本を読まない人に向けた本作りでベストセラー多数! サンクチュアリ出版・橋本圭右編集長インタビュー

サンクチュアリ出版編集長インタビュー

 独創的なアイディアで次々にベストセラーを生み出しているサンクチュアリ出版。同社を20年以上支えてきた編集長が、橋本圭右さんである。「本を読まない人のための出版社」を掲げ、著者の思いを読者に届けるべく、試行錯誤を重ねて数々のユニークな本を制作してきた。その出版スタイルはどのようにして気づかれたものなのか。独占インタビューで紐解いてみた。(山内貴範)

サンクチュアリ出版とは?

――サンクチュアリ出版は、どのような経緯で立ち上がった出版社なのでしょうか。

橋本:サンクチュアリ出版が現在の体制になって、今年で25年目です。創設者は高橋歩さんという人で、歩さんが20歳のときに「カクテル」という映画に憧れて、大学を中退し、友人とアメリカンバー「ROCKWELL’S」を作るんですよ。2年で4店舗に広げるんですが、23歳のときになぜか友人に店を譲ってプータローになりました。

 そしてある日突然、書店で「野口英世やキュリー夫人の伝記の間に自分の本があったら、すごくね?」と思い立ち、無謀にも自ら立ち上げてしまった出版社がサンクチュアリ出版です。歩さんはその後、自伝『毎日が冒険』などベストセラーも出すのですが、3年間後に現在の社長の鶴巻謙介にバトンタッチして、またプータローになって、奥さんとふたりで世界一周の旅に出てしまいました。

――橋本さんがサンクチュアリ出版に入ったのは、高橋さんが離れた後なのですね。

橋本:はい。「高橋歩」というカリスマ的な人物を失った頃に入社しました。ただ当時在籍していたのは売れる本どころか、本の作り方すらわからないスタッフばかりで。とにかく自己表現をしたくて、エネルギーを持て余した若者たちが集まっているという状態でした。

――そんな出版社に、橋本さんはよく入社しようと思いましたね(笑)。

橋本:ただの偶然でした。僕は大学時代に雑誌ライターの真似事のようなことをしていて、そのまま社会に出てライターになると思ったのですが、なんとなく辞めてしまっていました。それで、しばらく定職にもつかずにふらふらしていた頃、ライター時代にお世話になった作家さんから「出版社を立ち上げたから来ない?」と誘われて入社しました。でもその出版社はあっという間に倒産してしまいまして。そのときに、その出版社の流通のサポートをしていたサンクチュアリ出版の鶴巻社長から「うちで働かない?」と声をかけられたんです。今後のことも決めていなかったし、またふらふらするのもどうかなと思っていたので、なんとなく流れでお手伝いすることにしました。

――社内の雰囲気はどんな感じだったのでしょうか。

橋本:初出社の日、会社の窓に「心配すんな、どうせ死ぬんだ」と筆文字で書かれた貼り紙を発見して、衝撃を受けました。社員は事務所でギターの弾き語りをしていたり、アートペイントをしていたりと、本当に曲者揃いでしたね。おまけに、「営業部」しか存在しなかったんですよ(笑)。だから僕もはじめは営業部員です。入社当時にあったコンテンツは主に高橋歩さんが作った本だけで、過去の作品をひたすら営業するしかない状態でした。

本を出さないとさすがにまずい!

――凄まじい環境ですね。でも、何か新しい本を出さないと、さすがにまずい状況だと思います。

橋本:新しい本を出そうにも、企画が取らないんです。そもそも営業部員しかいないし、満場一致じゃないと通らない、という厳しいルールでしたから(笑)。でもあるスタッフが「売れている本の第2弾」の企画を出したらあっさり通ったんです。発売日もすぐに決定。書店さんから注文も開始。

 しかし、そもそもろくに本作りのノウハウがない会社なので、そのスタッフもなかなか完成まで持っていくことができないんです。発売2ヵ月前になっても原稿が1ページも出てこない。「これは間に合わない。発売中止にしよう」という話になったのですが、社長は絶対に発売延期を許さなかった。それからどうなったか? その担当スタッフは突然旅行にいってしまうんです。

――未曽有のピンチですね。

橋本:そうなんです。でも、制作を止めるわけにはいかないわけです。そこで、かろうじてライターの経験があった僕と、デザイナーを兼ねていた当時の副社長と、有志の社員でなんとか見よう見マネで本の形にして、発売日に間に合わせました。残念ながらその本は売れませんでしたが、一冊完成したら、社内になんとなく「本をつくろう」という雰囲気が生まれ始めました。

――一冊の新刊を送り出したことで、社内の雰囲気も変わったわけですね。いよいよ積極的に本を出し始めたのでしょうか。

2000年代の若者たちに大きな影響を与えた『LOVE&FREE―世界の路上に落ちていた言葉』

橋本:当時在籍していた滝本洋平さんが編集を手掛けた、高橋歩さんの『LOVE&FREE―世界の路上に落ちていた言葉』というフォトエッセイが大ベストセラーになりました。滝本洋平さんはその直後、高橋歩さんに誘われて、高橋歩さんが新たに立ち上げたA-Worksという出版社に移ってしまうのですが。

――またまた波乱万丈ですね。ところで、『LOVE&FREE―世界の路上に落ちていた言葉』は2000年代に若者の間で流行した名著だと思います。ヒットの要因はどこにあったのでしょうか。

橋本:この本は、若い世代を客層に持つヴィレッジヴァンガードさんやTSUTAYAさんでめちゃくちゃ売れましたね。特に当時のTSUTAYAさんはDVDやCDが主力商品で、書店さんとしてはまだ新しかったこともあり、若い世代向けの本に力を入れてくださっていたように思います。またこの本には「放浪しちゃえば?」というキャッチコピーがついているのですが、やりたいことが見つからずに悩む当時の若者たちの心に刺さったのだと思います。

 『LOVE&FREE―世界の路上に落ちていた言葉』は30万部を超えるヒットとなり、滝本さんが移籍したA-Worksから出た高橋歩さんの本も、何十万部というヒットを連発していきます。一方で、サンクチュアリ出版は、『LOVE&FREE―世界の路上に落ちていた言葉』以外、まったくヒットが出ませんでした。

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