日本一の長寿雑誌「中央公論」編集長インタビュー「クオリティの一線は譲らず、この大切なプラットフォームを守っていきたい」

「中央公論」編集長インタビュー

日本の言論界にとって貴重なプラットフォームに

近刊で反響が大きかった「中央公論」

――論壇誌に限らず、雑誌一般の読者層が高齢化しているといわれます。老いの特集などはそういう層を意識しているかなと感じつつ、「中央公論」では近年、サブカルチャーやインターネットなどもう少し若い世代がターゲットかと思われる特集も組んでいます。

五十嵐:年齢層が高い人たちだって老いのことばかり考えているかといえば、ChatGPTなど新しいものにも関心があるんですよ。また、本当に若い読者層の開拓につながっているかどうかはともかく、まず雑誌の存在を知ってもらわなければいけない。やはり、サブカルなど従来とは違った分野から若い書き手を呼んでくると、必ずネットで話題にしてくれて、「こんな雑誌にこんな人が載っているのか」といった反響があります。それは今後もやっていきたいですね。

――新しい論者を見つけるためにしていることは。

五十嵐:私は雑誌編集者としては2年目なので、得意分野があるにせよ知恵には限界がある。でも、職場には驚くほど多くの引き出しや人脈を持っている編集者がたくさんいますから、その方々の知恵を借りるんです。新聞社の会議ってすごく短いんですけど、こちらでの企画会議はブレーンストーミングで2時間くらい平気だし、それもだらだらやるのではなく、真剣に議論してアイデアを絞り出す。編集部5名のうち2人は20代で、彼らには想像するのが難しい60代や70代の読者のことも考えながらやっているわけです。7月号の「特集II AI時代のことば力」は、そんな彼らが発案し中心になって進めたもので、ChatGPTなどのトレンドをそのままとりあげるのではなく、「言葉の力」そのものについてあらためて掘り下げて考えてみようといういい企画でした。

――そうした議論で毎号のだいたい2つか3つの特集が決まる。でも、雑誌の性格上、大きな出来事があれば組み換えなければならないでしょう。

五十嵐:私が「中央公論」へ移ってしばらくしたら、安倍晋三元首相が銃撃されて亡くなり、その日(2022年7月8日)に8月号が発売されました。次の9月号は「現代戦の洗練と野望」、「大東亜共栄圏の残影」をそれぞれ第一、第二の特集と決めて走り始めていましたが、急きょそれらを第二、第三に回して、10日間でメイン特集を「安倍政治が遺したもの」に差し替えました。

 ウクライナ戦争もそうですが、メディアである以上、突発的な出来事、重大なニュースは無視できない。でも、新聞と違って時事問題を追いかけても必ず2ヵ月、3ヵ月遅れになってしまう。だからテーマは追いつつも、新聞やテレビとは全然違う角度から問題を解いてみる。そもそも戦争は、どういう風に起きて、どういう風に終わるケースが多いのかとか。例えば、今年6月号で「東京再膨張」を特集した時、雑誌の編集部って面白いなと私が思ったのは、「東京を特集するならタワマン(タワーマンション)文学でしょう」という切り口が出てきたこと。人口問題がどうなる、地方消滅をどうするというありがちな発想だけではない。真正面から、左右からだけではなく、斜めとか裏からとかいろいろなところから切っていく。それが醍醐味で面白み。書籍で失敗すると大変ですが、雑誌なのでチャレンジもできます。雑誌だって毎号売れた方がいいですけど、いろいろ試行錯誤していいかな、とも思っています。

――最近の特集で読者の反応がよかったのは。

五十嵐:号としてよかったのは、「独裁が崩れるとき」の3月号。この号には「新書大賞」の発表と関連記事があって、毎年部数が伸びるんですが、特集の反応も悪くなかったです。また、2月8日に当社が『安倍晋三回顧録』の発売を予定していたので、2月10日発売の3月号で急遽、菅義偉前首相に回顧録に合わせた鼎談に出ていただいて、本と雑誌をセットで押し出しました。

――雑誌とインターネットとの連動は、どう考えていますか。

五十嵐:「中央公論.jp」があり、編集部とは別の担当部署と連携を取りながら充実を図っています。ビュー数は、やはり新書大賞などが人気がありますが、何かのきっかけで過去記事が急に掘り起こされて読まれることもあります。例えば、中国で6年間拘束された鈴木英司さんのインタビューを鈴木さんの帰国直後の早い段階で詳しくやり、当初から他社のメディアから彼の連絡先の問いあわせが相次ぐなど反響が大きかったのですが、今年に入って別の日本人の拘束が明らかになり、再びビュー数が伸びました。価値のある記事、見逃した記事が気軽に見直せるのはいいですよね。

――今後、「中央公論」をどんな方向へ持っていきたいですか。

五十嵐:形態がどうなるかは今後の技術革新次第でしょう。繰り返しになりますが、こうした言論空間を1回壊してしまうと回復は難しいので、踏ん張りどころだと思います。例えば、北岡伸一先生が今、「学問と政治」という回顧録を連載しています。「中央公論」では、1980年代半ばのまだ30代だった北岡先生に論文を依頼して以来、100本以上の記事で登場していただいているんです。今では大家になられましたけど、そのように長いこと言論界を引っ張っていただく方にプラットフォームを提供する役割が必要だと思うんです。

「中央公論」と「婦人公論」第一号の復刻版

――7月号には読売・吉野作造賞の記事がありましたが、それこそ大正時代から吉野作造のような論壇のスターを生んできた雑誌ですし。

五十嵐:それが今ではツイッターやテレビを通じてご自身で発信できる環境になりました。ただ、活字に残そうと思ったら、学術論文は読者が関係者に限られるし、本となるとそう頻繁に出版できるものではない。1ヵ月に1回、一般の読者を意識しつつ、しかも編集者という第三者の手が入る形で、ある程度まとまったものを出していくのは、論壇で活躍する方にとっても、日本の言論界にとっても、やはり貴重ですよね。そういうプラットフォームでありたいと考えています。

 編集長になるに際して、歴代編集長のなかでお会いできる方の何人かとお話しました。みなさんが「大変だよね。僕たちの時代よりもさらに」と声をかけてくださった(笑)。なかでも「いずれこの形態はなくなるかもしれない。仮になくなるとして、こんな良いものがなくなるのは惜しいといわれるようなクオリティを保っていかなければいけない」という話をしてくださった方がいて、とても胸に響きました。アテンション・エコノミー(情報の優劣より利用者の関心が価値を持つという概念)に飲み込まれてセンセーショナリズムをやり出したら、なくなる時に惜しまれず、「最後はグチャグチャだったな」と言われてしまう。旧すぎる考え方かもしれませんが、クオリティの一線は譲らず、この大切なプラットフォームを守っていきたいですね。


■関連情報
『中央公論 2023年8月号』紹介ページ
https://chuokoron.jp/chuokoron/latestissue/

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