OKAMOTO’Sオカモトショウ連載『月刊オカモトショウ』
オカモトショウが語る、押井守×今敏による未完の名作『セラフィム』 「今の方がリアルな物語として読めると思う」
未完に終わったのは運命だったかもしれない
——「アニメージュ」での連載は1994年5月号から1995年11月までで、そのまま休載。今敏さんが2010年に46歳で亡くなったため、未完のまま単行本になってますからね。連載中も押井さん、今さんがかなり強くぶつかったという話もあって。途中から押井さんは“原作”ではなく“原案”という立場になってます。
単行本の巻末に“没後初めて、押井守が今敏を語る”という趣旨の記事が載っているんですよ。それを読むと、お二人がかなり意見のやり取りをしていたみたいで。今敏さんが「押井さん、読む人への気遣いが足りないよ。読者を突き放すような描き方は嫌だよ」みたいなことを言って、押井さんが「読者をワクワクさせるために描いちゃいけない。あくまでも世界観が大事で、そのなかでキャラクターをどう動かすかを考えるんだ」という感じで答えたり。対立してたのは確かだと思いますけど、本当にどっちも正しいんですよね。あと、今敏さんに対して押井さんは「絵に色気がない」みたいなことを言いつつ、「でも、すごかったけどね」という感じの話し方をしていて。押井さんの性格的に「彼が生きてたら、ちゃんと終わらせられた」みたいなことは言わないんですけど、一方で「今読んでも恥ずかしくない作品だ」と言い切ってるので、もしかしたら「本当は最後まで続けたかった」と思ってるのかもしれないですね。“未完の名作”というジャンルもあるじゃないですか。手塚治虫の『アドルフに告ぐ』とか、三浦建太郎の『ベルセルク』だったり。もちろん最後まで読みたかったけど、描き切れなかった部分も含めて、愛着が沸いてしまうというか。音楽ではあまりないですからね、そういうことは。
——確かにそうですね。
似たようなことはあるんですけどね。ザ・フーのピート・タウンゼントが構想していた「ライフハウス」という幻の作品があるんですけど、それを作り切ることができなくて、結果的に「フーズ・ネクスト」になったとか。ビーチ・ボーイズの「スマイル」もそうですよね。もともとは1967年にリリースされるはずだったのに、ぜんぜん完成せず、2004年にブライアン・ウィルソンのソロアルバムとして発表されて。そういう例はいくつかあるんだけど、マンガの場合、“未完の名作”がけっこうあるんですよ。「セラフィム」もその一つですね。
——もし今敏さんがお元気だったら、映像化の可能性もあったでしょうし。
そうですよね。「セラフィム」を連載していた頃の今敏さんは30代前半で、押井さんをはじめとする先輩のクリエイターのみなさんに「腕利きらしいけど、どんなもんなの?」という見方をされていたみたいで。その後、『PERFECT BLUE』『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』『パプリカ』を作って、評価もどんどん高くなりましたからね。「セラフィム」をしっかり完結させて、映像化していたらすごかっただろうな。だからこそ伝説のマンガなんだけど……でも、「セラフィム」が途中で終わったことで今敏さんがアニメ作品を残せたと考えると、それも運命だったのかもしれないですね。もちろん「セラフィム」の続きは読みたかったけど、『PERFECT BLUE』や『パプリカ』が世に出たことは素晴らしいことなので。
■『セラフィム 2億6661万3336の翼』を読みながら聴きたい一曲
White Noise「An Electric Storm」(1969年)
『パプリカ』『妄想代理人』の劇伴を手がけた平沢進さんももちろん合うんですが、ちょっとマニアックなアーティストを紹介しようと思います。「White Noise」というバンドが69年にリリースしたアルバムなんですが、めちゃくちゃサイケで、ぶっ飛んでいて。音もすごく凝っていて、サントラっぽい感じもあるんですよ。「セラフィム」の世界観にも合うし、言葉やストーリーを邪魔しないんじゃないかな、と。