プチ鹿島がアントニオ猪木から学んだこと 「スーパースターは自ら多くを語らない」

プチ鹿島、アントニオ猪木を語る

 アントニオ猪木が亡くなって早1年が経った。しかし、テレビでは何度も特集が組まれ、書店には数々の猪木関連本が並び、生涯を追ったドキュメント映画も公開されるなど、その存在感はますます増しているようにように思える。

 時事ネタ芸人として活躍し、新聞、雑誌などにも多数寄稿するプチ鹿島氏が『教養としてのプロレス』(双葉社)以来、約10年ぶりに「教養として」を冠して挑んだテーマは「アントニオ猪木」だった。

 猪木から何を感じ、何を学びとってきたのか。猪木についてを想いを巡らし、さまざまな新事実までもを掘り起こした『教養としてのアントニオ猪木』(双葉社)について聞いた。(大谷弦)

悪徳というべき部分にも魅力がある

ーーアントニオ猪木さんが亡くなって、もう1年が経ちました。

プチ鹿島:亡くなってからのほうが、むしろ猪木さんのことを毎日考えている人は意外と多いと思うんです。僕も同じで、猪木さんについて毎日考えて、それこそ3~40年前の雑誌や新聞記事、猪木さんに関する単行本を読み直していると、あれってなんだったんだろうってことがたくさん浮かんでくる。「新聞読み比べ」と同じで、誰でもアクセスできるオープンな情報を閲覧して、それを自分なりに採録して、何か引っかかる所があれば調べる、掘り下げる、詳しい人に聞いてみる、というアプローチで、猪木さんがどう語られてきたのか、書かれてきたのかを考え直したのがこの本ですね。

ーー新たな視点、論考に加え、猪木さんにまつわる新発見もありました。

プチ鹿島:猪木さんというお題があると政治、社会、芸能、そしてメディア論と、すべてに通じていきます。猪木さんという鏡を通して世の中を見るという方法論は、僕が自然と培ってきたもので、それは今でも有効です。最近で言うと、統一協会問題という時事ネタがありますが、30年前の記事や本を読むと、猪木さんとこの問題がクロスしてくる瞬間もありました。

ーー猪木さんの試合や言動についても、改めて深く考えさせられました。

プチ鹿島:僕は世代的に、60~70年代の若くてアスリートとしても完璧な猪木さんには間に合わなかったので、その時代についてはあまり書いてないんです。その頃の試合はビデオなどで数多く観たんですけれど、この本では僕が10代の頃に見た80年代からのアントニオ猪木に絞りました。僕がリアルタイムで見た猪木さんと、そこで同時進行的に考えていたことを大事にしたかったんです。

 僕が観ていた80年代の猪木さんは、30代後半から40代に入っていて、レスラーとしてのピークは過ぎてきていた。だけど、老獪なテクニックや試合の企画力などは凄みを増していて、より面白くなった時代だったと思うんです。そこにいろんな謎や、割り切れない展開、なかにはスベった企画とかもある。でも、そこにこそ味わいがある。

ーー観客が暴動を起こすような試合や、世間を巻き込んだスキャンダルなどもありました。

プチ鹿島:ここが大事なんですけど、僕は最初から味わいがあるという面白がり方はしていないんです。10代のリアルタイムで見た時は、猪木さんのやることに対して本気で怒ったりもしました。でも、後から考えると、こういう見方もあるし、そうせざるを得ない状況だったのかなという大人としての見解も加えられるんです。猪木さんが100%正義のヒーローだなんて思ってないし、むしろ悪徳というべき部分にも魅力がある。いろいろ混ざり合ってる部分が猪木さんの面白さですね。

ーー鹿島さんの座右の銘である「半信半疑」の姿勢で対象を観る、ということですね。

プチ鹿島:猪木さんが亡くなって、より美化してしまっている人も多いでしょうけど、たぶん僕と同世代の人は、猪木さんの試合を見て感動したり、逆にこれは許せないと憤ったりと、感情を揺さぶられる日々だったはずです。でも、後でそのことを想うと無駄じゃなかったというか、むしろ豊かな経験だったのかもしれないと思います。

立ち止まったり、自分の中で熟考する態度こそが大切

ーー鹿島さんが書かれた『ヤラセと情熱 水曜スペシャル『川口浩探検隊』の真実』(双葉社)という本でも、この「半信半疑」というテーマがありました。

プチ鹿島:まさにそうです。やっぱり、対象をただ信じるわけじゃない。半信半疑でいろんな角度から見ていくことがキーワードになってるんですよね。

 僕が10代の時、プロレスや水曜スペシャルは、テレビコンテンツとして大好きな番組でした。でも、10代後半くらいになると、どちらも自分が熱狂しているほどには世の中で評価されていないことに気付き始めて「これってなんなんだろう」と考えるようになりました。

 自分でも思い当たる節はあるんですよ。プロレスだったら、なんでロープに振ったら戻ってくるのか。探検隊なら、前人未到の洞窟に入ってくる姿をどうしてカメラマンがしっかり撮っているんだ、とか。それを一笑に付して、こんなのヤラセとか八百長という前に、現場ではもっとすごいことが起きてるんじゃないかということを、子供の頃から思ってたんですよね。

 世の中からすれば、プロレスというジャンルを軽く見る人もいるかもしれないですけど、彼らが体を張ってお客さんを楽しませようとしていることは真実じゃないですか。そこにどんなエピソードがあるのか、テレビで流せないぐらいヤバいシーンがあったんじゃないかというのを知りたかったんです。

ーー近頃は、そのような曖昧な部分が許されない時代になってきていますよね。

プチ鹿島:最近は、SNSで流れてくるような情報に対しても、支持か反対かをはっきり決めようとする風潮があるじゃないですか。でも、そこですぐに二者択一で答えを出さずに、これはどういうことだろう、と立ち止まったり、自分の中で熟考する態度こそが大切だと思います。僕はそういう態度をプロレスや川口浩探検隊から習いましたし、今でも役に立っています。

ーー本の中でも出てきますが、特に若い世代の一部にはコストやタイムパフォーマンスを重視する傾向があるので、早急な結論を求めてしまうのかもしれません。

プチ鹿島:まあ、しょうがないと思いますけどね。皆さん忙しいし、僕らが若い頃とは入ってくる情報量が違うから、コスパ、タイパを求めざるを得ないという気持ちは理解できる。一方で、たまたま僕らは猪木さんを観て育ってきたので、じっくり考える楽しさもあるというのを知っている。それを、この本でも訴えたかったんです。

 最近だと宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』という作品があったじゃないですか。あれを観て、すぐ考察したり、解釈を語りたがるのが人情ですけれど、あんなやりたい放題の作品の意味なんて簡単には分からないですよ。でも、そこが楽しいじゃないですか。宮崎監督が好きなように作ったものを、ただ浴びる。僕はあの映画を観ながら、これは分かろうとするんじゃなくて、宮崎駿を体感すればいいんだなと思ったんです。でも、この感覚ってどこかで受けたことがあるなと思ったら、やっぱり猪木さんの晩年の試合とか言動に似ていたりするんですよね。

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