砂村かいり × モモコグミカンパニーが語る、アイドル活動を終えた後の人生 「カメラをむけられないけれど、生活は続く」

砂村かいり × モモコグミカンパニー対談
砂村かいり『黒蝶貝のピアス』
砂村かいり『黒蝶貝のピアス』(東京創元社)

 環は、デザイン事務所に転職した。上司でデザイナーの菜里子は、かつて憧れた地元のアイドルだった。環自身も過去にアイドルを目指し、オーディションで落とされる経験をしていた。そんな2人の出会いを描いた『黒蝶貝のピアス』の著者・砂村かいりと、6月29日の東京ドーム公演で解散するBiSHのモモコグミカンパニーとの対談である。モモコは、昨年発表した小説デビュー作『御伽の国のみくる』において、アイドル・オーディションで不合格となりメイド喫茶で働く女性を主人公にしていたのだった。(円堂都司昭/5月16日取材・構成)

砂村「残酷さを認識しながら観ずにいられない」

奥、モモコグミカンパニー。手前、砂村かいり。

――早速ですが、『黒蝶貝のピアス』を読んだ感想を聞かせてください。

モモコ:砂村さんの世界観はすごく静かで、表面上はなにも変っていないように見えて、水面下でいろいろゴタゴタが起きている。ここは壊れるがはずないのにっていうところが、ポロッと崩れてしまったり。いい意味で予想を裏切られ、楽しかったです。人物像が鮮明だしドラマを見ているようで、頭のなかでは実写化されていました。

砂村:……ありがとうございます。一般の読者の方からも生で感想を聞くことはなかなかないですが、よりによってBiSHのモモコさんに感想をいただけている現実を受けとめきれていません。

モモコ:アイドル活動を終えた菜里子さんの話なので、現役時代は回想という感じですけど、表に立っていた人が書いたのかというくらい、リアルだと感じました。「芸能は残酷」って言葉が出てきましたけど、私も思ったことがあります。私は自分をアイドルだとはそれほど思っていないし、アイドルをちゃんとできているとも思いませんけど、疲れていても笑わなきゃいけないとか、自分の感情をごまかすことを残酷と感じることがあって、そのへんの表現がリアルでした。菜里子は、アイドルをやめたくてやめたじゃないですか。私は自分がアイドルにむいていると思っていないので、そこが自分と重なって感情移入できました。

砂村:『黒蝶貝のピアス』を書きあげた後に拝読したモモコさんのエッセイ『目を合わせるということ』に、BiSHを抜けたいと考えた時期の話が出てきました。ステージやテレビで歌って踊る方が、明日にもやめたいと思っているかもしれない。やりたくなくてもやらされているのかもしれない。本作では視聴者には見えない水面下を書きたかったこともあり、衝撃を受けました。ただ、アイドルを書くだけなら、自分はやったことがないから、現役の方には絶対かなわない。でも、例えばアイドルが1人オーディションに合格するためには、何千何万と不合格者が出るでしょう。私にはオーディションの経験はありませんが、そういう立場の人の方が自分には想像がしやすかったこともあり、今回の内容になりました。

 1990年代後半に『ASAYAN』というオーディション番組があって、毎週観ていました。モーニング娘。を輩出したことで有名ですけど、光が当たった方だけじゃなく、落ちて号泣する子、上りつめたけど最終で受からなかった子とかの生々しい顔がお茶の間に流れて、さて来週はどうなる? っていう。残酷さを認識しながら観ずにいられない。自分の闇を見せられるような番組でした。敗者になった子は翌週からカメラをむけられないけれど、生活は続く。人生は終わらない。そこを書きたいと思いました。

――ずっとアイドルが好きだったんですか。

砂村:『ASAYAN』が火をつけたんでしょう。今でいう推しができて、その子が落ちた時の感情の揺さぶられ方といったら! といったように、自分のオタク性を発見するきっかけになりました。モーニング娘。の後は、初期のAKB48やPerfumeにハマって。

モモコ:Perfumeも、もともとはアイドルって感じでしたね。

砂村:BiSHも近いですけど、最初はアイドルと呼ばれていた人たちが、表現する集団として別のなにかになっていくのが面白い。BiSHはポップな曲や泣かせる曲がある一方、シャウトが多い曲などもあって。モモコさんの作詞やアイナ・ジ・エンドさんの振付も含めて総合芸術になっている。近年は人権意識を考えるとただ女の子を消費するのはどうなのっていうことがある一方、女性オタクの話はあまりメディアでとりあげられない。女性アイドルのオタクというと男性のイメージですけど、女性オタクもいることをどこかで発信したいなって(笑)。

モモコ:今ここで発信できる(笑)。

砂村:私は男性アイドルの方にはいかなくて、最近はYouTubeでライブ・アイドルを発掘するのにハマって、去年『黒蝶貝のピアス』の改稿中にインストア・ライブへ行って初めてチェキを撮りました。いくつになっても初めての体験は面白い。小説で距離感について書きましたけど、規模の小さめなお店だと物理的にもステージと客席が近いし、特典会で推しのアイドルと一緒にチェキを撮ると、もはや距離どころの話ではなく……チェキもこんな楽しみがあるんだと……語り始めると終わらない(笑)。

モモコ「人間関係には底がない」

――モモコさんの『御伽の国のみくる』には、どんな感想を持ちましたか。

砂村:いい意味でキャラクターを抑制していない。小説家が書く小説ってどこかバランスをとりがちなものが多いですけど、ブレーキを効かせないでやっちゃうんだ!? みたいな、容赦しない感じが予想もつかなくて面白い。登場人物それぞれが見た目通りではなく、人間というものが一枚岩ではないところが描きこまれている。なかでも、自分の現実も抱えたオタクのひろやんの存在が、すごく効いていますね。

モモコ:砂村さんのいう通り、ここまでやっちゃうのかという。女の顔を踏みつけたり(笑)。私は、ふだんいろいろ考えることはあっても、外にパッと出せない。怒れない、泣けない性格なので、小説ではやっちまえって(笑)、暴力性も出しちゃえと思いながら書きました。

 砂村さんの作品の方が、女性ならではというか、ちょっとした会話での相手の気になるところ、なんかこれ違うなといった繊細な感覚がよく落としこまれている。私は男兄弟に囲まれて育ったので男っぽい面があるんですけど、私が例えばOLになっていたら、職場でこんなことを考えているだろうなって、小説を読んで体感できたのがよかったです。

砂村:私たちの小説では、主人公がオーディションでみじめな思いをするところは共通していますけど、モモコさんの主人公は、誰かと手をたずさえるよりは1人で自分の道を見つけていく。その力強さが違うと思いました。私の方はゆるやかに女性同士で連携していく。

モモコ:私の小説の誰も信用しないで生きていくみたいなところとは、違いますよね。『黒蝶貝のピアス』の菜里子と環は支えあっていて、人って信頼していいんだなって思えます。

――以前、イベントで砂村さんが「自分らしさが手ばなしで賞賛されるけれど、相手と一緒にいるために距離感を保ちながら自分を抑えてつきあう、そういう関係性も大事ではないか」と話されたのが印象的でした。『黒蝶貝のピアス』は、距離感の小説でもあるでしょう。

砂村:アイドルの曲もJポップ全般も『あるがまま』とか『自分らしさ』といったものを賞賛するような価値観が主流であるように感じます。でも、完璧な人はいないですし、誰か大切な存在ができた時にありのままでぶつかって成功することってあまりないじゃないですか。自分を装ったり抑制したりして関係を保つことも尊いと思っています。モモコさんのエッセイに「モモコグミカンパニーではない私は、知らない人に対して笑わない」とあってドキッとしました。「仕事として笑わなければいけない。笑顔はアイドルの言語だ」とも書いてあって、そうだよなと思いました。笑顔がたとえ仮のものだとしても大事なものだし、自分らしさ同士の関係が必ずしもうまくいくわけでもない。

 私は何度も転職して、正社員としてバイトを雇う立場になったこともあれば、今は兼業作家で非正規のリモートワークをしています。いろんな立場を経験しても、距離感については答えが出ない。答えが出ないまま、『黒蝶貝のピアス』を書いちゃったんですけど。

モモコ:小説には、わからないものはわからないままでいいと、何回も出てきて、それは大人に必要な考え方かもしれないと思いました。人間関係には底がない。

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