AI代筆、業者代行、書き方指南に親の介入……「読書感想文」は"誰”のためにある?
現在、「第69回青少年読書感想文全国コンクール」の応募受付が行われているが、読書感想文は必要か否か、という議論はSNS上で絶えず巻き起こっている。読書感想文は小学生の夏休みの宿題の中では自由研究と並んで難易度が高い。執筆に莫大な時間を要した経験を持つ人も多いのではないだろうか。さらに親にとっても読書感想文に付き合うのは相当な負担であり、夏休みになると憂鬱になる親も少なくない。
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読書感想文は出版業界にとって重要な存在である。コンクールの課題図書に選ばれたら、本が売れる。親子で書店に足を運んでもらう動機にもなる。出版不況が叫ばれる時代において、ありがたい存在であるのは間違いない。
しかし、その読書感想文が形骸化しているという批判もある。教育関係のサイトを覗くと、読書感想文の書き方の指南が載っている。中にはフォーマットに沿って書けば大丈夫、というような攻略のテクニックを披露したサイトまである。果たしてこれで読書が楽しくなるのだろうか。感想文を書くための読書になっていないか、という指摘があるのだ。
また、読書感想文の攻略法によれば、「面白かった」「つまらなかった」などのストレートな感想を書くだけではダメなのだという。「印象に残らなかった」も、もってのほかだ。「本を読んで自分を見つめ直すことができた」「考えさせられた」「新しいことをやってみようと思った」など、要は教師ウケや審査員ウケするネタを盛り込まなければならないのである。
確かに本を読んで人生が変わることはあると思う。そのような体験が読書感想文の課題図書で出来たのであればそれは素晴らしいことであるが、「感想を書く」ことが前提となってしまえば、まったく本音とは異なる内容をひねり出して「見映え良く」提出した経験がある人も多いのではないだろうか。
「週刊少年ジャンプ」で連載された漫画『バクマン。』(原作/大場つぐみ、漫画/小畑健)で、主人公の一人の高木秋人が「読書感想文は審査員にウケるように書いている」という趣旨の発言をしたシーンがあるが、まさに読書感想文に対する痛烈な皮肉といえよう。
宿題代行業者が読書感想文の執筆を行うと宣言したときは批判もあったが、以前から親が代筆するパターンはあったため、あっという間に議論は立ち消えになった。そして、いま読書感想文の世界を震撼させているのはAIの存在である。
青少年読書感想文全国コンクールを主催する全国学校図書館協議会は、AIを用いて作成された読書感想文が応募されることを懸念し、来年度の応募要項の改定を行うと発表した。AIによって書かれたような、不適切な引用が判明した場合は審査の対象外となるという。
しかし、主催する団体や審査員が、AIの執筆をどうやって見抜くのだろうか。その術はあるのだろうか。ChatGPTで作った原稿をつなぎ合わせた場合、不正を判断するのは至難の業である。事実上、手の打ちようがないのではないか。
読書感想文不要論者の中には、そもそも夏休みの宿題が多すぎるとして、大幅に減らすべきではないかという意見を述べる識者もいる。夏休みは押しつけの課題よりも、子どもの感性を育てる多彩な体験に充てるべきという意見もある。7月、間もなく訪れる夏休みを前に、夏休みの宿題や読書感想文の在り方を考えてみたいものだ。