歴史小説家・今村翔吾「司馬遼太郎に全面対決を挑む」 初のビジネス書に込めた熱い想い

今村翔吾『教養としてのビジネス書』を語る

 2022年に『塞王の楯』で直木三十五賞を受賞した歴史小説家・今村翔吾が、自身初となるビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)を上梓した。教養を高める最も有力な手段は「歴史を学ぶこと」であるとして、歴史小説こそがその最良のテキストであると指南する本書。歴史小説家を第一世代から第七世代まで分類して、わかりやすく歴史小説・歴史小説家を解説するブックガイド的な側面もありながら、今村翔吾自身の創作論まで明かされており、これから歴史小説に触れる読者にとっても興味深い読み物と言えそうだ。

 今村翔吾が本書を著した狙いから、現在の歴史小説を取り巻く状況、そして自身の熱い夢についてまで、大いに語ってもらった。(編集部)

歴史小説に教養を学ぶ意味

――執筆だけでも多忙を極める中、今回初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)を書かれた理由から、まずは聞かせていただけますか?

今村翔吾(以下、今村):こういう本をいつか一回、ちゃんと書いてみたいという思いは以前からありました。これまではとにかく自分のことでいっぱいで、当たり前かもしれないけれど「作家・今村翔吾の挑戦」をメインでやっていました。ただ、直木賞をいただいたことで、その挑戦にもひとつ区切りがついた感じがしたんです。

――今村さんは2022年、『塞王の楯』(集英社)で第166回直木三十五賞を受賞されました。

今村:直木賞までは、とにかく一作家としていいものを書かないといけないという気負いがあったんですけれど、いざ受賞してみて感じたのは「果たして歴史小説というジャンルにどれだけの広がりがあるのか?」ということだったんです。僕が2017年にデビューしてから5年の間で、どれくらい新しい書き手が出てきたのかを考えると、ちょっと疑問があった。そこで改めて「歴史小説というのは本当に面白い世界なんだ」ということを、もっと多くの人に知ってもらいたいと思ったんです。

――歴史小説を読む人の層を広げたいというか。

今村:そうですね。それに僕自身、書き手である前に、子どもの頃から歴史小説を読むのがめっちゃ好きだったんです。その面白さについてはこれまでもあちこちで言ってきているつもりなんだけど、今回の本ではそれらを一度整理して、きちんと体系化したかったんですね。「なぜ僕は歴史小説を読むのか」を、ひとりの読み手から書き手になり、直木賞まで駆け抜けた僕自身の立場からまとめたかった。

――そこで本書のタイトルにもなっている「教養」というのが、ひとつポイントになってくると思うのですが、今村さんの考える教養とは、どんなものなのでしょう?

今村:僕は、「知識」と「教養」というのは、ちょっと違うものだと思っているんです。知識は、794年に平安京ができましたとか、1582年に織田信長が本能寺で討たれましたという事実であって、なぜ平安京に都が遷ったのか、なぜ信長はそこで討たれなくてはならなかったのかとか、その前後の経緯とか流れを踏まえて、誰かに話したり説明できるのが教養だと僕は考えています。もちろん、そんなことを知らなくても生きてはいけます。ただ、誰にとっても限られたものである人生をどれだけ楽しむことができるかは、実は教養にこそかかっているんじゃないかと。

「人生は楽しまなきゃ損だ」というと、若い子なんかは特に「ウェーイ」みたいな楽しみをイメージするかもしれないし、それが悪いということではないけれど、例えば旅行に行ったときに、その土地について色々と知っていた方が楽しいですよね。同じご飯を食べるにしたって、その素材がどんなもので、どんな価値があるものなのかを知って食べるとより味わえる。僕が言う教養はそういうもので、言ってみれば「人生の解像度」をあげるものなんです。そして、歴史小説を読む意義や価値も、そこにあると僕は思います。

――本書の「おわりに」の中では「教養があると楽しさの回収率が上がる」と書かれていますね。「教養」と言っても、いわゆる「お勉強」みたいなものとは、ちょっと違う。

今村:そうなんです。そういう意味では、「勉強」よりも「雑学」に近いのかもしれない。雑学も教養と言えば教養だから。あと、特に昨今はタイパとかコスパとか言って、無駄なものはどんどん省いていこうとする風潮があるじゃないですか。でも「回収率を上げる」という意味で言うと、僕はやっぱり教養はあったほうがいいと思っているんです。最初はちょっと大変かもしれないけど、教養が身につけば身につくほど、その後の回収率が上がっていくので、長い目で見たら絶対そのほうが楽しいと思います。

――なるほど。

今村:加えて、歴史小説に関しては、必要以上に難しく思われているようなところもあるので、そのイメージも変えたかったんです。「歴史小説の伝統が……」なんてことをいう人もいるけれど、成立してからたかだか100年ほどしか経っていないジャンルで、しかもその時代ごとの流行や大衆の求めるものによって変遷しているものなんです。僕は、歴史小説の本質は大衆娯楽だと思っているので、その原点に帰りたいという想いも本書には込めています。

ーー歴史小説は時代に寄り添った大衆娯楽であると。

今村:その意味でも、今こそ歴史小説を読むべきなんじゃないかとも考えています。というのも、昭和の時代に歴史小説が盛り上がったのは、戦争に負けたことによって自信を失くした日本人が、もう一度自信を取り戻そうとするタイミングで、求められた物語だったからだと思うんです。現在の日本は経済的にも不安で、高齢化が進んで人口も減っている状況にあり、改めて日本人とはなんだろうというアイデンティティが問われている。そこで自らの歴史を学ぶためにも、歴史小説は最適なコンテンツだと思うんです。

歴史小説界の第七世代とは?

――本書の内容について具体的に見ていきたいです。まずは、歴史小説との出合いなど、今村さん自身の体験談からスタートします。

今村:まずは自己紹介から始めるべきだと思い、このような構成にしたのですが、「第1章 歴史小説の基礎知識」、「第2章 歴史小説が教える人としての生き方」あたりがいちばん書くのに苦労しましたね。読み始めていきなり「これ、ちょっと読むのしんどいわ……」と思われないように、なおかついろんな角度から興味を持ってもらえるようにアプローチを工夫しました。やっぱり誰しも損得で考えるところがあると思いますから(笑)、歴史小説を読むことが何の役に立つのかを、幅広い視点から提案するように心がけています。

――そういう引っ掛かりみたいなところでは、第1章の中に登場する「歴史小説家の世代的な分類」が、個人的にはすごく面白かったです。今村さんは「第七世代」になるんですね(笑)。

今村:そうそう、お笑い第七世代みたいな感じで(笑)。最初はどこかの出版社が、僕のことを勝手に「歴史小説界の第七世代」と書いたことがきっかけだったのですが、良い機会だし、一度ちゃんと考えてみようと思って世代で整理してみました。こうして整理してみると、意外と第三世代の作家までで止まっている読者が多いんじゃないかとか、いろんな発見がありました。

――第三世代というのは、いわゆる「一平二太郎」――藤沢周平、司馬遼太郎、池波正太郎などが分類される「最強の世代」ですね。それもまた、ダウンタウンをはじめとする第三世代の影響力が依然として強いお笑いの世界とちょっとリンクしています。

今村:そうなんです、歴史小説の世界にも第三世代が強過ぎる問題がある(笑)。でも、ひとつの文化はこれぐらいのスパンで隆盛を迎えるということなのかもしれません。まあ、この括り自体は遊びみたいなものですが、僕自身がこういう捉え方をしたことがなかったし、こういうことが書かれた本もこれまでになかったと思います。

――画期的だと思いました。言わば、「歴史小説家の歴史」を辿っていくことにもなるわけで。

今村:歴史研究と同じように、その時代ごとに何が大衆に好まれてきたのかを再確認することもできますよね。それを踏まえて、僕ら第七世代がどう生きるべきかも、おぼろげながら掴めたようにも思います。

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