に対して抱くようになった思いを語る。
『奥州狼狩奉行始末』は、その本歌取りとして書かれた小説にも見える。序盤に、猟師を従えて山に入った亮介が黒絞りと対決する場面がある。他の獣たちよりもひときわ大きく、「鋭い眼光、落ち着き払ったようなその佇まい」には、亮介も畏敬の念を覚えざるを得ない。
実は彼にとって黒絞りは、因縁深い相手でもあるのだ。山で父が不慮の死を遂げたのは、黒絞りに遭遇して谷底に落ちたためだと言われているからである。つまり父の仇討ちという意味合いが人と狼の対決には持たせられている。