三宅香帆が読む『気がつけば生保レディで地獄みた。』“実情”がいつしか“呪縛”に変わる……ブラック企業がなくならない理由

  この世からブラック企業がなくならない理由がわかる、話題のノンフィクション『気がつけば生保レディで地獄みた。』(古書みつけ)。

  ブラック企業、という言葉が私たちの身近な存在になって久しい。

  企業によって不当に過酷な労働を課せられることは、私たちにとってもしかすると今一番身近な地獄なのかもしれない……と多くの人が認識するようになった。「昔よりずっと労働環境はよくなった」とたくさんの人が言うけれど、しかしそれでも今もなおブラック企業によって地獄を見ている人は少なくない数存在するのだ、と本書を読むと心底思う。

  本書は「生保レディ」と呼ばれる、保険会社の営業として勤務していた実生活をつづったノンフィクションである。語り手の三上杏、通称みかんは、会社の福利厚生として挙げられていた「LGBTQ+フレンドリー」という言葉に惹かれ、とある生命保険会社に入社を決める。しかし実際に入社してみると、そこにあったのは、ノルマをひたすら追い求める日々。気がつけば同期も会社を退職していたり、昔の友人たちに保険の勧誘をしたことで疎遠になったりする日常のなかで、みかんは追い詰められてゆく。しかし会社を辞めてはならない、と思い込んでいるみかんは、先輩たちに倣い、保険営業をかけることに文字通り命をかけることになる。

  そう、本書に描かれているのは、LGBTQ+に優しい保険をつくるという夢を持って会社に入った語り手が、保険会社の営業ノルマや過酷な労働環境によってすり減ってゆく様子なのだった。

  そもそも生保レディという存在は、保険外交員という独特の雇用契約になっている。普通の正社員であると思い込んで入社した語り手は、自分の雇用契約や給料の低さに呆然とするのだ。読者からしても「高い離職率の生命保険業界の裏側は、こんなにもブラックなのか……そりゃ離職率も高くなるよ……」と愕然とする内容ばかりではないだろうか。

  なかでも本書の描いている風景の苦しさは、みかんがどんどん周囲から孤立する様子である。たとえば彼女は保険営業のノルマを達成しようとするがあまり、昔からの友人をなくしてゆく。そして一方で職場内でも、なかなかノルマを達成できない彼女のことを、周囲は蔑むようになる。こうして彼女は、職場外でも職場内でも孤立する。

  ブラック企業にいると、正常な判断が難しくなる。「そんな職場、はやく辞めたほうがいい」と言われたところで、その言葉通りに自分を動かすには、気力と体力が必要だ。なによりも周囲の人間の支えが少しでもあったほうがいい。しかし仕事でいっぱいいっぱいになっていると、その支えも、気力も、失ってしまうのだった。

  こうして人間関係のなかでも孤立し、そして次の場所へ移る力も残っていないみかんは、さらに職場に搾取されるようになる。

  そして興味深いのが、一度は彼女たちがこのような生命保険会社の実情を世間に告発しようとすることである。会社を辞めた女性とまだ会社にいるみかんは、メディアや全国労働基準監督署に企業の実情を訴えようとする。自腹で特典を買わなくてはいけないこと、ノルマを達成できなかったら給料が雀の涙ほどになること、家族や友人への保険勧誘を暗に強制されること……。それらの実情を彼女たちは世間に伝えようとするのだ。しかし実際は、生命保険会社という場所でそれらの実情があまりにも「常識」になってしまっているがために、訴えは無効になってしまう。ブラック企業である実情を変えようとしても、なかなか彼女たちの手で変えることは困難なのだ。

 ――このように、本書で描かれている葛藤は、生命保険会社に限ったものではなく、ブラック企業のような社員を搾取する場所そのものに普遍的な構造的問題なのである。

  では、みかんはそのような「地獄」からどうやって抜け出したのか? それはぜひ本書を読んで確かめてほしい。が、ひとつだけ言えるのは、やはり彼女が「地獄」から抜け出すために必要なのは、周囲の人間の支えだった、ということである。

  社会を変えよう、会社を変えようとする彼女たちの試みがくじかれた時。主人公のみかんは、自分を守るための行動をなかなかとることができない。その時、彼女のことを支えてくれる存在が――家族や恋人でなくとも――ちゃんといてくれることに、読者としては安堵できる瞬間がある。

  とはいえ、本書を読むといかにその業界がいびつな構造で成り立っているかもよく分かる。きっと本書が訴える生命保険会社の実情は、現実の業界を変える一助になるのではないだろうか。保険の業界だけでなく、この世からひとりでも、ブラック企業の搾取から抜け出せるように。そのような祈りを閉じ込めた本書が、誰かの助けになることを願ってやまない。

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