「バラエティに魂を売ったような人間がいないとダメ」 マッコイ斉藤が考える、テレビとお笑いの現在地
『おねがい!マスカット』や『とんねるずのみなさんのおかげでした』などの総合演出を手掛け、バラエティ番組に新たな笑いを生み出してきたマッコイ斉藤が、自身初となる書籍『非エリートの勝負学』(サンクチュアリ出版)を上梓した。山形の農業高校から手ぶらで上京し、ゴールデンのバラエティ番組で総合演出を手がけるようになるまでの波瀾万丈な半生を綴った本書は、自叙伝としてのみならず、現代のテレビ業界が抱えるジレンマやお笑いのあり方を問うメディア論としても読める一冊だ。現在はYouTubeでも存在感を示しているマッコイ斉藤は、昨今のバラエティ番組を取り巻く情報をどう見ているのか。たっぷりと話を聞いた。(編集部)
子どもの頃はテレビがキング・オブ・エンターテインメントだった
――このたび、初の著書『非エリートの勝負学』を上梓されたわけですが、なぜこのタイミングで、自らの半生を綴った本を書こうと思ったのでしょう?マッコイ斉藤(以下、マッコイ):これまでも何度か「本を書きませんか?」っていう話はいただいていたんですけど、僕みたいな若造が偉そうに本を出して「自分の半生、カッコいいでしょ?」みたいなのは、ちょっとダサいなって思っていたんですよね。ただ、自分も50歳を過ぎて、もはや誰がどう見ても若造ではないわけで(笑)。そういうひとつの節目として、書いてみようかなって思ったんです。
――タイトルに「勝負学」とありますが、この本はいわゆる「処世術」について書いた本ではないですよね?
マッコイ:そうですね。まあ、僕のやってきたことは、他の人に真似してもらおうとも思っていないというか。人生なんて、やっぱりひとりひとり違うものじゃないですか。だからホント普通に、自分がこの業界に入ってからこれまでやってきたことを、そのまま書いただけなんです。まあ、真似しようと思っても、できるわけがないとも思っているんですけど(笑)。
――(笑)。
マッコイ:ただ、今の若いディレクターたち、特にテレビ局員ではないフリーの若いディレクターたちに、もっと暴れて欲しいなっていう気持ちはちょっとあったかもしれないです。僕は山形の農業高校を卒業してから上京して、何も知らないままテレビの世界に飛び込んでここまでやってきた。もちろん、時代が違うとは思いますが、自分みたいな人間でもこれだけのことができたんだから、フリーの若手にはテレビ局員のようなエリート集団に負けないで欲しいんです。そういう思いで書いたっていうのはありますよね。
――今のテレビ業界に、一石投じようと。
マッコイ:いやいや、一石投じようなんて思ってないですよ(笑)。やりたいやつは勝手にやればいいし、やらないやつは何を言われてもやらないので。ただ、僕はこういうふうに生きてきたし、これからも変わらずに生きていくだろうということです。まあ、何も知らない若いプロデューサーとか芸人さんが、僕らがやってきた昭和とか平成の笑いについて何も勉強することなく、笑いが「古い」とか「新しい」とか好き勝手なことを言っているのはちょっと嫌ですけど(笑)。
――実際、本を出したあとのリアクションって、どんなものがありましたか?
マッコイ:リアクションなんて、別にないですよ。ある大御所タレントさんには「偉そうに本なんて出しやがって」ってイジられましたけど(笑)。あとは……ちょっと前に『サンクチュアリ-聖域-』っていう相撲のドラマが話題になったじゃないですか。それの脚本を書いている金沢(知樹)っていうやつが、実は僕の後輩なんですけど、そいつからは「マッコイさん、最初からまったくブレてなかったんですね」とか言われましたけど。
――ドラマ『サンクチュアリ』の世界観も、本書で描かれている当時のテレビの世界と、ちょっと似ているところがあるような……。
マッコイ:そうですね。昭和とか平成の最初の頃ならではのメチャクチャな感じというか(笑)。ああいうものはやっぱり面白いですよね。テレビの世界も昔はあんな感じでしたから。というか、僕らが子どもの頃は、テレビがもうキング・オブ・エンターテインメントであって、夢とあこがれがあったんですよね。とりわけ、僕みたいに山形の片隅でくすぶっていたような非エリートにとっては、もう夢しかなかった。でも今はホント、目立つほうが悪いというか、「いいから、おとなしくしていろ」っていう時代じゃないですか。できるだけ無難な形で、波風立てずにいてくれよっていう。
勉強してないやつらの企画のほうが絶対面白いと思っていた
――本書にも書かれているように、マッコイさんは、山形から東京に出てきたあと、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のディレクターにはじまり、極楽とんぼやガレッジセールの深夜番組、『おねがい!マスカット』、そして『とんねるずのみなさんのおかげでした』の総合演出など、錚々たる番組を手掛けてきたわけですが、この本を読む限り、必ずしも順風満帆といった感じではなかったんですね。
マッコイ:全然、順風満帆じゃないですよ。25歳のときに『元気が出るテレビ』のディレクターになったのはいいんですけど、そのあと割とすぐに辞めてしまって。当時勤めていた制作会社には若い芽を摘む、すごい嫌な上司がいたんですよ。で、「こんなやつのところには、もういられねえな」って思って、特に深い考えもなく辞めて。そこでホント、ゼロになりましたから。
ビートたけしさんにあこがれて山形から東京に出てきて、『元気が出るテレビ』でたけしさんと仕事ができて「ああ、夢が叶ったな」「これからだな」と思ったら、上司から嫌がらせを受けるようになって。まあ、そのときは俺も多少調子に乗っていたとは思うんですけど、何にしても嫌な思いをしたから、そこでいきなり辞めてしまって。ただ、そのあとホント仕事がなくなって、1~2年ぐらいぼーっとしていたのかな。ぼーっとしていたというか、何もしてなかったかもしれない(笑)。お金も全然なかったし。
――それでもテレビの仕事をあきらめなかったのは、やはり自分の「笑い」に自信があったからですか?
マッコイ:うーん……自信はありましたけど、根拠なんてないですよ。根拠のない自信(笑)。それが、今に至るまでずっと続いているというか、やっぱりどこからしら自信がないと、特にテレビのディレクターなんて絶対ダメなんですよね。嫌われてもいいから、自分の考えを通さないと、演者さんが困るから。
――ただ、そういう自信がある一方で、非エリートである劣等感みたいなものも、やっぱりあったんですね。
斉藤:ああ、それもありましたよ。ただ、面白いものを考えたり作ったりするやつらって、別にエリートではないじゃないですか。自分が学生の頃にしたって、頭のいい真面目なやつらが勉強をしているときに、俺らは友だちの家に行ってひたすらバカ話をしていたわけで。どっちの面白さが上かって言ったら、勉強なんかしてないほうが上だって俺は思っていたんですよね(笑)。そういうやつらが考える企画のほうが、絶対面白いと思っていた。