『THE FIRST SLAM DUNK』原作との最大の違いは“人生”を描いたことだった 国内の上映終了に寄せて
※本稿は、映画『THE FIRST SLAM DUNK』のネタバレを含みます。同作を未見の方はご注意ください。(筆者)
8月31日、ついに映画『THE FIRST SLAM DUNK』の国内での上映が終了する(一部劇場を除く)。原作者である井上雄彦が脚本・監督を務めた同作の公開初日は、昨年の12月3日――つまり、およそ9か月にもわたるロングラン上映ということになるのだ。快挙といっていいだろう。
なぜ映画では“彼”が主人公になったのか
さすがにもう書いてもいい頃だと思うので書くが、『THE FIRST SLAM DUNK』の主人公は、原作ではサブキャラクターの1人だった宮城リョータである。
宮城リョータは湘北高校バスケ部の2年生。ポジションはポイントガードで、身長は(バスケ選手としては)低いが、そのぶん類いまれなスピードと感性に恵まれており、「湘北の切り込み隊長」としてその才能を発揮している。
ちなみに原作では、主人公・桜木花道の春から夏にかけての成長に焦点が当てられているため、湘北バスケ部の他の選手たちの内面が深く掘り下げられることはあまりない。とはいえ、物語の大きな流れの中では、時おり、流川楓、三井寿、赤木剛憲といった選手たちの心の葛藤(と成長)が描かれることはあるのだが、なぜか宮城については、そうした部分がほとんど描かれることはないのだ(まったくないわけではないが――)。
ただし、これはなんらかの意図があってのことではなく、単純にタイミングを逃しただけだろう。だからこそ、『SLAM DUNK』の連載が終了した後に井上雄彦は、宮城(と思われる少年)を主人公にした短編「ピアス」を描いたのだろうし、また、今回の映画でも、あらためて彼を主人公にして物語を再構築したのではないだろうか(「ピアス」で描かれたエピソードのいくつかは、映画でも流用されている)。
17歳の少年の“バスケと人生”
なお、この『THE FIRST SLAM DUNK』、プロローグとエピローグを除き、映画本編で描かれているのは、基本的にはインターハイでの湘北高校と山王工業高校の試合のみである。要するに、1つの試合がそのまま1本の映画になっているわけであり、これはなかなか潔いというか、思い切った演出であるといえよう。
むろん、ただ単に、白熱した試合の様子が延々と続くというわけではない。試合の描写の合間合間に、宮城の“過去”が絶妙なタイミングで挿入されているため、彼の“17年の人生”も同時に知ることができるのだ。
これがたぶん、原作と映画の最大の違いである。
つまり、原作では、桜木花道という「素人」が、春から夏までの間に一人前のアスリートへと成長していく姿に主軸が置かれたため、バスケットボール以外の要素はあまり重要ではなかったが、映画では、そのバスケットボール以外の要素――すなわち、宮城リョータの幼少期のトラウマや家族に対する複雑な想いが強調されたことで、結果的に、17歳の少年の“バスケと人生”が描かれたということだろう。
むろん、私はそのどちらが良い悪いといっているのではない。どちらも良いに決まっている(よりわかりやすくいえば、原作では、「“今”しか見ていない少年の初期衝動」が、映画では、「過去を背負いながらも前を向こうとする少年の決意」が描かれているのだ)。
いずれにせよ、『THE FIRST SLAM DUNK』とはよくつけたもので、今回初めて井上雄彦の作品世界に触れた人はもちろん、リアルタイムで原作を愛読していた人にとっても、スクリーンの上では“見たことのない物語(=「初めての『SLAM DUNK』」)”が展開されているのである。上映が終了する前に、もう1度劇場に足を運びたいと思う。